<四>


夏休みは半分が過ぎ、今日も天気は快晴で、日当たりの良い部屋は蒸し風呂状態。クーラーの有り難みをこれでもかと感じて坂田がジャンプを読み耽っていたところ、タイミング悪く母親が様子を見に来てしまい、勉強をしろと叱られた。前日に返ってきた模擬試験の結果が最悪であったから無理もない。息子は素直に勉強道具を鞄に詰めて図書館へ向かった。

近頃、碌に勉強できていない。

とりあえず塾通いは続けているものの、自室では別のことに一所懸命。
何せきっかけが受験勉強だったのだ。あの日、放課後まで残って真面目に勉強などしていたせいで、同級生の思わぬ性的嗜好を知ってしまったのだ。さっさと帰宅していればこんなことにはならなかったのに――

うっかり踏み入れてしまった未知の領域に戸惑い、後戻りを試み、それでも抑え切れない同性のクラスメイトへの劣情を吐き出す日々を、坂田は送っていた。

*  *  *  *  *

図書館までは自転車で三分。持参したスポーツドリンクで喉を潤してから館内へ。
控えめにエアコンの効いた静かな空間。平日の昼間であるが夏休みだからかそれなりに人がいた。その一角に自習室がある。上半分がガラス張りの壁、机と椅子が置かれ、小学生以下は入れないスペース。
空席はあるだろうかと、坂田は外から部屋の中を伺ってみた。
八割方埋まっているが座れないことはない。僅かながらもやる気を出して入口ドアに手を伸ばす。

そこに彼はいた。

扉のすぐ向こう。一番前の奥の席にいるのは、近頃坂田の心を乱してやまない同級生。なぜヤツがここに……たった一度、共に下校した時の記憶によると彼の自宅は隣の駅にあったはず。一応、同じ市内ではあるけれど、ここより近くに別の図書館だってあるだろうに。
もしかして俺に会いに……?
「ンなわけねーか」
都合の良い妄想を繰り出す己にツッコミを入れる。普通に考えれば、この近くの塾に通っているとか気分転換とか、でなければ誰かと一緒とかそんな理由であろう。

誰か……?

また新しい男を見付けたのだろうかと、単なる想像に胸が痛んだ。
よくよく見れば土方の隣は空席。一人でいるのは明らかなのにもかかわらず、空想上の彼氏の存在が明確になるのを恐れて自習室へ足を踏み入れられずにいた。
「げっ……」
そうこうしているうちに、あちらがこちらに気付いてしまう。
難問を解き終えたのだろうか、不意に顔を上げた土方はゆっくり首を回し始め、その途中で入口の人影に目を留めた。
二人の間の空気が止まる。壁を隔てているはずなのに、二人だけの空間にいるような錯覚。微かに驚いた顔へ坂田が軽く手を振れば、ふっと和む表情に胸が高鳴った。

これが恋の魔力か。

目が合っただけで天にも昇る心地。今日は人生最高の日だと本気で思ってしまうほど。土方の着ているTシャツにでかでかとプリントされた、マヨネーズメーカーのキャラクター「マヨリーン」だって愛くるしく見える。
坂田が「魔力」を抜け出せたのは、相手が勉強道具を片付け始めた時であった。
「よう」
「……どうも」
無言の挨拶を交わしながらも入室しないものだから、出て来てほしいと言ったようなもの。そんなつもりはなかったのにと申し訳なく思うと同時、話せることに心は弾む。坂田が出入口を指差せば、土方も黙って頷きついて来てくれた。


飲み物の自動販売機と長椅子が幾つか設置されたロビー空間。幸いにも空いていた椅子があり、人半分くらいの距離を置いて二人は腰掛けた。
土方に近い方の半身が熱い。顔は赤くなっていないだろうか、なっていたら夏のせいにしようなどと考えつつ、坂田は持っていたスポーツドリンクを飲んだ。
「えっと……なんか、ごめん……」
先ずは謝罪から。首を傾げる級友に、勉強を中断させてしまったと再度頭を下げた。
「よ、用があるわけじゃないんだ……。知ってるヤツがいるなぁと思っただけで……」
「そろそろ休憩するかと思ってたところだ。気にすんな」
「あ、そう?」
土方は購入したばかりの緑茶のペットボトルを開け、喉に流し込む。その横顔を見詰めそうになって慌てて逆方向へ首を捻る坂田であった。
普通にしていなくては。もっともっと友達として親しくならなくては先にも進めない。
「土方も、この辺住んでたんだ?」
「この辺っつーか、自転車で二十分くらいだな」
自習室目当てで高校受験の時からたまに利用しているのだと言う。知り合う以前から近所に来ていたなどと聞くと、運命的なものを感じてしまうではないか。
「俺ん家はすぐ近く。自転車飛ばせば一分ってとこだな」
「ハハッ、そうか」
屈託のない笑顔を引き出したのが自分だと思えば、何とも言えない達成感を味わう。まだまだ話していたいと坂田は次の話題を考えていった。
「どこ受けるか決まってんの?」
「第一志望は銀魂大」
「マジで!?俺も俺も!」
いそいそと坂田がバッグから取り出したのは、銀魂大学法学部の過去問題集。やや面食らった顔付きの土方は幼く可愛く見えて、あの日の色気とのギャップに心臓がうるさく鳴った。
「俺も、法学部」
「マジでか!じゃあこれから一緒に勉強しねぇ?何なら今から家に来る?」
「え……」
この機会を逃す手はないと坂田は突き進んでいく。二人で一つの目標に向かい努力して、共に合格した暁には思いを伝えようと、一瞬の間にシミュレーション。
しかしながら、相手は浮かない顔をしていた。
「悪ィ……」
「あ、今日は無理?なら明日は?明後日でもいいよ」
「いや、その……」
こちらを向くこともなく、握り締めたペットボトルに視線を固定する土方は項垂れているよう。肺の空気を全て吐き出し、そして意を決して坂田の顔を見詰めた。
「お前のことが好きだ」
「…………」
口から出たのは愛の告白にもかかわらず、哀しみに彩られた瞳は「ごめんなさい」と語っている。言葉と表情のあまりの落差に坂田は何も返せなかった。
「だから……お前とは友達付き合いできねぇ。今まで黙ってて悪かったな」
「あ……」
二人の周囲から音が消える。静かに立ち上がり、この場を去ろうとする土方へ、坂田は無意識に手を伸ばしていた。
無言で振り返った土方の目が、放っておいてくれと、これ以上傷を抉らないでくれと訴えている。
「あ、あのな……」
掛ける台詞が見付からない。
確かに土方に恋をしていて、ゆくゆくはどうにかなりたいと思っていたはずなのに告白を手放しで喜べないのだ。寧ろ、自分は土方ほど真剣に愛していないのではないかと思ってしまった。好きになった相手とは、友達付き合いすらしない覚悟を持った土方ほどには。
改めて考えれば、「ゆくゆく」の時点で、「今すぐ」でない時点で、それほど好きではなかったのかもしれない。
「坂田、離してくれ」
「……嫌だ」
けれど捕らえた手を離したくもない。離したらここで土方との関係が終わるのは明らか。始まる前に終わってしまうのをよしとはできない――それくらいには好きなのかもしれない。
「とっ、友達じゃない付き合いなら……できんのか?」
「意味分かって言ってんのか?」
「分かんねーよ……」
「あ?」
己の爪先を見詰めたまま、それでも右手は土方の左手首をきつく握っていた。
「俺は、男を好きになったことなんてねぇし……世界で一番可愛いのは結野アナだと思うし……でも、お前のこと考えるとムラ……ドキドキするし……」
分からないと言う坂田の率直な言葉が土方の心に染み込んでいく。
「今日だって、会えて嬉しかったし……もっと仲良くなりてぇなって……仲良くなって、一緒に勉強して、受かったらそれからかなって思ってたけど……」
「坂田、もういいから」
戸惑いがあるのはよく分かる。同性との経験がないのなら尚のこと。拒絶されなかっただけで充分だと土方は坂田の右手に自分のそれを重ねた。
「よくねぇ!」
「あのなァ……」
お前のために言っているのだと呆れる土方の右手だけを振り払い、坂田も立ち上がった。同じ高さで交わるその目は据わっている。
「俺をお前の彼氏にしろ」
「無理すんなって」
「今から家に来い」
「……後悔しても知らねーぞ」
迫力に負けて渋々ながら了承の返事をした土方。
何はともあれ、こうして一組のカップルが誕生したのだった。

(16.01.30)


というわけで何とかくっつきました。続きはお家デート……の前に土方くん視点で振り返ります。
ここまでお読み下さりありがとうございました。

追記:続きはこちら

ブラウザを閉じてお戻りください