<五>


土方十四郎にとって坂田銀時は、幼き日の初恋の面影であった。
十年以上も昔、幼稚園に通っていた頃のこと。担任の先生に会うのが楽しみで仕方なく、日曜にも登園したいと駄々を捏ねて親を困らせていた。
当時はまだ、恋という言葉も知らぬ子ども。しかもその後、恋とは異性に抱く気持ちだと教わったものだから、同性の先生に対する感情が初恋であったのだと気付いたのは、大分後になってからだった。
小学校後半では自分の性癖を理解して悩み、中学で吹っ切れた。それを知りつつも気さくに付き合える友人を得たことと、恋人ができたことによる。それでも差別発言を繰り出す輩は拳で黙らせるだけの力もつけた。

高校に入り、初恋の先生とそっくりな同級生を見付けた時には驚いたものだ。中学からの友人が幸運にも同じクラスであったため紹介してもらい、名字から先生の血縁者だと推測している。
だからといって、碌に知りもしない人を好きにはならない。ゆえに別の男との交際を続けていた。
土方が現在までに交際したのは六人。一番長く続いて一年程度。全て相手の告白から始まった関係で、来る者拒まずが基本ではあったけれど、それなりに恋愛感情も持つに至っている。

そんな土方が態度を変えたのは高校三年生になって少ししてから。

久しぶりに自分から恋をした。ずっと気になっていた存在と初めて同じクラスとなり、その人となりに触れて好きになったのだ。
そうなってしまっては、大して好きでもない相手と交際している場合ではない。適当な理由を付けて別れを告げ、さてどうしたものかと作戦を練っていく。
そんな折、意中の人と一対一で話す機会がやって来た。
「坂田……?」
「あ、えーっと……」
こそこそと盗み聞きなどする男でないことは承知の上、聞いていたのかと強めに問えば観念したかのように頷いてくれる。これで己の恋愛対象を知ってもらえた。
と思ったのに、
「タイプじゃなかった?」
「は?」
理解されていないのかと苛立ちを覚える。最終的に、分かってくれていて、尚且つそれに嫌悪や侮蔑を感じていない様子であったからよしとした。

昇降口を過ぎても坂田との会話は途切れず、更衣室まで来てしまう。土方がマネージャーに呼び止められていたために着替えが遅れ、他の部員はもう帰宅していた。
言わばここは二人だけの密室。そんな状況で平然と服を脱げる自信はない。
「見てぇならそれでもいいけどよ」
敢えて挑発的に言ってやれば案の定、出て行ってもらえた。
「フー……」
両手を頬に当てれば温かい。紅潮は部活直後とごまかせただろうか――土方は息を吐きながらへたり込んだ。寄り掛かったスチール製ロッカーの冷たさがとても心地好く感じる。
膝立ちでロッカーを開け、取り出したスマートフォンに沢山のメッセージが届いていて舌打った。
『やり直したい』
『話し合いたい』
『電話でもいい』
『受験が終わるまで待つ』……
去年卒業した先輩である元恋人からの熱い思いも、気持ちが冷めてしまえば鬱陶しいことこの上ない。受験が原因の別れではないし、そもそも、向こうだってまだ受験生。未練がましくしている場合ではないはずと呆れるうち、また新たなメッセージが届いた。
『新しい人できた?』
「……まあな」
画面に向かい、相手に届かぬ形で返事を呟く。その時、妙案が降ってきた。カーテンの隙間から密かに表を確認すれば、律儀な同級生はやはり土方を待ってくれている。
『これから駅前のスタバでデート』
虚偽の返事を送ると急いで制服に着替え、何食わぬ顔でドアを開けるのだった。

「電車か?」
「ああうん」
通学途中に見掛けたことがあり、電車通学なのは知っているけれど知らぬふり。寄り道の誘いに乗ってもらえたことに、ゲイと知りながらもクラスメイトととして接してもらえることに安心した。


「いらっしゃいませぇ」
「アイスコーヒー」
素早く注文して席の確保。外からよく見えて坂田と横並びに座れるところを選ぶ。「恋人役」を待つ間にスマートフォンを起動させれば、新恋人への嫉妬と、それでも変わらぬ愛の篭ったメッセージを多数受信していた。
「お前、甘いもの好きなのか?」
「そういうお前はブラック?信じらんねぇ……」
過去の男との繋がりは鞄に仕舞い、学校のことや受験のことなど、当たり障りのない話題で時間を潰す。今が夏で良かった。赤い顔を気温のせいにできるから。
「土方は塾とか行ってる?」
「いや。部活があったからな。夏期講習は行くけど」
「俺もそんな感じ」
「坂田は何部なんだ?」
「帰宅部」
「ハハッ。塾行けるじゃねーか」
知っていることも初めて聞いた体で笑えば、それに坂田も笑い返す。土方にとって夢のような時であった。
しかし何事にも終わりはある。店の外に発見したのはバッグに押し込めた昔の思い出。ほんの一瞬、一秒にも満たない時間だけ視線を交わらせて外し、隣にいる何も知らないクラスメイトに接触を試みる。わざと耳元へ息を吹きかけながら話してみても、動揺は見て取れたものの拒絶はなかった。
「もしかして……元彼?」
「正解」
坂田のうろたえる姿に思わず笑みが零れる。明らかに友人に対するそれとは異なる態度。坂田もこちら側だなどと楽観視はしないけれど、少なくとも自分の恋愛対象になり得るのだということは分かってくれているらしい。つまりは意識させることに成功したのだ。
これが作戦の第一段階。
逃げ去った過去に心の中で最後の別れを言って、可能性を見出した未来からも一旦手を離す。焦りは禁物。意識させ過ぎては引かれてしまいかねないから。

それでもこのくらいはと翌日、イチゴ牛乳を贈る土方であった。

*  *  *  *  *

夏休みに入り、土方は本格的に受験勉強を開始する。志望校はとっくに決まっていて、それでも今までは部活動を中心に日々を過ごしていたから。
塾で勉強し、家に帰ってもまた勉強……机に向かってばかりいるのも疲れると、この日は少し遠くの図書館まで足を運んでみることに。自転車を漕ぐこと二十五分。炎天下の運動は土方の体からみるみる水分を奪い、持って出たペットボトルは学習を始める前に空となった。
だが肉体的な疲労感とは反対に頭はすっきり冴えている。苦手な英語も今ならできそうだと勇んで問題集を開いた。

一時間ほど経過した頃、普段より捗る作業に満足しつつ、凝り固まった筋肉を解そうと首をゆっくり一回し。その時、視界の隅に愛してやまない銀髪を捉え、心臓が跳ねた。
運命的な出会いが起こるなんて都合のいいことがまさか……見間違いだろうと自分に言い聞かせ、恐る恐る入口を向けば、運命の人は確かにそこにいた。微笑み手を振る彼に笑顔を返すも入ってくる様子はない。しかし去ることもしないから、何か話でもあるのかと勉強道具を片付けて外へ出た。

自然と火照る顔を冷ますために飲料を購入し、近付き過ぎない位置に腰を下ろす。
「えっと……なんか、ごめん……」
用事があったわけではないと謝る同級生だが土方は胸を撫で下ろしていた。わざわざ呼び出してする話題とは何か、もしや自分の思いが悟られたのではないかと危惧していたところ。
この近くに住んでいると言う坂田。当然のように知っていたが、初耳ということにした。

土方少年の名誉のために説明すると、何もストーキングをして家を突き止めたわけではない。土方の思いを知っていて坂田とも交流のある沖田が、何かにつけて情報を持って来てくれるのだ。その対価として沖田の宿題をやらされたり、焼そばパンを買って来させられたりするのだが。

けれど志望校が同じであったことは本当に初めて知った。得意科目こそ異なるものの全体的な成績は似たり寄ったりだから目指すところが一緒でも不思議はないが、まさか学部までとは驚きだ。
これなら長期計画で落とす作戦も考えられるか――
「じゃあこれから一緒に勉強しねぇ?何なら今から家に来る?」
「え……」
しかし家に誘われて気分は急降下。土方がなりたいのは友人でも仲間でもない。このままほいほいと付いて行けば、辛い受験を共に乗り越える同志の地位を獲得してしまう。そうなってから「実は……」などと思いを告げたら最後、よくも騙していたなと怒りを買い、絶交されかねない。ゆえに同じクラスでいながら、敢えて近付こうとはしないでいたのに。
「悪ィ……」
「あ、今日は無理?なら明日は?明後日でもいいよ」
「いや、その……」
付き合いが悪いヤツだとむやみに評価を下げるくらいなら、今言ってしまった方がマシだろうか。
ペットボトルを握り締めた手が微かに震えている。それでも何とか気合いを入れて顔を上げた。
「お前のことが好きだ」
「…………」
呆気にとられたクラスメイトの表情から、既に遅かったかと後悔する。二人で下校できたあの日から、もう友達付き合いは始まっていたのだから。
今まで黙っていて悪かったと謝罪して、それが限界だった。みっともない姿を見せる前に立ち去らなくてはと立ち上がれば、腕を引かれてしまう。離してくれと懇願しても叶わず、何かを言い淀む坂田の様子がおかしいと気付いた。
「とっ、友達じゃない付き合いなら……できんのか?」
「意味分かって言ってんのか?」
「分かんねーよ……」
「あ?」
自分の思いが通じたのかと浮足立てば「分からない」と返される。
「俺は、男を好きになったことなんてねぇし……世界で一番可愛いのは結野アナだと思うし……でも、お前のこと考えるとムラ……ドキドキするし……。今日だって、会えて嬉しかったし……もっと仲良くなりてぇなって……仲良くなって、一緒に勉強して、受かったらそれからかなって思ってたけど……」
光栄なことに自分で同性愛に目覚めてくれるとは――坂田への愛しさが募り、口が勝手に「もういい」と動いていた。一応、両思いのようだが目覚めたばかりの戸惑う坂田と交際を始めるのは得策でない。なのに、
「俺をお前の彼氏にしろ」
負けず嫌いの性格ゆえかこんなことをのたまう坂田。自棄で付き合っても仕方がないとやんわり断りを入れるも、家に来いと誘われてしまった。
「後悔しても知らねーぞ」
自分の告白から始まったはずが、なぜだか受け入れる側に回っていて、何はともあれ心から好きな人と恋人同士になれたのであった。

(16.02.05)


次回はお家デートで18禁の予定です。まずはここまでお読み下さりありがとうございました。

追記:続きはこちら(注意書きに飛びます) 

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