<二>


最寄駅から自宅までは徒歩五分。坂田はこの日に限ってそれがやけに長く感じていた。滴り落ちる汗を手で拭いつつ、砂漠でオアシスを探すがごとく、家はまだかと歩き続ける。

同性愛など珍しくはない。

知識としては当然あったし、知り合いの知り合いにもいると聞いたことがある。けれど、当事者と話をしたのは今日が初めて。しかも女子に人気の土方が――今日以外にも、何人かから告白を受けたという噂を聞いたことがあった。美人で有名な先輩や、ファンクラブがある子まで。
坂田はコーヒー屋で「紹介」された先輩の顔を思い浮かべてみる。が、元々男の顔を覚えるのが苦手なことに加え、さして印象に残らぬ顔立ちである。ぼんやりとしか思い出せなかった。
そうそうたる面々をフッて付き合う価値のある男には到底思えない。

「ただいま……」
やっとのことで家に帰り着いた坂田。足元をふらつかせながら自室に入り、ベッドへ倒れ込んだ。
酷い疲労感に襲われて目を閉じた坂田はまだ、今日初めて会話らしい会話をした同級生のことを考えている。

あの先輩と土方がどのくらいの期間付き合っていたかは分からないけれど、自分を恋人に見立てた態度からするに、土方はべたべたするタイプなのだろう。そしてそういう時の土方からは妙なオーラが出ていた。その気のない俺でも少し……ほんの少ーしだけだがドキドキしちまうようなオーラが。
そんなオーラを、仮にも恋人という立場の野郎が浴びたら、忽ち興奮するに決まっている。そうしたらキスとか、もっと先のこととかをしたくなって当然だ。

ここで改めて、友人の元彼氏の顔を思い浮かべてみるも結果は同じ。
その程度の男とデートをするばかりか、キスをしたり、もしかしたらその先のことまでしたりしたのだろうかと考えると胃の辺りがムカムカした。
「男なら誰でもいいのかよ……」
あの色気のようなものは「経験」のなせる技なのかもしれない。アイツが抱く側なのだろうか。それとも抱かれる方か。一体、これまでに何人の男を手玉に取ってきたのだか。真面目そうな顔をしてとんでもなくスケベなヤツだ。
「…………うおいっ!」
クラスメイトの淫らな姿を想像し、下半身が僅かに疼きだしたところで我に返った。叫んで身を起こし、自らに喝を入れる。
「やっべぇ……」
開ける必要のない扉を開けるところだった。土方十四郎、恐ろしい男だ。今後は距離を置くことにしよう。他人の趣味をとやかく言うつもりはないけれど自分とは合いそうもない。ただそれだけ。
「俺には結野アナがいるもんね」
スマートフォンを操作して、お気に入りのキャスターの写真を表示させる。今回目に留まったのは夏の特番で浴衣姿になった時のもの。
それを枕に立て掛けて正面に座り、ベルトを外して前を寛げた。
「ふっ……」
火照る体の最も熱い箇所を扱きつつ、頭の中で浴衣の帯を解いていく。
どうせなら水着姿を見られないだろうか……いやいや、何を言うか銀時。そうやすやすと人前で肌を晒さないのが結野アナの良い所ではないか。簡単に生着替えを披露しようとした土方とは大違い。
「んっ」
とろりと溢れた露は上下する手によって全体に塗り広げられていく。
剣道部の連中は毎日アイツの着替えを見てたのか。袴ってエロいのな。体の線が出ないから余計に妄想を掻き立てられる。袴の下がノーパンでも勃っていても分からないではないか。けしからん。
「は、ん……」
きっとそうして次々に男を誘惑しているのだ。先輩から告白してきたと言っていたけれど、土方のピンクの気にやられたのではないのか。
「くっ!」
精を吐き出して思考は中断。傍らに置いていた箱からティッシュを抜き取り股間を覆う。放置されて画面が真っ暗になったスマートフォンが視界に入り、坂田の時間はぴしりと止まった。
常ならば気分の高揚に応じてもう二、三枚、より際疾い画像に切り替えて致すところ。なのに今、果てた己は何を見ていたのか……

汗がどっと流れ、目眩がする。

クーラーを点け忘れたせいにしてリモコンでスイッチを入れた。
「…………」
いい具合に頭も冷やしてくれる心地好い風を受け、少年はベッドに横たわる。そして恐る恐るスマートフォンを手に取ると、スリープ状態を解除した。
「……うん、大丈夫」
現れた笑顔の女性に心が和む。その変わらぬ思いを確認して安堵した。
暑さと受験のストレスが原因だろう。

夕刻近いというのに外は未だ三十度を超えていて、ぎらぎらとした熱に坂田は身も心も溶けてしまいそうだと感じた。

*  *  *  *  *

翌朝。あんなことをしてしまったベッドで呑気に朝寝坊などできるはずもなく、普段よりも早い時刻に登校した坂田。きょろきょろと辺りを見回しそそくさと靴を履き替える。教室に着けば土方はまだ来ておらず、胸を撫で下ろして自身の机に突っ伏した。
寝不足なのは事実であるし、今日はこうしてやり過ごそう。
「朝から寝るとは何事だ」
「朝だから眠ぃんだよヅラ」
それから坂田は級友の桂に話し掛けられても、
「金時、起きるぜよー」
「うるせぇな」
声のデカイ坂本に背中を叩かれても、
「おい、何冊乗るか賭けねぇか?」
悪友の高杉が頭上にノートやら教科書やらを積み上げても、起きようとはしなかった。
しかし授業中もその調子とはいかず、教師に窘められて渋々顔を上げるのだが。


「坂田」
二時間目と三時間目の間の中休み。十五分ある休憩時間にトイレへ立ったのが運の尽き。廊下で土方に呼び止められてしまった。
「な、なに?」
「昨日は悪かったな、変なことさせて」
柔らかな笑みで謝る男は例のピンクオーラをそこはかとなく漂わせている。一刻も早くそれから逃れたいのだが、おそらく土方に自覚はない。ただ話しているだけのクラスメイトを避けるなど以ての外。坂田の正義感が靴底と廊下をしっかり貼り付けていた。
「だ、大丈夫だって言っただろ」
「おかげで先輩と完全に切れた。ありがとな」
「お、おう……付き合う相手、ちゃんと選んだ方がいいぞ」
「次はそうする。あ、これ良かったらもらってくれ」
礼と詫びを兼ねて――ピンクオーラの男からピンク色の紙パック飲料が手渡される。それは坂田の愛飲するイチゴ牛乳であった。
「何でイチゴ牛乳?」
「昨日、似たようなの飲んでたから好きなのかと。嫌いだったか?」
「いっいや好きだけど。……イチゴ牛乳がね!」
慌てて目的語を付加したことで、逆に他のものが好きなのだと言っているようなもの。俺が好きなのはイチゴ牛乳だけだからと心の中で何度も唱える坂田。
「じゃあ」
「あ、うん……」
祈りが通じたのか土方は教室へ。冷たい紙パックを握り締め、坂田は暫し廊下から中の様子を伺う。
友人の輪に戻った彼からはもう、妖しげな空気を一切感じなかった。

(16.01.09)


この二人の初エッチがどうなるかはだいたい決まっているのですが、どうくっ付くかが決まっていません^^;
こんな行き当たりばったりな作品にお付き合いいただきありがとうございます。

追記:続きはこちら 

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