十年目の誓い
都立集英高校ならびに附属中学校の社会科教師。楕円型シルバーフレームの眼鏡をかけ、背広の上に白衣。平均的な日本人より高い身長。細身で筋肉質。今年で二十七歳。独身――土方十四郎が社会人となって五度目の春。五年目を迎えた教員生活を、彼は例年通り職員室で過ごしていた。 生徒はまだ春休み。年度が変わるこの時季にやることは多い。部活動の生徒もなく静かな校内で、教職員だけが忙しなく動いていた。 土方は持ち上がりで中学二年生の担任となるが、新しく赴任する先生も同学年を担当することに決まっている。どんな人が来るのだろうかと期待や不安が入り混じる気持ちは、生徒と変わらないのだと改めて思う。
それが、国語の教師であるからなおのこと。
土方は高校時代、自身の担任で古典を教えていた男に恋をした。 己の性癖を突き付けられ、悩みに悩んだ挙げ句、本人を前に吐き出した思い。 「先生ってなァ良くも悪くも特別な人間に見えちまうもんなんだよ。だからな、十年経っても気持ちが変わらなかったらまた来い。そん時ァ一人の男として答えを出してやるからよ」 遠回しに振られたということは分かった。けれど、男同士である点に一切触れられなかったことで土方の思いは寧ろ膨らみ続ける結果となる。この人のような広い心を持った教師になりたいと、尊敬の念すら抱くまでに。
そのような理由で教育者となった土方は、理想の教師像を目指し日々邁進していた。視力は悪くないのに眼鏡をかけ、目標とする男の視界を感じながら。 「皆集まってるか?」 「はい」 校長室へと続く扉があちら側から開かれ、佐々木異三郎副校長が返事をすれば、松平片栗虎校長に続き、やや緊張の面持ちの三人が職員室へ通された。 「――!」 新任の先生三人のうちの一人を見て土方はイスを倒す勢いで立ち上がる。何事かと部屋中の視線が集中するなか、それを二分する言葉が件の教員から発せられた。 「土方くん?」 「先生!」 互いの呼称で周囲も理解した。校長の隣に立つ銀髪の男が土方先生の恩師なのだろうと。 その仮説はすぐに裏付けられる。 「えー申し遅れました。坂田銀八です。そこの土方くん、いえ、土方先生がいた銀魂高校より転任して来ました。よろしくお願いしまーす」 元の位置にイスを戻しながら土方は逸る心を宥めるのに必死であった。空席は自分の隣の他に二つ。残り二人の新任の受け持ちは国語と英語。どちらの国語教師がこちらへ来るのか…… 「土方先生は教え子でしたか」 「といっても手のかからない生徒だったんで、私が教えたことなんて一つもありませんでしたよ」 副校長の質問にも物怖じせず飄々と応じる様は変わっていないと懐かしさを覚える土方。そして待望の時が訪れる。 「校長先生、予定通りでよろしいですか?」 「ああ」 「では坂田先生には中学二年B組の担任を――」 他の先生の受け持ちなど、土方の耳には入ってこなかった。憧れの先生に今の自分はどう映るだろうか。立派な教師になれているだろうか。 「よろしくお願いしまーす」 「おっお願いします!」 全体への自己紹介を終えて自席――土方の隣――に腰を下ろした坂田。緩い挨拶へ機敏に頭を下げられて、どちらが新任か分からないと苦笑い。 「ここでは土方先生が先輩なんですから、そう畏まらずに」 「いえっ、教師としては先生の方が先輩ですから」 「でも中学生に教えるのは初めてですよ」 中学の教員免許を持っているだけで、中高一貫校で教えた経験はなかった。大丈夫ですよ、と向かいに座る教師が微笑む。 「あ、学年主任の近藤です」 どうぞよろしくと出した手に会釈のみで返されても気にせず、アドバイスをしてくれた。 「今の高校生だって少し前は中学生だったんです。そう考えれば安心でしょ?」 「はあ……」 何ら具体的な助言はなかったものの、もとよりやるしかないと引き受けた話。自信があるわけではないが、やってできないこともないと思っている。 ただ一つ、最も記憶に残っていた教え子の存在が誤算ではあったけれど。
* * * * *
「土方先生、良かったら一緒に帰りません?」 「あ、はい」 転任初日、坂田は早速行動を起こした。今の彼に自分がどう見えているのか、想像するだけでは正解に辿り着くはずもない。ならば下手に同僚としての地位が固まる前に進めてしまえと。
高校二年生だった当時、酷く思い詰めたような顔をしていた土方に「担任として」相談に乗ろうとした。苦悶の表情で愛の告白をしてきた生徒。自分とあまり変わらぬ体格の男がやけに小さく見えて、失いたくないと、生きる希望を見出だしてくれたらと未来の話をした。 それは自分の取り越し苦労であったのか、翌日から彼は至って普通の、否、驚くほど優秀な生徒になっていく。学年トップの成績で、剣道部の副将として全国大会へ導き、教科担任でない先生にまで名前を覚えられる存在。関西の難関国立大学の法学部に現役合格したのも学校始まって以来のことだとか。だから卒業式の答辞に選ばれたのも当然の帰結。悪戯好きなクラスメイトに原稿を白紙にすり替えられたにもかかわらず、見事な答辞を披露して、「伝説の生徒」などと密かに呼ぶ教師もいたくらい。
そんな何でもできる男から、一時でも好意を寄せられたなんて誇らしい。誰に自慢するでもなく、胸の内に大切にしまっておいた思い出のアルバムを、紐解く日が来ようとは。 最寄駅まで連れ立って歩くだけでも何だかこそばゆい。 「土方先生は実家暮らしですか?」 「一人暮らしです」 「そうですかァ。どちらで?あ、私は甘味多縞(あまみおおしま)なんですけどね」 「えっ!」 三年前に引っ越しをしたから、さりげなく今の住居を伝えることに成功。けれどなぜビックリされたのだろうか。 「あの、何丁目ですか?」 「三丁目。もしかして土方先生は……」 「一丁目です」 聞けば大学を出て就職してからずっとそこに住んでいるとのこと。今日、自分にとっての彼は単なる元教え子から同僚に変わった。それだけでなく「ご近所さん」という繋がりも追加されれば、坂田の気分は否が応でも盛り上がる。 「折角だから、ウチでメシ食って行きませんか?」 「そんな、悪いですから」 「いいじゃないですか。こう見えて結構、料理上手いんですよ」 「それは知ってますけど……」 昔から手作りの弁当を持参していたし、調理実習の材料の余りでこっそり菓子を作っていたのも見たことがあった。しかし土方の態度が今一つ煮え切らない理由は他にある。
あの告白が忘れ去られたのではないかという危惧。
共に働くため、何もなかったかのように振る舞ってくれているのだと思っていた。だが現状からすると本当に何もなかったと思っている節がある。でなければ十年も前とはいえ、自分を好きだと宣った男を部屋に呼ぶわけがない。 「先生、あの……」 「おいでよ。昔のことも話そう、土方くん」 「……はい」 一瞬「先生」の顔になった坂田。その懐かしい口調は、覚えていると暗に示してくれた。 何もなかったことにしようと釘を刺したいのか――恩師の思惑を誤解したまま、土方はその人の城へといざなわれていった。
(15.08.28)
3Zその後、W教師編です。今後の展開は殆ど考えてないのですが、年齢制限は付かない予定です。
追記:続きはこちら→★ |