中編


じりじりと照り付ける日差しが地面のアスファルトにも反射して太陽の力を見せ付ける。ふいに触れたガードレールは土方の指先を痛々しい薄紅色に染め上げた。携帯電話は恋人からの電話やメールで頻繁に震えているが何れにも応答していない。
炎天下の中を歩き続けて三十分、駅が見えた所でコーヒーショップに入り、土方は涼を取っていた。
己が史料館を後にする時、坂田はまだ衣装のままであった。それからすぐに着替えて追いかけたとすれば、もう家に着いている頃合いであろう。自分が史料館を出て、最寄り駅とは反対方向へ歩いていたとも知らずに。

一人暮らしをしている土方はアパートの合鍵を坂田に渡していた。

学年が違うせいで共通の知人はいない。自分が家にいないと知ったら近所を探し回るだろうか。部屋で待っているだろうか。それとも、愛想を尽かして自宅へ帰ってしまうだろうか――
そこまで想像を巡らせて身震いする土方。奇跡的に出会い実った恋なのに、己は一体何をしているのだと。
飲みかけのカップを返却口へと戻し、店を出た瞬間、不在着信の一番上の番号を呼び出した。
『もしもし!』
一コールが鳴り終わる前に、二人を繋ぐ見えない糸は修復されていく。
『トシさん?トシさんですよね!?』
「……ああ」
『良かったぁ……』
安堵のあまり座り込む様子が電話越しにも容易に想像できる。それに土方も腰が抜け、ふらふらと電柱にぶつかった。
「痛っ!」
『トシさん!?何かあったんですか!?』
「いっいや大丈夫だ。それより、すまなかった」
『俺の方こそ、調子に乗っちゃって……あの、今どこですか?』
「……西野駅」
『へ?』
何故そんな所に?と言外に聞こえてくるようでばつが悪い。土方はすぐに先へ進めた。
「今から帰るから、俺の家で待っててくれるか?」
『勿論です!いつまでも待ちます!つーか今も待ってます!』
史料館の最寄駅へ走ったが恋人の姿はなく、電車より早そうだからとタクシーで家まで来た。それから暫くドアの前に立っていたけれど土方は帰って来ず、自分がここにいるせいかと少し離れてみたものの成果はなく、電話もメールも返信はない。蝉時雨に急き立てられ、駅と土方の家とを駆け回っていたところの電話。見捨てられなかったことに涙が滲んだ。


「銀時っ!」
「あー……」
通話から一時間ほどして家主の帰宅。一日で最も暑い時間帯、「日当たり良好」が全くもってありがたくない季節に、あろうことか銀髪の恋人は日光の降り注ぐアパートの入口に立っていた。何で部屋に入っていないのだと慌てて駆け寄る黒髪を、捉える瞳も虚ろ。
「トシさんだー……」
力無く笑う坂田へ、飲めとスポーツドリンクのペットボトルを差し出すも、間接キスがどうとか言って受け取らない。
「ンなこと言ってる場合か!」
「俺はいいけどぉ……」
「あ、お前水筒持ってたな?」
史料館へ行く道すがらのことを思い出し、足元に転がっていた鞄からシルバーの水筒を取り出した。
今度は素直に口を付ける坂田。
「ぷはぁっ!あー、生き返った。ありがとうございまーす」
「ったく、気を付けろよ」
苦言を呈してからしまったと思う。そもそも炎天下で待つ原因を作ったのは己なのだ。坂田の優しさに付け込んで、感情的に姿を眩ませた己が悪い。
「とっトシさん?」
狼狽える恋人の鞄を持ち、片腕を抱えて腰に手を回す。介抱することが償いになるならと、恋人を支えながらエレベーターホールへ上がっていった。

三階の奥から二番目が土方の部屋。鍵を開け、中へ入れば、篭った空気で外より不快だ。土方はすぐに冷房をつけ、ベッドへ坂田を横たえさせた。
「あの、もう大丈夫ですよ」
先程だってちょっと日に当たり過ぎただけ。恋人に見限られなかったことにホッとして、暑さも忘れて立っていただけなのだから。
「いいから休んでろ」
心配と贖罪の気持ちでベッドから下りることを許可せず、自分は飲み物を取りに行くとキッチンスペースへ向かう。
八畳ほどのワンルーム。ここを訪れたことは何度もあるけれど、ベッドに寝るどころか触れたのも初めて。まだ早いまだ早いと自分に言い聞かせ、坂田はゆっくりと体を起こした。
「寝てろって」
呆れ気味に言う心配性な愛しい人へは、水を飲むために起き上がったのだとしておく。
離れて暮らす息子のために、実家から毎年大量に送られてくるペットボトル入りの経口補水液。その一本を土方は、軽く蓋を回して恋人へ差し出した。
「ありがとうございます」
「いや」
礼には謝罪で返し、自身もベッドへ腰掛ける。うっかり雪崩れ込みたくなる気持ちを、看病中だと押し殺して。
「展示、最後まで見られなくて悪かったな」
「もう謝らないで下さい。一人で楽しんでた俺が悪いんです。もう二度と、トシさんを土方十四郎に見立てたりしません!」
断腸の思いで高らかに宣言したのだが、それは別に構わないとあっさり翻されてしまった。
大好きな恋人が大好きな歴史上の人物に成り切ってくれるなら、こんな幸せはない。しかし、ではなぜ怒って出ていったのだろうか。ストレートに尋ねてみれば、決まりが悪そうに呟いた。
「そりゃあ、俺は女に興味ねぇけどよ……お前とだって一緒に写真撮ってねぇのに、何で見ず知らずの女となんか……」
「あ……」
いつものデートなら、若干うざがられるくらいに土方とのツーショット写真を撮りまくっている。それが今日は制服姿をより理想的な形でカメラに収めるのに精一杯で、二人の思い出作りをすっかり失念していた。
ペットボトルを床に置き、坂田は両手で土方の両手を握る。
「本当にすいませんでした。あのっ、今から写真撮りましょう!」
「次に出掛けた時でいいって。つーか、写真は切っ掛けに過ぎねぇんだ……」
「トシさん?」
自身の爪先を見て笑う、黒髪の隙間から辛うじて見えた顔は今にも泣き出しそうで、坂田の心臓をきゅうと痛め付けた。
視線を落としたまま、土方が口を開く。
「ジィさんが、土方十四郎の刀だと言い張るもんを持っててよ……」
「えっ!」
土方の祖父は自分が土方十四郎の子孫だと信じており、それを決定付ける本人の日記もかつて見たことがあると話していた。
「ジィさんのことだから眉唾物だと思ってたんだが、実物を見てみたら結構それらしいもんに見えてな……でもあの史料館にあるやつとは違ってた」
「あー……」
「やっぱり俺は土方十四郎の子孫じゃねぇんだと再確認して……で、俺を土方十四郎にして喜んでるお前見てたら何だかやり切れなくて……」
「トシさん!」
悲しみに暮れる恋人を、坂田は勢いよく抱き締めた。そして以前、交際を始めた時に言った台詞を繰り返す。
「俺は、トシさんがトシさんだから好きなんです」
「銀時……」
「先祖が誰でも関係ありません!」
「銀時っ!」
抱き締め返した土方は、愛と安らぎの言葉の出所に己の唇を重ねた。
「んんっ!?」
僅かでも行動を起こしてしまえば止められない。戸惑われているのに気付いても、坂田の口内に舌を侵入させずにはいられなかった。

それは二人にとって初めての深い口付け。

熱い吐息と共に離れた唇同士は刹那、儚く細い透明の橋で繋がれた。
「トシ、さん……」
「こういうのは、嫌か?」
「いっいいえ!ほぼ毎日トシさんでヌいてますし!あ……」
驚きと焦りで余計な一言。くすりと笑った土方の顔は、下半身を直撃する妖艶さを纏っていた。
「じゃあ今日は、俺がヌいてやるよ」
「えええええ……」
いつの間にかベッドに押し倒されていて、膨らみ始めた股間をひと撫で。
「はうっ!」
たったそれだけで。なのに今まで味わったことのない感覚に体が跳ねた。再びキスをされれば目を閉じるほかはなく、赤い光のちらつく瞼の裏を見ながらも、下腹部をまさぐる手の動きがやたらと鮮明に感じてしまう。
自分も何かした方がいいのかと迷ううちに、恋人は一人で体を起こし、Tシャツを脱ぎ捨てた。
「銀時……」
「おっ俺も脱ぎますね」
Tシャツの裾から滑り込む手の平にぞくりと背筋を震わせる。それでも坂田は己の矜持を奮い立たせて自ら肌を晒した。
さすればそれを了承と捉え、土方は銀髪を枕に乗せてそのベルトを外しにかかる。
「っ――!」
あれよあれよといううちに一糸纏わぬ姿にされて、嫌ではないが恥ずかしい。毎日のように妄想していた恋人との触れ合い。自ら触れたり触れられたり……色々なパターンを思い描いてきたけれど、これ程までに艶の増した土方に迫られるなど完全に予想外。体はどうしようもなく高ぶっているのに、頭では恋人の豹変が受け入れられず、これまでの穏やかな時間が走馬灯のごとく駆け巡っていた。

(15.08.18)


後編に続きます。更新まで少々お待ち下さいませ。

追記:続きはこちら(18禁ですが直接飛びます)