ひと夏の体験
とあるマンションの一室。けたたましい蝉時雨は住宅用窓ガラスなど容易にすり抜け、クーラーの
きいた室内にも外の暑さを遠慮なく届けてくれる。そんな何の変哲もない夏のある日、
「ふ……んっ、ハッ……」
坂田銀時は自分のベッドに足を開いて座り、自らの後孔に指を入れ、快楽に身を委ねていた。
夏休みが始まり一週間。宿題もゲームも「友達」とすると決めているから一人の時にすることと
いったらこれくらい。
「あ、んんっ……」
二本の指で前立腺を押せば、堪えきれない声が漏れて唇を引き結ぶ。
家族の帰宅時間はまだ先だけれど、隣近所に聞こえないとも限らない。
(十四郎……)
思い浮かべるのは同じマンションに住む幼馴染みの土方十四郎――先程の、宿題やゲームを
一緒に進めようとしている「友達」である。
保育園からずっと一緒だったのに、高校に入って初めてクラスが分かれた。その時は酷く落胆し、
高校を辞めようとすら思ったものだ。
翌朝、いつものように十四郎が迎えに来てくれたので普通に登校してしまい、気付けば一学期は
無遅刻無欠席だが。
「ハァ、ハァ……」
十四郎以外にも親しい友人は沢山いる。それなのにどうして十四郎だけが別格なのか……
その答えが判明したのはつい半月ほど前のことだった。
* * * * *
「坂田お前、C組の土方と仲良かったよな?」
「ああ」
他愛もない雑談の中で、そういえば、とクラスメイトが出した話題。
「アイツ、沖田先輩と付き合ってるんだろ?」
「は?」
その言葉に、頭上へ金盥が降ってきたような衝撃を受けた。土方と沖田先輩が……?
沖田先輩―沖田ミツバ―は、彼らより一つ上の二年生で土方の所属する剣道部のマネージャー。
優しくおしとやかでおまけに美人。男子だけでなく女子にとっても憧れの存在である。
「うそ、だろ?」
これだけ言うのが精一杯であった。
心臓が痛いくらいに収縮し、まるで血の巡りが止まったように体が冷たくなっていく。
「俺も本人に聞いたわけじゃないけどな」
「土方と沖田先輩だろ?マジで付き合ってるらしいぞ」
話に加わった別のクラスメイトから決定的な台詞が発せられた。
「C組のヤツに聞いたんだけどな、この前沖田先輩が土方にノートを届けに来たんだと。
しかも、昨日ウチに忘れたでしょ、とか言って!」
「ウチに!?くっそー、羨ましいな!……坂田?」
「あっ、ああそうだな……やっぱ、サラサラヘアーは違うね」
最悪な形で自覚してしまった幼馴染みへの思い――それを級友達に悟られるわけにはいかない。
「ウチに行ったってことは、沖田先輩と土方って……」
「いや。沖田先輩はそんなふしだらな人じゃないはずだ」
「ンなもん分かんねーよ。ああ見えて意外と、かもよ?」
「マジでか!やっべ……それ興奮する」
「オメーの女じゃねーだろ」
耳を塞いでしまいたいのを必死に耐え、銀時は黙って笑顔を貼付けていた。
* * * * *
十四郎に彼女がいると聞いた時にはショックでどうにかなりそうだった。しかし事情を知らない
十四郎は翌朝もいつものように迎えに来てくれたから、結局どうにもなっていない。
「あ、んっ……」
それどころかこんな風になってしまったのは、開き直ることができたから。
十四郎の口から彼女がいると聞いたわけではない。だとしたら単なる噂なのかもしれない。
もし本当だとしてもそのうち別れるかもしれない。とにかく自分に今できることは十四郎にとって
「いいヤツ」でいること。
そして、いつの日か十四郎と結ばれることを信じて備えること。
そこで男同士の付き合いについて色々と調べた銀時は間もなく、十四郎とのあれこれを想像して
自慰行為に耽ることが日課になったのだった。
「ん、んんっ……」
十四郎の一物はどのくらいだろうか……自分のそれを握って、ナカの指を三本にしてみる。
指を三本挿入するのはややキツかったけれど、十四郎のモノだと思えばむしろ興奮した。
* * * * *
数日後。部活が休みだと言う十四郎を銀時は宿題名目で家に呼んだ。
「何にもやってねーのかよ」
「まあな」
一緒にやろうと思ってと言えば、写させねーぞと優等生らしい返事。
「分かんないトコあったら教えてくれる?」
「……テメーの方が成績いいくせに」
文系に強い銀時と理系に強い十四郎。得意科目は異なるものの二人の成績は拮抗している。
だが直近の定期試験の順位は銀時の方が上だった。
「俺、過去は振り返らない主義だからテスト終わると全部忘れちまって」
「ったく……」
仕方ねェなと言いつつも頼られることは嫌いじゃない。そんな十四郎の向かいで銀時も宿題の
ノートを開いた。
「――ってことを部長が言ってな……」
「へぇー、そうなんだー」
「ああ」
二人でいるのに黙々と課題に向かうことなどできるはずもなく、徐々に手よりも口が動き始める。
最近部活で起こったことを嬉々として語る十四郎。少し前の銀時であれば楽しく相槌を打てた
ものだが、今は楽しそうに繕うので精一杯。
「銀時は部活やらねーのか?」
「なんか色々面倒そうだしなァ……」
「結構楽しいけどな」
「十四郎は昔から剣道好きだったからだよ」
「道場と部活は違ェよ。部活の方が『仲間』って感じがして俺は好きだな」
「美人マネージャーもいるしな……」
ずっと気に掛かっていたから思わず口をついて出た言葉。マズイと思った時には遅かった。
「ミツバさんのことか?」
「……うん」
親しげな呼称は、噂が真実であると確信するのに充分な証拠。だから十四郎から、
「ミツバさんみたいな人がタイプなのか?」
なんて聞かれた時にも、彼女を護らんとする彼氏の発言にしか聞こえなかった。
「全然タイプじゃねーし!」
「なにキレてんだ?お前からミツバさんの話振っといて……」
「あーはいはい、すいませんね……別に先輩奪おうとか思ってないんでご安心を!」
奪う――その語に十四郎は違和感を覚える。急に銀時が不機嫌になったことと関係がありそうだ。
「奪うって何のことだ?」
「だから奪わねーよ!」
そんなに先輩が心配なのかよ……物心つく前から育んできた俺達の友情も、彼女を前にしては
勝ち目がないのか……
「邪魔しねーから……先輩とよろしくやればいいだろ!」
「……は?お前、何言って……」
「まだ惚ける気か?お前と沖田先輩が付き合ってんのは知ってんだよ!」
「……付き合ってねーよ」
「えっ……?」
今度は十四郎が不機嫌になる番。事実無根のことで責められて……銀時とは、家族の次に長い
時間を共有してきた。もし自分に恋人がいるのなら、そんな大事なことを、銀時に知らせない
わけがないではないか。その程度の仲だと思われていたのか……
「付き合ってねェって言ったんだ」
「でっでも、先輩の家に行ったって……」
「行ったけど付き合ってねーよ」
「や、それはさァ……」
男が女の家を訪れて、それで「ただのお友達」もないだろう。
「ミツバさんは、総悟の姉さんなんだ」
「総悟くん……?」
「ああ」
その名前は知っている。銀時とは面識のない人物だが、度々十四郎の話に出てくるから覚えた。
十四郎が中学まで通っていた剣道場に通う男で、年下とは思えぬ程に強いとか……家に遊びに
行ったという話も確かに聞いたことがある。つまり、先輩の家に行ったのではなく、道場仲間の
友達が先輩だったというだけ……
「総悟くんって、沖田総悟くんなんだ……」
「ああ」
「そっか……なんだ……」
へなへなと全身の力が抜けるように安堵している銀時へ、十四郎は先程と同じ質問をする。
「……お前、やっぱりミツバさんがタイプなのか?」
「違ぇよ。俺が好きなのはっ――」
思わず口を滑らすところであった。先輩に気があるという誤解は解いておきたかったものの、
愛の告白はいくらなんでも時期尚早だ。しかし、他に好きな人がいるのだと言ってしまったも
同然で、それは誰だと問われる羽目になる。
「とっ十四郎はいないの?」
「お、俺はいねーよ。それよりお前は……」
「や……十四郎の知らない人だから……」
「…………」
長年の付き合いで銀時が嘘を吐いていることくらい十四郎にはお見通し。
銀時は誰が好きなのだろう。同じ学校の人だろうか……
その一方で銀時も十四郎の嘘を看破していた。沖田先輩は違ったものの、十四郎には好きな人が
いるらしい。それは一体……
「誰?」
「は?」
「十四郎の好きな人」
「だ、だからいねーって」
「嘘だろ」
「うっ……」
やはり銀時には隠し事などできない……だがここで、好きな人の名を口にすることもできない。
この場を逃れる術は……聞きたくないが聞くしかない!
「そっちこそ誰だよ」
「へ?」
「好きな人」
「だから言っても分からないって」
「いいから名前言ってみろ」
「……さ、さとうよしこ……」
「テキトーだろ。絶対ェ今作っただろ!」
「るせェな!俺はいいから十四郎の好きなヤツ教えろよ!」
「テメーが言ったら言ってやるよ!」
「お前が先に言え!」
「お前が先だ!」
むむむと睨み合い膠着状態。だが程なくして銀時がハァと息を吐き、張り詰めていた空気も霧散。
頭を掻き、顔を背けて唇を尖らせながら銀時は、聞いたら後悔するとぼそり。
「なんで、後悔するんだよ」
「友達やめたくなるから」
「だからなんで」
「俺だって、ちゃんと十四郎に紹介できる人、好きになりたかったけど……」
歯を食い縛り拳を固く握って俯く銀時。いつだってヘラヘラ笑って、「何とかなるさ」が口癖で、
実際、何とかしてしまう力もあるヤツが、苦悶の表情を浮かべている。
銀時の力になりたい――二人の間の机を退けて十四郎は銀時の両肩を掴み、正面から見据えた。
「言え銀時!お前が本気なら、俺は応援する!」
「無理だ!」
「無理じゃない!」
「無理だ!」
「無理じゃない!お前が好きになった人なら、どんな人でも俺は……」
「お前でもか!?」
「え……」
かっと目を見開いて十四郎の動きが止まる。
「ほら見ろ……やっぱ、無理じゃね、か……」
銀時の声は震えていた。
「冗談、だろ……?」
十四郎の声も震えている。
「じょ、だんじゃ、ねーよ……」
瞼の中に収まりきらなくなった涙が瞬きと同時に銀時の頬を伝った。
「とっ十四郎!?」
考える前に動いていた。
十四郎は銀時を抱きしめ、Tシャツの後ろをぎゅっと握る。
「ちょっ……あああああの……」
「嘘、だったら……二度と口利かねェからな」
「それって……」
別の意味で涙が溢れそうになる目を土方の肩へ押し当て、銀時もTシャツの背をきゅっと握った。
(13.02.19)
真冬に真夏の話ですみません^^; 銀時くん泣いちゃって、若干シリアスパート気味(当社比)でしたが、後編はいつもの調子のリバエロになる予定です。
アップまで少々お待ち下さいませ。
追記:前中後編になりました。中編はこちら→★
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