約束と呼べるようなものではないけれど


吾輩は猫である。名前はまだない――と、言いたいところだが俺には「ギン」という名前がある。
あまりよく覚えていないけれど多分人間が付けた名前だ。俺の毛の色は人間の言葉で「ぎんいろ」と
言うみたいだからな。
白に似ているが白じゃない。他の猫とはちょっと違うこの毛色を俺は気に入っていた。変だとか
おかしいとか果ては何かの呪いだとか散々なことも言われたが、この毛をキレイだと言ってくれる
ヤツもいる。ソイツが俺の好きなコだったから、俺は「ぎんいろ」で良かったと思った。

くりんくりんな毛並みは気に入らないけど。

俺の家は特に決まっていない。人間の付けた名前があるから昔は飼い猫だったのだろう。……よく
覚えてねぇけど。
捨てられたのか逃げ出したのか飼い主が死んだのかは分からねぇが、いつの間にか外で暮らして
いた。だからって人間を恨んじゃいねェよ。人間とも楽しくやってた記憶しかねェんだ。青っぽい
メガネのオスと赤っぽいメス……人間はオトコとオンナって言うんだったか? それと、人間より
でかい犬も一緒だった。あんなにでかい犬はウチ以外で見たことねェから、きっと、大金持ちの
家で飼われていたんだ。

よく覚えてねぇけど。

まあ、とにもかくにも俺ァ今、こうして気ままな野良猫生活を送っていて、それに満足している。
その昔、命を救われたとかでエサを運んで来てくれる猫も多く、食うものにも不自由しないしな。
……その辺もよく覚えてねぇんだけど。
聞くところによると、悪い宇宙人に攫われそうになった猫達を助けたらしい。でもみんなを助けた
のはホウイチってボス猫だった気がするんだよね。
「何だギン、また戻って来ちまったのか?」
「ん?」
噂をすれば何とやら――ホウイチのお出ましだ。のっしのっしと歩く様はまさしく「ボス」その
もの。いざという時頼りにはなるが、基本恐ろしいヤツ。だからホウイチが近付くにつれ、周りの
猫達は方々に散っていった。
「今度は何やらかした?」
「何のことだよ」
「フッ……まあいい。ゆっくりしていけ」
「おう」
言われなくても寛ぎますけど。ていうか、お前が来るまで寛いでたからね。ボスが来たせいで
ちょっとシャキッとしなきゃなんなくなっただけで、俺は生活の大半を寛いで過ごしてるからね。
おかげでいつも眠そうだの目が死んでるだのとバカにするヤツらもいるが、俺達猫は狩りの時以外
のんびりしているもんだろ? で、俺はさっき言ったように狩る必要もねぇから他のヤツより
のんびりが多いだけ。忙しく動き回るのは人間だけでいいんだよ。

ああでも、そろそろ行かないとな……

朝、目覚めてメシを食い、もうひと眠りしたら活動開始。寝床にしている神社の床下を抜け出して
俺は河原へ向かう。人間の言葉で「ふゆ」と呼ばれるこの時季はとても寒く、こうして日が照る
時間帯じゃないと動きたくないんだ。
細長い草を俺の鼻先で振る人間の子どもを無視して、「ナニアレモジャモジャ〜」と謎の呪文を
唱え笑う人間のオンナを無視して俺は固い土の上を歩いて行く。
丸い橋の下、段ボールの小屋が見えたら目的地はすぐそこ。俺は土手を駆け下りた。
「おっ、今日はシロが先か」
「にゃあ」
俺を「シロ」と呼ぶコイツは、橋の下の小屋に犬と暮らしているグラサンのオッサン――マダオと
いう名前らしい。猫の言葉は分からねェくせに毎回一方的に話しかけてくる変わった人間だ。
俺は小屋から少し離れた、日の当たる砂利の上に踞った。ここで昼間の大半を過ごすのが日課。
神社からわざわざこの場所に来る理由は、ここで待っててくれと誰かに言われたような気がする
から。でも例によってその「誰か」が何処の誰だかよく覚えていない。まあ、会えばきっと分かるさ。
さっき言った前の飼い主とも違う、なんか黒っぽい人間だったと思う。そんでもって、いつも煙を
吐き出して難しい顔をしているヤツだ。多分。
こんなあやふやな記憶しかねェんだが、何故かとても大事な約束だという確信はあって、俺は毎日
ここを訪れている。それに、別の楽しみもあるしな。


目的の足音が聞こえて俺は体を起こした。黒い人間の方じゃない。もう一つの方。
「おっ、クロも来たなー」
「にゃう」
マダオにクロと呼ばれたのは、「トシ」という名の黒猫。鋭い目付きとV字に長い額の毛が特徴の
オス猫だ。
「トシー」
「ギン!」
駆け寄ってくるトシに向かって俺も駆ける。
トシは広い家の庭で暮らしている猫だ。そこには他の猫も人間も沢山いて、ゴリラもいるみたいって
言ってたから、俺は「動物園」って所じゃないかと踏んでいる。つまりトシは飼い猫だ。それなのに
ここへ来るのは、俺と同じく人間と約束をしたっぽいからなんだと。
トシを待たせている不届きな人間は、俺に似た色の毛のオトコらしい。

『お前みたいにキレイな毛の色をした人間なんだ』

初めてトシに会った時、言われた台詞。
そう、この日から俺は「ぎんいろ」が好きになった。そして、トシのことが大好きになったんだ。
オス同士だって構わない。どんな発情期のメスよりもトシの方がずっとずっと魅力的だから。
トシに会えるから、約束の黒い男が来なくたって平気だった。
「ハァ……」
「トシ、疲れてる?」
「走って来たからちょっとな……」
ギンに早く会いたくて、なんて嬉しいことを言ってくれるトシ。俺達は愛し合ってるんだ。
いいだろ。
「水飲むか?」
「そうする」
「あー、ダメだよクロ!」
川に向かったトシをマダオが抱き上げた。俺のトシに触るな!
「フーッ!」
「違う違う、お前の相棒は取らねぇって。クロが川に落ちそうだったから助けただけ」
マダオは自分の小屋のすぐ横にトシを下ろした。俺も急いでそっちに走る。
「大丈夫か、トシ!」
「ああ。アイツは危険な人間じゃねーよ」
「でも水が……」
「持って来てくれたぞ」
川は「ぞうすい」がどうとか言って、マダオは皿に水を汲んでトシの前に置いた。俺の許可なく
トシに触ったのは許せねぇけど、ちゃんと水を用意したから引っ掻くのは止めてやろう。
マダオの皿からぴちゃぴちゃと水を飲むトシを見ていたら、俺も喉が渇いてきたので皿に顔を
近付けた。ちょっと飲みにくいけどトシにぴたりと体を寄せれば、トシの尻尾が俺の尻尾に絡む。
水よりも別のモン舐めたいなぁ……

ふいに、冷たい風が吹いて皿が転がった。水はもういいか――トシにぺろっと口元を舐められて、
俺達は小屋の裏手に回る。段ボールと土手の間、人間も犬も入って来られねぇこの隙間は、俺達
だけの秘密基地。
「ギン……」
「トシ……」
向かい合わせに座り口と口をくっつけて舌で舌を舐める。この行為に何の意味があるんだか……
でもトシとこうするのは好きだし、この時間を邪魔されたくはない。
また少し強めの風が吹く。それに後押しされて俺は右前足でトシの身体を引き寄せた。
「うにゅ」
「にゃふぅ」
冷たい風などものともせず、俺達は発情していく。季節なんて関係ない。俺はトシと、トシは俺と
会えば発情する仕組みになってんだよ。トシに穴があったら入れたいし、俺に穴があったら入れて
欲しい。俺はトシから口を離した。惚けた瞳に見詰められ、益々気分が高まっていく。
いつもそこで何してんの――マダオの声がしたが無視だ無視。ここからがイイところなんだから。

「後ろ向いて」
「んっ」
トシに向きを変えさせて、今、俺の前にはトシの尻尾。これから俺がすることをトシはもう
分かっていて、ふわりと尻尾が浮いた。
出て来た窄まりへ俺は舌を当てる。
「うにゃあ……」
途端、力の抜けたトシの尾が頭の上に落ちてきた。俺はその場で舌を出したり引っ込めたりを繰り
返す。これは、突っ込んだり突っ込まれたりができない代わり。一度、ここに入れてみたことは
あるんだけどチ〇コの棘で傷付けちゃって……痛がるトシの猫パンチで命の危険も感じたことも
あり二度としないことを誓った。

だからここはつつくだけ。こうしながら前足でトゲトゲチ〇コをちょちょいと触れば、
「にゃあっ!!」
トシはイッて砂利の上にへなへなと座り込んだ。その背中にぴたりと張り付いて俺も腰を下ろすと
間に挟んだ黒い尻尾が俺の股間でうねうねと動き出す。
「あにゃ!」
今度は俺の番。場所を入れ替えれば、トシの舌がケツの穴をぺろぺろ……いや、ざりざりだな。
猫の舌はざらついてるから。優しく舐めてくれねぇと痛いんだよ。ザラザラでトゲトゲで爪も
鋭くて、猫の身体は愛し合うのに向いてないんじゃないか?

何言ってんだ俺。

向き不向きなんて知らねーよ。身体はこれ一つ。不便を感じるのはきっとオス同士だから。メスを
相手にしてるヤツらは問題なくヤってるんじゃねぇの。
まあ、トシだって諸々の加減もバッチリで非常に気持ち良くしてくれるけどね。
「うにゃん!!」
ざりざりは続けたままトシの肉球にトゲトゲを触られて俺はイッた。

この日もやっぱり黒い人間もぎんいろの人間も来なかったけれど、俺達はとても幸せだった。

*  *  *  *  *

あくる日、町の空気が一変していた。だが俺は酷い眠気のせいで寝床の神社から動けずにいた。
きっとトシはいつもの場所で待っている。黒い人間も今日こそ来るかもしれない。早く、早く
行かねぇと……
「ギン、危ねえ!!」
「うにゃ?」
ホウイチが近くにいた人間を突き飛ばした。何だ? 何があった? 倒された人間は大きな網を
持っている。もしやこれで俺を捕えようとしたのか? ホウイチは人間を睨み付けたまま俺に
逃げろと叫んだ。
「え? は?」
「ぐずぐずするな!」
「あ……おう」
事情はさっぱりだったが俺は河原へ駆け出した。次から次へと湧いてくる人間達をかわし、只管に
走っていく。細長い草を鼻先で振る子どももモジャモジャ唱えるオンナもいない。いるのは殺気
立った人間ばかり。たった一日で世界が変わっちまったみてぇだ。トシは無事なのか? もしも
トシに何かあったら俺は――

「ハァッ、ハァ……」
マダオの小屋が見えたがトシの姿はない。転がる勢いで土手を下り、俺は叫んだ。
「トシィィィィ!」
いつものように川は流れ風が吹き、土手の上では人間共がごちゃごちゃと煩い。まさかそんな……
嫌だ……震える足を踏ん張って俺は力の限り叫んだ。
「トシィ! トシィィィィ! ト……」
「おお、シロも無事だったか」
「にゃ!?」
マダオが小屋から顔を出す。コイツは普段通りに見えるが気は抜けねぇ。もしかしたらコイツが
トシを連れ去ったかもしれないんだから。
フーッと威嚇をすれば俺は味方だとマダオは両手を広げた。
「外は危険だ。町会上げて野良猫の去勢に乗り出してる。暫くウチにいな」
「…………」
ちょーかい? きょせい? マダオのくせに珍しく難しいことを言いやがって。だが上の人間とは
違うようだ。一先ず威嚇を解くと、マダオがひょいと俺を抱えて小屋の中に連れて行った。ここへ
入るのは初めてだ。犬は俺を見てようこそと吠える。布と青いシートと空き缶と段ボール、
あの黒い喋る箱は「らじお」というやつだろう。なかなか居心地のいい狭さじゃないか。
やるな、マダオ。
「ほーら相棒も無事だぞー」
「トシ!」
黒い布――マダオの着るものか?――の側に俺は下ろされた。そこにいたのはトシ!
眠っているが怪我の匂いはしない。マダオが匿ってくれたのか!
「なーう」
「礼なんかいらねーよ。ゆっくりしていけ」
俺の言葉を理解したマダオにくしゃりと頭を撫でられる。俺とトシの恩人だ、今日くらいは好きな
だけ触らせてやるか。
「トシー」
それにしてもトシはよく寝てるな。口元を舐めてみたけど起きる気配はない。きっと、人間に
追われて疲れたんだろう。

そういえば俺も眠たかったのだと思い出し、トシにぴたりと身を寄せて目を閉じる。俺達の包まる
布団替わりの黒い着物までトシの匂いがして、少し発情しかけたが眠気に負けてしまった。
「本当に仲良しだよなー。アイツらにも見習わせてぇよ」
マダオが何か言っていたけれど眠いので返事はしない。まあ、俺に言ったんじゃないのかもな。
「お邪魔しまーす」
「久しぶり。今日は二人だけ?」
こんな所に客か? 残念ながらこの小屋は満員なので客は入って来ず、マダオが外に出て行った。
「実は……猫を……」
「……アルか?」
微かに聞こえた話し声。俺はこの声を知っている気がした。……よく覚えてねぇけど。
ウチには犬しかいないから――マダオの声を最後に俺は眠りに落ちた。

それから翌朝まで、俺達は眠り続けた。

*  *  *  *  *

「ええええええっ!」
まだまだ寝ていたかったのに、マダオが騒ぐから起きちまった。昨日の客がまた来ているようで、
外からマダオの大声が響いている。
「銀さんが!?」
「一週……で……」
「……して……アルよ」
「あん!」
今日は犬もいるのか。コイツの友達かな? 俺達を隠すように伏せている犬を見上げてくわぁと
欠伸。そしたらマダオがバタバタと中に戻ってきた。
ガシっと体を掴まれ外へ連れ出されて、トシが慌てて追いかけてくる。
「こっこっコイツ……」
「間違いないですよ!」
「お手柄アル!」
「にゃが?」
青っぽい人間と赤っぽい人間とデカい犬――コイツら何処かで……あ、何すんだ!
記憶の糸を辿る暇もなく、俺は小さな檻の中に閉じ込められてしまう。マダオが裏切ったのか!?
このままじゃトシも危ねぇ!
「ギンんんんんん!」
「ねえ、この猫もしかして……」
「とりあえず捕まえるネ」
「逃げろトシ!」
「嫌だ! お前を見殺しにはできねぇ!」
「逃げろ!」
「嫌だ!」

結局、俺達は一つの檻に入れられちまった。これから何をされるかなんて分からねぇ。生きて帰れ
ないかもしれないし、運よく生き延びたとしてもこれまでと同じ暮らしはできなくなるに違いない。
「トシ、ごめんな。俺がヘマしたばっかりに」
「気にするな、ギン。俺が自分で決めたことだ」
「トシ……」
「ギン……」
トシの口に俺の口が触れた直後、急激な眠気に襲われて体中の力が抜けた。
俺はどうなってもいい。だからトシには手を出さないでくれ。トシはあそこで人を待ってるだけ
なんだ。大事な約束なんだよ。頼むよ。なあ……

(14.07.15)


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