後編
坂本家から走ること十分。愛しの人の住むマンション前に到達し、坂田少年は足を止めた。
ゼェハァと肩を揺らし、流れる汗を袖で拭う。学ランはとっくに脱いで脇に抱えていた。
晩秋の冷たい風が心地好い。
眼前の建物を見上げて坂田は拳を握る。
「行くか!」
最後に一度、大きく深呼吸して鞄を足元に置いた。学ランを着て、常日頃は留めない第一ボタン
まで閉め、準備完了。勇んでエレベーターに乗り込んだ。
機械音と共に引っ張り上げられる感覚。土方家のある十階までは一分にも満たない。
その僅かな時、狭小空間に閉じ籠もった少年の思考は、脈拍に比例して冷静になっていった。
己は何をするつもりなのだ。まるで愛の告白でもするかのような気合いの入れよう。しかも
あわよくばファーストキスを、などと思い描いてしまっていた。
違う違う。
十年来の友情が恋愛感情であったと気付きはしたが、それを忽ち告げる必要などない。ましてや
キスなんて大それたこと、出来るはずもない。
「危ねェ……」
自らの至らなさに肝を冷やした坂田は、エレベーターを降りて思わず呟く。これから先も、土方
十四郎より夢中になれる相手になど、到底出会えないであろう。ならば何としてでもこの初恋を
実らせたい。
それにはじっくり作戦を練ることが不可欠。これまでの友情を愛情に昇華させる作戦を――
『はい』
「――っ!」
インターホン越しに聞こえた女性の声に一層背筋を伸ばす坂田少年。交代制勤務で働いている
母親が今日は在宅しているのか……将来を見据え、ここは失敗できないところ。
既に、結婚の許しを願い出る彼氏の心境であった。
「わっわたくし、坂田銀と――」
『はーい』
「…………」
一世一代の挨拶は中途で遮られ、ぷつりと切れた内との繋がり。間もなくドアを開けたのは、
愛して止まない同級生。
「よう」
「どうも。……あっ、お邪魔しますお母さん!手ぶらで失礼します」
土方少年の後ろに未来の義母の姿を確認し、坂田はたちどころに腰を垂直に曲げた。第二の家と
言っても過言ではないこの場所が、こんなにも敷居を高く感じるなんて。
「あらまあ、すっかり礼儀正しくなって……十四郎も銀時くんを見習いなさいよ」
「はいはい……上がれよ」
前半は母に、後半は来客に向けて。
靴を揃えて脱いだ坂田は、差し出されたスリッパを履き土方の後に続く。一歩、また一歩と進む
毎に高鳴る鼓動。好きな人の住む部屋――そんな夢と希望と妄想の聖地に幾度となく招かれて
いながら、漫然と過ごしていた昔の自分を呪いたい。
一緒に風呂へ入るかと問われ「一人でできるもん」と大人ぶった小一の春。
心霊特集のテレビを見てトイレを怖がる土方を、からかって無理矢理一人で行かせた小三の夏。
マヨネーズ柄のパジャマは格好悪いと着替えを持参した小四の秋。
窮屈だからと同じベッドで寝るのを卒業した小六の冬――着々と、土方に触れ合える機会を
潰してしまっていた。
今なら分かる。
二人で入浴し、トイレに付き添い、寝巻を借りて、一つのベッドに入る素晴らしさが。
今こそしたい。できる関係になってやる!
坂田が頭の中で決意表明を行う間に、土方はリビングのDVDデッキを起動させていた。
「十四郎のテレビは故障中?」
「いや。こっちの方がデカいからいいと思って」
「小さくてもいいって。俺らがここにいたら、お母さんが休めないだろ」
「まあ、ありがとう」
大画面でなくとも構わないと土方の腕を引き、部屋へ向かう。漸く触れられたと足取りも軽く。
「今日、やたらと母さんに気ィ遣ってねぇか?」
「そっそんなことねぇよ」
俺はいつでも気遣いのできる男だと豪語して、坂田はベッドへ腰を下ろした。
六畳程の広さの洋室。フローリングの床は家具の下だけカーペットが敷かれている。ベッドも
学習机も洋服箪笥も、彼がこの部屋の主となった小学一年生の時から使用しているもの。
十六型のテレビは五年生の時にお年玉で購入。昨年、DVDデッキも購入した。壁にはペドロ
シリーズのポスターや、何処で入手したのかマヨネーズの広告が貼ってある。
だが坂田の興味は今、自身が腰掛けたベッドに注がれていた。
こうしてソファー替わりに座ることはあっても、先述した通り寝ることはできなくなったベッド。
大好きな人が毎日その身を横たえている場所――
本能的に坂田はその枕へ顔を埋めていた。
「坂田?」
「はっ!じゅっ準備できた?」
土方の声で我に返り飛び起きて、テレビの前で膝を抱える。
「疲れてんならまたにするか?」
「大丈夫!早く見ようぜ!」
「お、おう」
ドクドクと「とある箇所」を中心に血流が活性化し呼吸は浅い。吸い込んでしまった残り香が
今も鼻の奥に……というより、その香を纏う本人がすぐ隣にいる。
映画の内容そっちのけで、坂田少年の脳内では目眩くストーリーが展開されていった。
――銀時の手でベッドに押し倒された十四郎。何故か服を着ていない。
『十四郎……』
『あっ、ダメ……』
耳朶を食み、髪を撫でれば十四郎は艶やかな声を上げながらも僅かに抵抗を見せる。
それに構わず銀時は湿った舌を尖らせて耳の穴へ。
『ひゃっ!』
膝を擦り合わせ、銀時の背中に腕を回し、シャツに縋る十四郎。銀時は爪の先で胸の飾りを
軽く引っ掻いてみた。
『あぁん!ダメぇ』
より激しさを増す抵抗。
『気持ち良さそうなのにダメなの?』
胸の手は止めず、至近距離で尋ねると、顔全体を真っ赤にさせて、自然に閉じる眼を必死で
開きながら声を絞り出す。
『あっ、声……出ちゃう、からっ……あん!』
『じゃあ俺が塞いでやるよ』
『銀時ぃ』
二人の唇が重なって――
「おい銀時!」
「へぁっ!?」
ぐいと右肩を掴まれて坂田は数回瞬きをする。掴まれた方を見れば初恋の人。刹那、自分が何を
しているのか分からなかった。
「えっとぉ……」
「お前、どんな目でペドロ見てんだよ」
土方の視線には侮蔑の感情が見て取れる。
「ペド、ロ……?」
「……そこ」
指さす方を見てみれば、不自然に盛り上がったファスナー部分。色々と「考え事」をしている
間に膝を抱えていた腕の力が緩み、足が開いていた。
坂田の顔からサアッと血の気が引いていく。
「お前はこれをそういう目で見てたのか」
「違ぇ!誤解だ!」
「じゃあ何だよそれ」
「これは十四郎が――!」
「は?」
「あ……」
しまったァァァァァ……声にならない心の叫び。
ペドロに欲情しているというとんでもない誤解を解きたくて、飛び出してしまった本音。
訂正しなくては。まだ作戦の「さ」の字も実行していないというのに。
「ああああのな十四郎……」
「おっ俺が、何なんだよ」
「あれ……?」
がしっと両肩を掴み向き合ってみれば、薄らと頬を染め、期待の眼差しに見詰められた。
これはもしやいけるのか?
だが勘違いだとしたら悲惨な結末に……いやいや俺達が十年掛けて築き上げた関係は、この
くらいで消滅するような軽いものではない。例え今が勘違いであったとしても、友達のままでは
いてくれるに違いない。そうしたらきっとチャンスが巡ってくるはず!
坂田は決意した。
キッと目に力を込めて、愛する人の名を呼ぶ。
「十四郎」
「お、う……」
「…………」
「な、何だよ」
胸いっぱいに空気を吸い込み、それに思いの丈を乗せた。
「好きだっ!」
「――っ!?」
「十四郎!」
即座に拒絶されないのなら可能性は充分に。押して押して押しまくろうと土方を抱き締め、
愛の言葉を繰り返す。
「好きだ、好きだ、好きだ……」
「あ……お、俺も、その……」
「十四郎っ!」
おずおずと坂田の背に添えられた両手。ガバッと顔を上げ、そのまま目を閉じ距離を詰めた。
そして、
「おやつよー」
「はいぃぃぃぃぃ!」
ノックの音に慌てて距離を取った。まさか話を聞かれたのでは……やや息の上がった土方が
恐る恐るドアを開けると、母が二人分のドーナツと麦茶をトレイに乗せて立っていた。
因みに坂田は奥で蹲っている。
「はい、どうぞ」
「あ、うん」
トレイごと手渡して踵を返した母に胸を撫で下ろし、土方は坂田の隣へ戻った。座った体勢の
まま、土方へと擦り寄っていく坂田。
「つっ続き、は……?」
「母さんがいない時、だろ」
「ですよねー」
逆を向いて麦茶を飲む土方の耳が赤くなっているのを見て、
「ドーナツより美味そう……」
坂田から本心が漏れた。同時に思い出す先の脳内ストーリー。
「う……」
「どうし――」
再び蹲った坂田から、土方はすすっと離れていく。
「しっ仕方ないだろ!好きな子と二人っきりだぞ!」
「バカっ。外に聞こえるじゃねーか」
「あ、ごめん」
項垂れる坂田を見ていると気の毒にも思えてきた。もう何年も言えない思いを抱えてきた土方に
とって、これは嬉しい反応のはずなのだから。
離れていた分の距離を詰め、きゅっと目を閉じた土方の唇が、坂田の頬に触れる。
「…………」
頬を押さえ、口を半開きにして坂田は固まってしまった。
その様子を見ることもできず俯いて、土方はぼそぼそと思いを紡ぐ。
「俺も、別に……こういう感じが……嫌じゃ、ねぇし……でも、今日は、とりあえず……
トイレ、とかで……」
「あ、うん。行ってきまーす」
学ランの裾で下半身を隠しつつ、坂田は部屋を出ていった。
トイレは廊下を挟んで向かい。母のいるリビングを通らずに済むのがせめてもの救いだった。
何はともあれこうして一組のカップルが誕生した。
* * * * *
翌朝。恋人と手を繋いで登校しようとする坂田であったが、友人にからかわれるからと躱されて
しまい、結局、今までと変わらず二人並んでの登校。それでも、彼らを包む空気は格段に甘く
なっていた。
「今日も家に行っていい?」
「ああ」
「昨日の続き、しような」
「お前、それしかねぇのかよ……」
頬に朱を差しつつ呆れた様子の土方に坂田はにんまり笑う。
「今日はペドロの走る城な」
「え?」
「えって何?千とペドロの次は走る城だろ?」
「あ、ああ……」
「もしかして十四郎、別の『続き』期待してた?」
「違っ!」
瞬時に耳まで赤くした土方。その耳朶にむしゃぶりつきたいのをぐっと堪え、坂田は耳元に
唇を寄せた。
その瞬間、後ろを歩いていた女子が息を飲むのに気付く。でも先ずは、
「今日、お母さんいないの?」
可愛いピンクの耳に向かって囁けば、坂田だけに聞こえる声で「いない」と返ってきた。
それには「分かった」と簡潔に、けれどするりと腰を撫でつつ応えて坂田は後ろを振り返る。
目が合った途端に顔を背けた件の女生徒に笑顔を向けて、
「俺が攻めだからね」
と宣言した。
誰と話しているのだと確かめて、普段から碌に関わりのない同級生だと判明し、土方は焦りを
隠せない。
「おいぃぃぃぃ!何言ってやがる!攻めってまさかアレか!?」
「あ、知ってるんだ。十四郎のエッチぃ」
「エッ……テメーが言ったんじゃねーかァァァァァ!」
「はいはい。もう照れちゃって可愛いんだから」
「かわっ!?テメーいい加減に……」
「早く行かないと遅刻するぜ、ハニー」
「は!?」
肩を抱き、腕を絡め、唇を寄せ……見せ付けるような坂田の言動を真っ赤になって咎める土方。
一部の女生徒を中心にして真しやかに囁かれていた噂が紛れもない事実であったのだと、この日、
土方少年の必死の隠蔽工作虚しく、学校中に知れ渡ることになった。
(14.12.02)
リクエスト内容は「同級生の銀さん土方さんが仲良くしてるだけの話」でした。ナチュラルに仲良しで傍から見れば付き合ってるも同然なのに
「俺達友達だよなっ」な鈍感二人は可愛いと思います^^ ……今回は土方くんだけ以前から自覚していた設定でしたが。
リクエスト下さったぎん様、いつもありがとうございます。こんなものでよろしければ、ぎん様のみお持ち帰り可ですのでどうぞ。
それでは、ここまでお読み下さった全ての皆様ありがとうございました!
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