中編


夜の街に佇む「休憩所」、その一室の、二人用ベッドの上で向かい合う銀時と土方。

「ん、くっ!ハァ……」
「ハァ〜……」



*  *  *  *  *



(やっぱり、アレが原因かね……)

三月半ほど前の出来事に銀時は一人密かに嘆息する。

土方が銀時のことだけを忘れて三ヶ月、二人は気の合う飲み友達のような関係になっていた。
最初こそ大いに周囲を驚かせていたものの、今ではすっかりそのことに慣れ、まるで初めから
そうであったかのように思い始めていた。

ただ一人、忘れられた張本人の銀時を除いて。

(ていうかアレは俺が悪いわけじゃねーし)

記憶を失う半月前、土方は銀時と一夜を共にした。

(その言い方やめてくんない?ヤってないからね。扱いて出して、スッキリしたら朝まで
寝ちゃっただけだから)

……とにもかくにも二人は一つのベッドで朝を迎えたのだ。

一夜の過ち、酔った勢い、気の迷い……表現は様々あるが、つまりはそういうことだ。
そこに特別な感情も正常な判断もあったわけではない。飲み屋で偶然会ってケンカして
飲み比べて……気付けば朝、なんてことはまあ、よくあることではないが、深刻に思い悩む
ことでもないだろう。

と、銀時は思っていたのだが土方は違ったのだろうか。
一度忘れたら二度と思い出したくないくらいショックだったのだろうか……

「気に入らねぇ……」

誰もいない万事屋で天井に向かって呟く。
気に入らない……これではまるで向こうが被害者のようではないか。
あの夜のことはどちらにも非があると言えるし、どちらにも非がないとも言える。お互い様だ。
それなのにこちらだけが覚えていて、心の内で悶々としなければならないなど不公平だ。
一人だけ楽しくのほほんと友達付き合いしやがって……

ジリリリリリリ……

電話の音で一旦思考を止めて受話器を取る。しかし電話の相手は土方であった。

「なに?」
『今夜、空いてるか?』
「あー……」

予定などないのだが、直前まで考えていたことに引き摺られ返事を濁してしまう。

『先約があるのか?』
「いや、そういうわけでは……」

だからといって断れないのは、銀時もそれなりに友達付き合いを楽しいと思っているから。

『もしかして金か?いいぜ、奢ってやるよ』
「あ、本当?じゃあ……」

奢りなら「以前の」土方とだって飲みに行くかもしれないと自分自身に言い訳して、
今夜の約束を取り付けた。


*  *  *  *  *


河原にあるおでんの屋台、ここが本日の待ち合わせ場所。
夏の間に生い茂った草の上を、銀時はさくさくと音を立てて歩いていく。
「土方」は覚えていないだろうが、勿論ここでもケンカしたことがある。
最初に出会したのは確か、今日のようにリンリンとスズムシが羽を震わせる季節だった。

あの時は銀時の方が先に座っていて、後から土方がやって来た。だがその時点で二人の間に
見知らぬ第三者が座っており、多少嫌味を言い合うくらいで済んでいた。
けれど中央の彼が席を立ったことで空気が一変。よせばいいのに二人は敢えて中央寄りに
座り直し、互いの肘をぶつけ合い、カウンターの下で蹴り合い、結局、取っ組み合いの
ケンカになった。

あの日のケンカは川に落ちて終わったのだったと銀時は黒い流れに目をやる。
さらさらという音と、月明かりの反射による煌めき……けれど川の大部分はやはり黒にしか
見えず、深さも何も分からない。
近くに屋台があったとはいえその明かりもたかが知れている。よくぞこんな不気味なところに
入れたものだと自分のことながらに思う。一時のテンションとは恐ろしいものだ。

「お疲れさん」
「おう」

目的地に着くと土方は既に来ていた。
あの時と同じく隣に腰を下ろしても、この土方からは肘打ちも蹴りも繰り出されない。

「はんぺんと竹輪麩としらたきと……あとタマゴね」
「はいよっ」

穏やかに飲める……これはむしろ歓迎すべきことだ。自分は元々好戦的な方ではないのだから。
だがコイツは……と思いつつ隣を伺えば、ふっと笑った土方と目が合い、ドクンと心臓が跳ねた。
何だ今のは、土方のくせに、楽しそうにしてんじゃねーよ……内心の焦燥を悟られまいと
これまた内心で文句を言って、結局口から出たのは「見てんじゃねぇ」。

言ってからマズイと思った。八つ当たりのような態度をとってしまった。なのに、

「悪ィ悪ィ……」

ぞんざいな返事にも気分を害した様子はなく、さらりと謝る土方にまた銀時の心はざわつく。

「お前は食うもんも白いのかとちょっと思っただけだ」
「ああそう……あ?」

ざわついていてよく聞いておらず、いい加減に相槌を打ってから何のことだと疑問符。
それには「お前の皿」と簡潔な答えが返ってきて、なるほど確かに白いなと視線を落として納得。

「だから頭も白いのか?」
「ンなわけねーだろ。……つーか、これは銀髪だから」
「ハハハ……」
「…………」

ダメだ……銀時は思った。

この土方と長くいてはダメだ。早く元の土方に戻ってもらわなければ、自分の感情が
取り返しのつかないところへいってしまいそうだ。

銀時は左手で土方の右手首をがしっと掴んだ。

「どうした?」
「ちょっと来い」
「どこへ?」
「いいから!」

この辺りで漸く土方も銀時の様子がいつもと違うことに気付く。逆らわずに立ち上がると、
銀時は無言で歩いていこうとする。

「おいカネ!」
「ツケで!」

土方が奢ると言ったことも忘れ、支払いもさせずに何処かへ向かう銀時の、ある種異様な
気迫に圧され、黙って後を付いていった。



「な、なあ……何処に行くんだ?」

ホテル街を突き進む銀時に流石の土方も動揺し始め、行き先を問う声には困惑の色が混じる。
銀時の視線の先にあるのは記憶を失う前の土方と入ってしまったホテル。無理矢理にでも元の
土方に戻してやると銀時は息巻いてホテルを目指した。

「おい、銀時!」

このペースならあと数秒で目的地だ。銀時の左手に力が篭る。と同時に目的地を悟った土方が
慌てて止めようと試みるが銀時の歩みは止まらない。そして……



*  *  *  *  *



「ハァ、ハァ、ハァ……」
「……大丈夫か?」

三十分後。小高い丘の上、息を切らして座り込む銀時とその背中をさする土方の姿があった。
もちろん「ご休憩」を終えてここへ来たわけではない。繁華街からここまで走って来たのだ。
街の喧騒の届かない場所まで駆けてきた疲れと目的の宿へ連れ込めなかった不甲斐なさとで
銀時は立ち上がる気力すら失っていた。

「ここに、何かあるのか?」
「眺めがね、なかなか……」

ホテルに入る勇気がなかったなどとは口が裂けても言えず、適当に理由をでっちあげる。
それにしたってあんなに急いで来る必要はなかっただろうと土方は今一つ腑に落ちなかったが、
勧められるままに辺りを見回してみた。

眼下には、先程二人で駆け抜けてきたネオンの明かりが広がっている。黒く細い川を挟んで
反対側は住宅地なのであろう、薄橙の明かりばかりが漏れている。そして視線を前に向ければ、
天に向かって聳え立つターミナル。その光に街の明かりと同様の温かみを感じないのは、
自分があれの支配下に置かれていると思うからであろうか……きゅっと鞘を握り締め、土方は
未だへたれ込んでいる銀時の隣に腰を下ろした。

「確かに、いい眺めだな」
「ああ、そう?」
「ガキの頃は……俺ァ田舎育ちだから余計にこんな明かりなんてなくて、夜に外へ出るのが
嫌いでよ……」
「まあ、そうだよな……」
「祭の時以外でも常に提灯つけといてくれないかなんて思ったりもしたもんだ」
「分かる分かる」

幼少期を懐かしむ土方の横顔を見て思う、もう手遅れかもしれない、と。
ホテルへ入れなかったのは、今の土方を失いたくなかったからではないか、と。
土方が記憶を取り戻しさえしなければこうして二人で会える。そしたらそのうちもしかして……

「それでな……っ!」

こちらを振り向いた土方と目が合った瞬間、銀時はほぼ無意識にその唇と自身のそれを重ねた。

「ぎん、とき……」
「――っ!ごっごめん!!」

名前を呼ばれて我に返った銀時は謝りつつも一目散に逃げ出した。

街の明かりから離れた丘の上、取り残された土方は煙草を咥えて火をつけて、これもまた、
子どもの頃には知らなかった明かりだなどとどこか他人事のように思いながら帰路に着いた。

(12.10.27)


銀さん遂に自覚。土方さんについては後編(18禁)で。続きはもう暫くお待ち下さい。

追記:続きはこちら(注意書きに飛びます)