嘘さえも
好きだと告げたら、嫌だと返された。
それなりににぎわう焼き鳥屋のカウンター、一番隅の席でだらりと壁にもたれて冷酒を飲んでいる万事屋に顔を
向けて俺は眉を顰める。
「……嫌だってなんだてめー。断るにしたってもうちっと言いようってもんがあるんじゃねぇのか」
「うるせーな。そんなもん俺の勝手だろ。つーか、断りかたにダメ出しってお前こそどうなんだよそれ」
万事屋はそう言って、しれっとした顔で俺の皿からつくねを一本かすめとっていった。自分の皿の上で丁寧にか
かっていたマヨネーズをこそげ落としながら、そういえば神楽の奴がさー、と呑気な様子で話しはじめる。
俺は盛大に肩すかしをくらった気分で、ぼんやりと皿の隅に押しやられるマヨネーズの山を見つめていた。
正直に言って、すんなりと受け入れてもらえるなどとは元々思っていなかった。そもそも男同士だ。それでも、
これまでのこいつの態度を考えてみれば、勝率は五分五分というところではないかとなんとなく予想していたの
だ。まさかこんな脊椎反射のごときスピードで断られるとは思ってもみなかった。だいたい、ごめんでも、考え
させてくれでも、気持ち悪いでもなく「嫌だ」とはいったいどういうことだ。
しかも、たった今俺の告白をばっさりと切り捨てたとうの本人は、まるで何事も無かったかのようにチャイナ娘
が最近妙な味のふりかけに凝って困っている、というしごくどうでもいいことをとくとくと話している。
断られたことがショックというよりは、万事屋の態度がひたすら不可解だった。
それでも相手があまりにもいつもどおりなので、俺もいつものように万事屋の話に相槌をうち、酒を飲み、少し
だけ屯所でおきたくだらない話をしたりした。
つまるところ俺はこいつにふられたということか。一時間ほどかけてようやく納得したあたりで、七、八人の団
体客が店に入ってきた。すでにどこかで飲んできたのだろう。にぎやかな一団を眺めていた俺の顔を、カウンタ
ーに頬杖をついた万事屋が下から覗き込んできた。その瞳の奥に酔いとは違ったどろりとした熱が宿っている。
俺はなぜだか背筋がざわっと粟立つのを感じた。
顰め面をした俺を見上げて、万事屋がにやにやと不気味に笑う。
「あのさぁ、さっきの話だけど…つまり土方君は銀さんのことを抱きたいと、そういうことなわけだよな?」
「………あ?」
―何?
意味が理解できなくてぼんやりとする俺の目の前で万事屋はおよそ三十路前の男にはふさわしくない仕草でこく
りと首を傾げてみせる。
「あれ?違った?―あ、んじゃひょっとしてあれか。銀さんのその逞しい腕に抱かれてみたいわー的な」
「………」
鳩尾のあたりがひやりと冷えた。たいして酔っていたわけでもなかったが、それでも体中の熱が一気に冷めてい
くのを感じる。俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、万事屋はにやりと口元をつり上げて一言、吐息のような声で
、いいぜ、と言った。
「……な…に」
「抱きたいんでも抱かれたいんでも、どっちでも、土方君ならいーよ別に。美味い酒おごってもらっちゃったし
ね。大サービス」
へらりと笑って顔の前で空になったグラスを振ってみせる。
「目の前が暗くなる」という表現があるが、あれがたんなる比喩ではないことを俺はこの時初めて知った。すっ
と視界が狭くなり、世界が突然遠くに感じられた。しぃんと耳の奥で耳鳴りのようなものが鳴って気分が悪い。
「……土方?」
俺の様子がおかしいことに気付いた万事屋が半分カウンターにつっぷした状態で顔だけを少し起こした。
俺は無言で懐から財布を取り出し、一万円札を抜き取ると立ち上がって、炭火の前で忙しげに立ち働く店主に声
をかけた。
「おい亭主!勘定、ここにおくぞ」
「あぁ、はい、どうも毎度あり!!」
煙の向こうで店主が笑顔で頭を下げる。椅子の背にかけてあった羽織をとって歩き出そうとする俺の腕を慌てた
ように万事屋が掴んできた。
「―ちょ、土方、なに?どしたの?」
その手を力任せに振り払うと、派手な音をたてて相手が椅子から転げ落ちたがかまわずにそのまま店を出た。
金曜の夜、にぎわう雑踏の中を人の波にさからうように早足で歩いた。少しでも歩調をゆるめるとみっともなく
その場にしゃがみこんでしまいそうだ。
何を、言った。あの男は。
抱きたいのでも抱かれたいのでも?サービス?
好きだと言われれば誰にでもそんな風に答えるのか。相手が男でも女でも、誰にでもあんな顔をしてみせるのか
。
あんな、欲情に潤んだ目を。
「土方っっ!!」
突然肩を掴まれて、強い力で後ろへとひっぱられた。振り払おうとして上げた腕を更に掴みあげられ強引に後ろ
を向かされる。
そこにはぜぇぜぇと息をきらした万事屋が立っていた。よほど慌てて走ってきたのか髪がぼさぼさに乱れている
。
「……ちょ、おま、何………。なに、怒ってんだよ」
困惑しきったその顔を見て、また胸の奥がひんやりとする。
わからないのか。
無言で歩き出そうとする俺に万事屋はなおも食い下がってくる。
「待てって!!なんだってんだよお前。おいって!土方!!」
握られていた腕を振り払って俺は万事屋へと向き直る。
わからないのか。本当に。
「万事屋」
「な、に」
俺の口からはやけに冷静な声が出て、万事屋がぱちりと一つ瞬きをして後ろに下がった。俺自身感情が麻痺して
今自分が悲しいのか怒っているのか判断がつかなかった。
「そんなに俺はかわいそうだったかよ?」
「へ…?な、なにが…?」
「てめぇみてぇな野郎に本気で惚れて、そんなに俺が憐れに思えたか?施しに一晩相手をしてやってもいいって
ほどに」
「―何、言って……」
呆然とする万事屋の方に更に顔を近づけてじっとその目を覗きこむ。
「それとも、惚れられた相手と寝てやるのもてめぇの商売のうちか?」
「―」
銀色の前髪の奥で淡い色の瞳が大きく見開かれた。
「……な…ふ、ざけんなよてめぇっ!!?」
怒声と共に襟元を掴み上げられて、相手の予想外の行動に今度は俺が目を丸くする。
「商売とか施しとか、そんなことで男相手に抱かせてやるなんていうかっっ!!!この、馬鹿っっ!!」
どん、と突き飛ばされて二、三歩後ろへと後ずさる。ぼさぼさの頭で、肩で息をしながら万事屋はなぜかひどく
傷ついた顔をしていて、それを見た瞬間急激に頭が冷えた。
同時に周囲の人々の視線が無遠慮に自分達に注がれていることにも気付く。にやにやと嫌な笑いを浮かべて中年
の男が俺達の顔を見比べながらそばを通りすぎていく。
「………ちょっと……お前、こっち来い…!!」
更に何か言いかけている万事屋の腕を掴んで逃げるようにその場を離れた。
数町ほど歩き、寂れた裏通りに並ぶラブホテルと雑居ビルの間の路地へと入る。俺同様歩いている間に頭が冷え
たのか手を離しても万事屋はうつむいたまま黙ってそこに立ち尽くしていた。
悄然としたその様子に俺は今歩きながら自分が考えていたことが当たっているのではないかと予感した。
「同情でも…商売でもねぇなら、なんのつもりだ」
懐から煙草を取り出して口に咥えながら、下を向いたままの万事屋に声をかける。
「酒の席での冗談にしたって、いくらなんでもたちが悪すぎるだろ。―なぁ、万事屋?」
俺の言葉に万事屋はぐっと口を引き結んだ。それから観念したように短く息を吐くと、冗談なんかじゃねぇよ、
と蚊のなくような声でつぶやいた。
「……冗談、とか、同情とか……そんなわけ……。そうじゃなくて、俺は……俺だっててめぇが……あぁ、もう
…くそっ!!」
吐き捨てるようにそう言うとそのままずるずるとビルの壁にもたれてその場にしゃがみこんでしまった。立てた
膝を両手で抱えてそこに顔を埋め、もう一度くそ、とつぶやく。
「てめぇ、嫌だっつっただろーが」
「―嫌だよ」
「…即答かよ」
「嫌なもんは嫌なんだ。…俺とてめぇでそんなの。……俺は、……俺はお前を失くしたくねぇんだよ」
「………失くす…?」
「だから…知り合いっつーか、友達っつーか…今のままなら失くさなくてすむだろ」
のろのろと万事屋が顔を上げてこちらを見上げてきた。真剣な泣いているような顔だった。
なんなんだそれは。失くす、とはいったいどういうことなのか。泣きたいのはむしろこちらのほうだ。
「…なんで駄目になること前提なんだよ……。おかしいだろ」
「だっておめー、すげぇ女にもてるじゃねぇか。今は血迷ってんだかなんだか知らねーけどさ。…そんなもん長
続きするわけねーって…そんな都合いいことあるわけねーって…そう思ったんだよ」
俺は、再び腕に顔を埋めた相手のつむじを見下ろした。なんなんだこいつは。
普段はあれほどふてぶてしいくせして、なんだってこんなピンポイントでネガティブ思考?
すっかり怒る気も失せて、万事屋の隣に並んでしゃがみこんだ。背後の冷たい壁の向こうからは演歌なんだかポ
ップスなんだかすら判別のつかない下手くそな歌がかすかに聞こえている。
「……だったら、なんで抱かせてやるなんて言ったんだよ」
「…それは…。……それはおめー、俺だっててめぇに触ってみたくてもう限界だったからね。好きとか言われて
そんなもん我慢できるわけねーっつーの」
ああ、そうだ。俺も限界だったんだよ。だからたいして心の準備もないままについぽろっと言ってしまったんだ
。
短くなった煙草を地面でもみ消して、懐から携帯灰皿を取り出す。隣で万事屋がもそもそと足を抱えなおしてい
る。
「だけど、だからって、実は俺もなんて言っちまったらもう取り返しつかねぇじゃねぇか。だったら酒の上での
一夜の過ちとか冗談にしとくしかねぇだろ」
「……やっぱり冗談なんじゃねぇか」
「だっから!!ちげぇってーの!!」
がばっと顔を上げた相手の目を真正面から見返した。ふ、と万事屋が息をのんで口を閉じる。
「万事屋」
「な…んだよ」
「お前、言ってること滅茶苦茶だぞ」
「―っ。うるっせーな!わかってんだよボケッッ!!」
暗くてよくわからないが、ぷいと顔をそむけた万事屋の顔はきっと真っ赤だ。
ため息と共に顔を上に向けて、俺はビルに挟まれた細長い夜空を見上げる。
冗談をよそおってでも触れたい程度には、どうやらこいつは俺に惚れているらしい。それでもなお、今のままの
関係でいたいなどと言い張る頑固さに呆れる。だけど、同時にそこまでしてこいつが望むのならばという気持ち
も確かにあって、どうしたもんかなと考えた。本気の願いなら、多少の無理でもきいてやりたい程度には俺だっ
てこいつに惚れている。
「……なぁ、結局お前はいったいどうなりてぇんだ?」
「…………どうって?」
「もし、お前が本気で今までどおりがいいってんなら…きいてやるよ。俺とお前は今までどおりただの顔見知り
で、たまに街で会っちまったらくだらねぇ言い合いをして、それだけだ。喧嘩以外でお前に触ったりしねぇし、
余計なことは一切言わねぇ。……まぁ、でもこんな風にたまに飲み屋で会っちまったら、そん時は酒の相手くら
いはしろよ」
横顔に万事屋の視線を感じる。俺は上を向いたまま続けた。
「だから、もし本当にそうしたいなら今ここではっきりそう言え」
「……土方」
「あのな。俺ぁあいにくあきらめが悪いんだよ。お前が今、よくわかんねぇとかくだらねぇことほざくなら、俺
はてめぇのことを諦めてなんかやらねぇからな。てめぇが首を縦に振るまでしつこくつきまとってやる」
「…お前…何言って……」
「本気だ」
顔を向けると万事屋は幾度か瞬きをして、のろのろと髪をかきあげながらため息をついた。
「……なんなんだよお前…。なんでこんなおっさん相手にそんなむきになっちまってんの?…ちげーだろ。だっ
てお前そーゆーキャラじゃなくねぇ?天下の真撰組の副長さんがさ、モテモテで女なんざよりどりみどりの土方
君がんなカッコわりーこと言っちゃダメだっつーの」
「うるせーな、知るかそんなこと。俺はな。…俺は、もし次本気んなったら、今度は手ぇのばしてみようって、
迷惑がられようがみっともなかろうが欲しいもんは欲しいって言ってみようって、そう決めてたんだよ」
「―」
眠たげだった万事屋の目が大きく見開かれて、珍しくそこにはっきりと驚愕の色が浮かんだ。
多分、今ここでそれを言うのは卑怯だっただろう。だけど、きっとこのくらいしなければこの頑固で臆病な男の
本音は引き出せない。卑怯だろうがなんだろうが、俺にできるのは手持ちの中の一番強いカードから切っていく
ことだけだ。
まったくやっかいな話だ。
懐から煙草を取り出し、火を点けようとして指先が震えていることに気付いた。覚悟を決めて、頭の中は冷静な
つもりでいるのに体は正直なものだ。真新しい煙草を口から離して、そのまま携帯灰皿にねじ込む。地面に腰を
下ろすと、ひんやりとした冷気が尻から背中をかけあがってきた。
暦の上ではすっかり春だというのに。そんなことを考えながらまたぼんやりと空に目を向ける。薄灰色の明るい
江戸の夜空に、それでも星の一つでも見つけられないものかと目をこらす。見える範囲を隅から隅まで探してみ
ても、どこにもほんの小さな光さえ見つけられなかった。
「…………土方」
「……あぁ」
囁くような万事屋の声に顔を上に向けたまま答える。
視界の端を赤い点がゆっくりと横切っていくのが見えた。あれは、ターミナルに向かう天人の船だろうか。
「……あのさぁ…、俺こう見えて結構独占欲強いからね。…浮気とかそーゆーのぜってぇ許さない感じでがつが
ついかせてもらうから」
「……」
頭が言葉の意味を理解するより先に、ざわりと全身に鳥肌がたった。突然心臓が狂ったように鼓動を速めて息が
苦しい。
俺はゆっくりと一つ呼吸をしてから万事屋の方に顔を向けた。万事屋はあいかわらず気だるげな、だがいつもよ
りは幾分真面目に見えなくもない顔でじっとこちらを見つめている。
「……奇遇だな。俺もだ」
「―風俗とかもナシだから。玄人相手なら浮気じゃねぇとかそーゆーの銀さん聞かないからね」
「こっちのセリフだボケ」
「男相手っつーのもダメだからな」
「しねぇよ。―アホか」
「好きです」
「お……………………………………はぁ?」
不意打ちに言葉を失くした俺を見て万事屋はしてやったりという顔で笑った。
あぶねぇ。思わず素で、俺もだと返してしまうところだった。かぁっと顔が熱くなって慌てて手で口元を覆う。
「……てめぇ…」
「なぁ、これってさ、言うより言われるほうが恥ずかしいのな」
「…嘘つけ。お前、コンマ一秒で断りやがったくせに」
「いやいや…それはね。あれだよ。…ほら、なんつーの恥ずかしさのあまりっつーか、照れ隠し?的なね。ほら
、銀さんシャイだから」
「言ってろ」
舌打ちをしながら懐をさぐり、煙草を取り出して火をつけた。上を向いて煙を吐き出す俺の頬にひたりと冷たい
手が押し当てられる。
驚いて目を向けると、万事屋は眉を下げて困ったような顔でへらりと笑った。
「―で、さ…どうする?今ならまだぎりぎりサービスタイム継続中ですよ、お客さん」
冗談めかした口調で、だけどその声に目の奥に隠しようもなく欲が滲む。
『抱きたいんでも抱かれたいんでも、どっちでも、土方君ならいーよ別に』
あの時と同じように。
ああ、そうなのか。
微かに震えているその指先に手を重ねながら俺は思う。
のらりくらりとして感情を隠すのが上手い男だとずっと思っていた。へらへらと人を小馬鹿にしたような顔で手
の内を隠し、そのくせこちらの内面をあっさりと引きずり出す。ずるい男なのだと。
でももしかしたらそれは俺の思い違いだったのかもしれない。
本当は、臆病なこいつはこんな風に冗談のふりでしか自分の本音をさらけ出せないだけなのではないだろうか。
冗談に隠して本心を言い、しれっとした顔で嘘をつく。そうやってついた嘘に、届かなかった本当の気持ちに、
自分が一番傷つきながら、それすらも隠してなんでもないことのように笑うのだ。
臆病で。天邪鬼。―まったく、本当にやっかいな話だ。
冷たいその手を握りしめて強引に万事屋の体を自分の方に引き寄せる。
「万事屋」
やらせろ、と耳に口を押しつけて囁くと腕の中の体がふるりと震えた。
そらいろびゃくだんの日野原緋乃様より相互リンク記念小説をいただきました!ひゃっほ〜ぅ!!
むりやり押し付けた会話文のお返しにこんな素敵な小説をいただけるなんてっ!!
土方さんが男前です!恋愛に後ろ向きな銀さんが可愛いです!本当にありがとうございました!(10.03.03)
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