ゴールデンウイークが過ぎ、生徒も教師も新しい学校生活に大分慣れてきた頃、一人の同僚が
何の気無しに放った一言は俺のその後の人生を大きく変えることとなった。



いつつせん〜知らぬは当人ばかりのみ〜



「坂田くん、元気でやってるんですか?」
「……は?」

土方は何を言っているのかと向かいに座る同僚をぽかんとした表情で見遣る。
彼はとある私立高校の数学教師で、向かいに座るのは同じ数学教師の山崎。偶々帰る時間が
一緒になった二人は、メシでも食って行くかとラーメン屋に入った。
二人用の小さなテーブルに向かい合って座り、各々注文を済ませたところで山崎が「そういえば」と
先の質問をしたのだ。

「坂田くんですよ。坂田銀時くん」
「ああ……」

その名前なら知っている。今年の三月まで土方が受け持っていたクラスの生徒だ。

「坂田がどうかしたのか?」
「だから、元気なんですか?土方先生の母校を受験したんですよね?」
「後期もダメで、浪人してる」
「あー、そうだったんですか……」

他のところも受けた方がいいと進路指導したにもかかわらず、坂田は土方の出身校一本に絞り、
残念ながら前期・後期ともに落ちてしまった。元々厳しいレベルだっただけに本人はそれほど
ショックを受けた様子もなく「〇△予備校に入学決まりました〜」とおちゃらけて報告に来ていた。
山崎と坂田に授業以外の接点はないように思っていたが、こうして卒業後まで気にしている
ということは、受験の相談にでも乗っていたのだろう。
担任でもないのに有り難いと土方が礼を述べようとしたところ、

「じゃあ、まだデートなんてできないですね」
「は?」

山崎が続けた言葉に土方は心臓がチクリと痛むのを感じた。
デート……土方は知らなかったが、山崎がこう言うということは坂田に彼女がいるということ
だろう。坂田に彼女が……

土方は内心の動揺を隠すように胸ポケットからタバコを取り出して銜えた。

「まあ、浪人してたって息抜きは必要だろ……」
「それもそうですね。どんな所に行くんですか?」
「は?知らねぇよ」

知りたくもないとの苛付きは心の中に留めつつ、早くこの話題を終わらせるべく邪険に返す。
けれど元々愛想がないだのチンピラ教師だのと言われる土方のこと。ぞんざいな返事など
いつものことと山崎は気にせず話を続けていく。

「もしかしてデートはまだなんですか?誕生日くらいは一緒に過ごしたんでしょ?
折角、祝日が誕生日なんだし」
「あ?アイツの誕生日は―……」

祝日じゃないと言いそうになって口を噤む。担任であった自分が坂田の誕生日を知る機会は
勿論あるが、それを今でも記憶しているのはおかしいと思ったからだ。
事実、他の生徒の誕生日など覚えていない。だが山崎が言いたいのは坂田の誕生日のことでは
なかった。

「土方先生ですよ。五月五日生まれでしょ?」
「ああ、そうだな」

なぜ今、自分の誕生日の話になっているのか分からなかったが、いつの間にか坂田の話は
終わっていたようで土方は胸を撫で下ろす。

元生徒・坂田銀時に土方は特別な感情を抱いていた。いや、今も変わらず抱いている。
けれど教師という立場上、それを表に出すことはなかった。気心の知れた友人にすら黙って
土方はその感情がなくなるまで一人耐えるつもりでいる……はずだったのに、

「それで?五日はデートしたんですか?それとも受験生だからメールで『おめでとう』くらい?」
「……何の話だ?」
「え〜、ここまできて惚けるのはナシですよ〜」
「いや……」

マジで分かんねぇよと出てきたラーメンを啜りつつ言うと、山崎はニヤニヤと品のない笑みを
浮かべて片手を口元に当て、声を潜める。

「もう卒業したんだし、大丈夫ですって」
「だから何が?」
「坂田くん」
「だから坂田がどうしたって……」

気の長い方ではないと自覚している土方が要領を得ない会話と妙に楽しそうな山崎の表情に
苛立ちを募らせ、とりあえず殴ろうと教育者としてあるまじき結論に至ったその時、危機を
察知したのか単なる偶然か、山崎は決定的な言葉を発した。

「お付き合いしてるんでしょ?」
「…………は?」
「もう隠す必要ないですよ。大体、教師の相手なんて同僚か元生徒って相場は決まってますから」
「ああ……」

確かにそうではあるけれど、何故その話を今されているのか……

「性別に関しても俺、偏見ないんで安心して下さい」
「…………」
「勿論、言い触らしたりしませんよ。まあ、気付いている人も多いんで言っても問題ないとは
思いますけどね」
「あのよ……」
「あっ、近藤先生も気にしてましたよ。いつ話してくれるのかなって」
「はあ?」

尊敬する先輩教師の名まで出てきて、土方はますます分からなくなった。
土方が分かっていないのを分かっていないのか「大丈夫です」を繰り返す山崎の言葉を遮り
何の話をしているのだと改めて尋ねる。

「だから、先生と坂田くんのことですよ」
「……俺とアイツがどうしたって?」
「付き合ってるんでしょ?」
「は?」
「またまた〜……もういいですって、そういうの。大丈夫だって言ってるじゃないですか」
「……はあぁぁぁぁぁ!?」
「ちょっ……」

大声を出した土方に店内の視線が突き刺さる。山崎は慌てて周囲に頭を下げ、自らも小声で
話を続ける。

「そんな驚くことですか?皆、分かってますよ」
「わ、分かってるって何を……」
「二人が愛し合ってるってこと」
「あ、あい!?ななな何を言って……」
「だからー……」

自分の気持ちがどうしてバレたのか分からないが、これだけは訂正しておかなければと
土方はきっぱりと言い切った。

「付き合ってねーよ」
「……はい?」

今度は山崎が疑問を呈する番である。

「まだ誤魔化す気ですか?もう大丈夫なんですよ?」
「大丈夫でも何でも、ねーもんはねぇんだよ」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃねぇ」
「だって……」
「……つーか、出るぞ」
「あ、はい」

山崎の誤解はそう簡単に解けそうもなく、かといって公共の場でこれ以上生徒との色恋沙汰の
話をするのも憚られ、土方は暗に早く食べろと促す。山崎もそれに気付き急いでラーメンを啜った。


*  *  *  *  *


「本っっっ当に、付き合ってないんですか?」

土方の自宅マンションまでやってきた山崎は最終確認とばかりに聞いた。

「付き合ってねーよ。何でそんなこと……」
「だって、好きなんですよね?」
「…………」

今更否定しても無駄だとは思うが、だからといってひた隠しにすると決めていた感情を
「はいそうです」などと認めることもできず、土方は黙るしかなかった。

「合格したら付き合うって約束も……」
「してねーよ」
「もしかして、告白もしてないんですか?」
「……するつもりもねーよ」
「何で?」
「何でって……」

また黙ってしまった土方に代わり、山崎がその思いを推し測る。

「……坂田くんの気持ち、知らないんですか?」
「何が?」
「坂田くん、先生のこと好きですよ」
「はあ!?ああありえねーよ、ンなこと……」

煙草を取り出す手が震える。

「アイツが、そう言ったのかよ」
「本人からは聞いてませんけどね……ていうか、そこまで親しくないですし……でもまあ、
見てれば分かりますよ」
「勘違いじゃねーのか?」
「いやいや、坂田くんが先生の母校受けたのだって愛ゆえに、ですよ」
「だからそれ、本人に聞いたわけじゃねぇんだろ?」
「そうですけどね……。あー、てっきり卒業したら同棲する約束くらいしてると思ったのになァ」

ガッカリだとでも言いたげな山崎の態度は、土方の不安を大いに煽ってくれる。

「……俺と坂田が、本当にそんな風に見えたのか?」
「ええ」
「…………」

坂田が自分のことを、というのは俄かに信じ難い事実ではあるけれど、自分が坂田のことを
思っているのは事実であり、それが山崎にバレていたというのも事実で、そこが一番の問題だ。
坂田への思いを押し殺し、一人の生徒として他の生徒と同様に接してきたつもりだった……

「あの、そんな深刻に考えなくても……」
「個人的な感情で贔屓して、しかもそれに気付かないなんて教師失格だろ……」
「え、あっ、そういう意味じゃないですよ。先生が坂田くんを特別扱いしてるんじゃなくて、
二人でいる時の雰囲気が、なんというか、新婚さんみたいで……」
「訳分かんねぇ……」
「いや、本当ですって。互いが互いを思いやるというか、相手のために尽くすというか、
そんな感じだったんですよ。人前では、教師と生徒という枠組みから決してはみ出すことなく
密かに愛を育んでいる二人だから、皆も陰ながら応援してたんです」
「……枠組みから外れてねぇなら、何でデキてるように見えるんだよ」

職責は果たせていたようで安心したが、それでは何故こんな勘違いをされたのかが分からない。

「言わなくても分かってる感じが、そうなのかなって」
「もっと分かるように話せ」
「例えばそうですね……放課後、坂田くんが先生に分からない所を聞きに来た時とか」
「そんなの、よくあることじゃねーか……」
「確かにね。でもその時に見られちゃマズイ仕事……成績入力とかしてるとするでしょ?」
「ああ」
「そんな時、坂田くんは土方先生の顔見ただけで『今はマズイな』と分かって入って来ない」
「……そうだったか?」
「そうですよ。……数学科準備室をノックする坂田くん。ドア越しの『失礼します』だけで
坂田くんだと分かって顔を上げる土方先生。坂田くんがドアを開ける。土方先生と目が合う。
『あ……』土方先生が忙しそうだと悟る坂田くん。『坂田』出直そうとする坂田くんを土方先生が
呼び止める。『はい……』坂田くんは参考書を抱えたまま暫しその場で待つ。……ね?」
「いや……ね、と言われても……」

ドラマ仕立てに語って聞かせた山崎であったが、土方は全くもって身に覚えがなかったし、
むしろからかわれているのではないかとすら思えてならない。
そんな土方に山崎は「まだ分からないんですか」と呆れた様子。

「その後、土方先生が仕事を切り上げて顔を上げると、坂田くんはいそいそと先生の机まで
やって来て参考書を開く……『終わったぞ』とか『いいですか?』とか言ってないんですよ?
それでも相手の考えが分かるって凄いじゃないですか!もう熟練夫婦の域ですって!」
「はぁ?」

さっきは新婚で今度は熟練夫婦……やはりふざけているのかと、いつも厳しい先輩教師が
男子生徒との恋愛で慌てふためく様が滑稽でならないのかと土方は拳を握り締めた。

「山崎、テメー……」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ!俺はただ、見たままを話しただけです!」
「いや、絶対に楽しんでる」
「違いますって!それなら、近藤先生にも聞いてみて下さいよ!」
「あ?何でそこに近藤先生が……」

そこでふと、少し前にも近藤の名前が出てきたことを思い出す。
確か、いつ話してくれるのかとか……

「おい……近藤先生も俺と坂田のことを、そう思ってるのか?」
「そうですよ」
「…………」
「自信持っていいですよ。坂田くんも先生のことを……」
「いや。例えそうであっても、俺は坂田をどうこうするつもりはねぇ」
「何で?もう生徒じゃないんですよ?」
「だがアイツはまだ若いし……」
「土方先生だって若いですよ。黙っていれば二十代にしか見えませんし」
「いや……」

幾つに見えるかの問題ではなく、自分より十歳以上も若い、まだまだ人生これからの彼を
茨の道へ引き込むようなことはしたくなかった。

結局その日は、山崎が「大丈夫だから」を繰り返し、土方がそれを拒否し続けて終わった。

(12.05.11)


122,000HITキリリクより「逆3Zで馴れ初め話」です。最終的に学校公認のカップルになるのがリクエストだったのですが、卒業後の話ですみません。

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