<九>
恋人同士になる前から、隣家の住民として長い付き合いではあるけれど、トシが銀時の部屋を
訪れるのは初めてであった。日夜トシのことを思いあれこれシている場所に本人がいる――自ずと
銀時の気分は高ぶっていく。
「ト・シ・さ……」
「ハァ〜……」
壁に背を預けながらずるずるとしゃがみ込み項垂れたトシ。可愛い弟が銀八に取られてショックを
受けているのだろう。慰めてあげなきゃなどと理屈を捏ねて唇を近付ければ、やめろと弾かれた。
「十四郎に知られた……」
「何を?」
「キスのことだよ。最低だと……あ〜……」
弟の模範となるべき身で何たる失態。兄失格だと頭を抱える。
「こんな仕組みだなんて知らなかったんだから、トシさんは悪くねーよ。それに、今頃きっと
十四郎も銀八としてるって」
だから自分達もと誘うものの、何時にも増して冷たい反応。それどころか、十四郎の身を案じて
階下へ戻ろうとまでする始末。身内のいる家で大事には至らないはずだと制止した。しかし、
「銀時、喉渇かないか?」
「渇かない」
「何処かにライターを落としたような……」
「煙草ごとトシさんの部屋。慌てて出たから持って来てないよ」
トシも諦めきれず、何とか二人の元に下りようとする。そんな恋人の前で腕を組み、銀時は頬を
膨らませた。
「十四郎と俺と、どっちが大事なんだよ!」
「それはそれ、これはこれ」
「今は俺といる時間!」
「……分かったよ」
十四郎のことは気掛かりだがここから動けないのも事実。すまなかったと謝って、銀時の手を引き
隣に座らせた。
* * * * *
その頃のリビング。新たに判明した運命の二人は横並びに座ったまま、無言で麦茶を啜っていた。
この麦茶、沈黙に耐え切れず銀八が用意したもの。こちらが口火を切るべきだとは理解していて、
しかし未だに思考が纏まらない。
からん――麦茶を飲み干した十四郎のグラスで氷が鳴った。涼しげな音を奏でたそれをじっと
見詰めながら十四郎が呟く。
「……なかったことに、しませんか?」
「へ?」
ね、と向けられた微笑みに心乱され、銀八はその台詞の意図を把握できずにいた。
彼はこんなふうに笑える男だったのか。こんな、慈愛に満ちた表情で笑える男だったのか。いつの
間に、慈しめるほど成長していたのか。
「生徒と付き合うわけにはいきませんよね」
「あ……」
感心している場合ではない。早く止めなくては。俺なんかの立場を気遣い身を引こうとする彼を、
早く止めなくては――
「あのっ、土方く……」
「反則、みたいなもんじゃないですか」
「え?」
「先生は俺に、ちょっと気持ちが向いてくれただけで……何も言ってないのに、俺が勝手に分かっ
ちゃったから……」
「さっきお兄さんの前で言ったこと、聞いてなかった?」
「それはっ……」
確かに、前世の記憶とやらがなければひた隠しにしていたであろう欲望。だが理由はどうであれ
表に出してしまったのだ。引っ込めるつもりなど毛頭ない。
「俺は本気だよ」
「先生……」
「正直なところ、トシさんと銀時が羨ましいとさえ思ってる」
「……でもキスは、やり過ぎだと思います」
「ハハッ。でもキスより先はしてないんでしょ?」
「さあ」
「記憶があるんじゃないの?」
「全部分かるわけじゃないんで」
「そうだったね」
漸く見慣れた土方くんが戻ってきたように思う。と同時に、もう暫くはこのままでいてほしいとも
思う銀八がいた。何時か必ず大人になるのだ。急かさなくても良いではないか。
「土方くん」
「はい」
居住まいを正されると決心が揺らぐ。自分が今から言うことはきっと、期待に反することだから。
「えっ延期して、いいかな?」
「延期?」
「今日あった色んなことの結論は、卒業まで延期ってことで……」
「白紙に戻すってことですか?……そうですよね」
「違うって。延期は延期。ナシにはしない。だから、卒業するまで待っててね」
校内に十四郎のファンが大勢いることを銀八は知っている。三回戦の力投と本塁打でそれが
他校にまで及んだことも。「ナシ」にしてしまっては心変わりも自由になる。それは何としても
阻止しておきたかった。
「卒業したら必ず迎えに行くから」
「分かりました。よろしくお願いします」
「う、うん」
付き合い始めたら主導権はあちらが握るのだろうなと、この時、銀八は悟る。
すっと細めた十四郎の瞳に、またしても慈愛の色が見てとれたから。どちらが大人なんだか
分からない。
「ここに来るのは今まで通りでいいからね。これから本格的に受験勉強するんだし」
「ありがとうございます」
教師らしいことを言ってはみたものの取って付けた感じが恥ずかしい。繋ぎ止めようと必死だ。
「志望校は決まってるの?」
「先生と同じ所、でした」
「でした?」
「でした。前世の記憶のおかげで子どもの時の夢を思い出したんで、そっちに変えます」
「お巡りさん?」
目をぱちくりさせた十四郎に、今日初めて先手を打てた気がした。
「俺もね、前世の話を聞いて思い出してたんだ。大きくなったらお巡りさんになりたいって
言ってたなって。十歳くらいまでかな?七夕の短冊にも毎年書いてたよね」
「そうでしたっけ?」
銀八の言葉が十四郎の胸をじんわりと温める。自分でも忘れていた何気ない出来事を、愛しい人
から語られるのはこんなにも幸福なことなのか。
「それと、給食にマヨネーズが出ますように、だっけ?」
「そんなこと書きました?」
「書いてたよ。……そういえば銀時のヤツ、あの頃からトシさんと仲良くなりたいと言ってたな」
「そうでしたね」
「…………」
「…………」
あーとかうーとか、意味をなさない声の後、十四郎とは逆方向へ視線を泳がせて咳を一つ。左の
人差し指で痒くもない頬を掻きながら、声を絞り出す。
「ひ、土方くんは、いつ頃からなのかな?」
「何がですか?」
「いっいつ頃から、俺のこと好きだったのかなァなんて……」
「ああ」
そういうことですか、なんて冷静に返されて銀八の動揺は増した。やはり昨日までの、否、
一時間前の彼と比べても格段に落ち着いている。自分は名前を呼ぶにも激しい動悸に耐えねば
ならぬというのに。
これが前世の記憶のなせる業なのだろうか。それとも先に惚れた強みであろうか。
「そういうことは、恋人になれたら話しますね」
「へっ?……あ、ああそうね」
そんな男臭い笑い方ができることも知らなかった。あんなに小さかった子が……思い出と自分の
中に湧き起ったばかりの感情との整理が付かず、十四郎が幼い頃に無意識で思いを馳せる。
銀時が生まれるまで、十四郎は銀子のいい玩具だった。面倒を見るという名目でままごとの人形と
ほぼ同じ扱い。銀子のお下がりに着せ替えさせられて娘役をしていた。
家では歳の離れた兄に溺愛されていて、この頃トシは既に厳しい先輩といった存在だったから、
怒られないために、十四郎を味方につける努力は惜しまなかった。その結果、
――兄ちゃんと銀八、どっちが好きだ?
――ぱっち!
懐かれ過ぎて睨まれたのは銀八がまだ小学生の頃だった。この頃の「好き」はさすがに恋愛感情と
呼べるものではないはずだが、とにもかくにも十四郎の印象は乳幼児期から高校生に至るまで
一貫して素直で純粋。それがこの小一時間で色気付き「先生」の質問もはぐらかすような狡賢さ
まで身に付けて……大人の階段上る十四郎に翻弄されつつある。
「そろそろ帰りますね」
「えっ、もう?」
「……延期中ですから」
「ああ、そうね」
ほら今も、言い出しておいて困った人だ、なんて目で見られてしまった。
にもかかわらず、全く嫌な感じがせず、寧ろもっと世話を焼いてもらいたいとさえ思っている
自分に呆れる。グラスを片付けてくれようとするのは止めて玄関まで見送ると申し出たが、
十四郎は二階へ向かって行った。
「兄さんも連れて帰ります」
「邪魔しちゃ悪いよ」
あちらは絶賛交際中なのだから二人きりにさせてあげようと言う銀八を振り切る十四郎。その中に
あるのは許し難い記憶。
「もう二度と過ちを犯さないよう連れて帰ります」
ノックの直後、返事を待たずにドアを開ければ二人は入口のすぐ横に寄り添い座っていた。
先輩と弟の濡れ場の目撃は避けられたと銀八は十四郎の後ろで胸を撫で下ろす。
「帰るぞ」
「あ……おう」
今回の一件で弟に頭が上がらなくなってしまったトシが腰を上げると、銀時は不満を露わにする。
「もっと下でゆっくりしてろよ。……あ、襲われて逃げてきたのか?」
「先生を兄さんと一緒にするな」
「トシさんだって襲わねーよ!」
「ハッ……どうだか。何せ前科があるからな」
「恋人とキスして何が悪い!」
「時期を考えろって言ってんだよ」
「俺達はそれだけ愛し合ってるんだ」
「まあまあ」
「まあまあ」
恥ずかしい言い争いを繰り広げる弟達を宥める兄達。二人を離して頭を冷やさせる目的もあり、
トシは十四郎と帰宅を決めた。
外では照り付ける夏の日差しの下、今を盛りとミンミンゼミが鳴いていた。
(14.07.28)
3Zペアは前回「いよいよ」でしたが、まだ正式にはくっ付きませんでした^^;
何はともあれ、二組とも気持ちが通じ合ったのでそろそろホスト二人も出したいな……
追記:続きはこちら→★