<八>


「打ち合わせって、嘘だよな?」
「そうだろうな」

トシの部屋。ベッドに凭れて座る銀時は、内側の腕を恋人のそれに絡ませて、風にはためく
カーテンをぼんやりと眺めながら聞いた。あれを開ければ我が家が見え、姉はまだ大学だから、
中には兄と、今にも泣き出しそうであった幼馴染みがいるのみ。

さすがに今日はキスを迫る気にはなれなかった。
銀時――同じく窓を視界にトシが呼ぶ。

「んー?」
「十四郎は、銀八のことが好きなのか?」
「えっ!」

驚きのあまり腕を離してしまい、それが決定打となった。好きなんだな?と繰り返されて、銀時は
それに渋々ながら頷く。

「だからウチの高校で、だから野球部だったのか……」
「あ、あの……」
「十四郎には言わねぇから安心しろ」
「うん……でも、何処で気付いたの?」
「お前が『愛の力』だ何だと言ってたんじゃねーか」
「あれか……」

ごめん十四郎とカーテンに向かって手を合わせる銀時。

「上手くいくと思う?……あ、その前に銀八なんかじゃ、兄として心配?」
「弟の恋愛にとやかく言える立場じゃねぇよ」

男同士だし、歳の差はこちらの方が開いているから。

「だってトシさんと俺は運命の相手なんだもん。仕方ないよ」
「そうは言うが、もしも十四郎とお前が――」

ぼすんとベッドを殴り台詞を遮る銀時。その目は据わっていた。

「俺と十四郎が何?前世と名前が同じだからくっつくべきだとでも言いたいのかよ!」
「…………」
「トシさん!」

時が止まったかのように黙りこくったトシ。扇風機の風が時折その髪を揺らしている。まさか
本気で同世代と付き合った方が良いなどと考えているのではないか。歳の差も立場の違いも愛の
力で乗り越えられたと思っていたのに……

「トシさんっ!」
「記憶が、消えた……」
「え?」
「前世の記憶が、急に消えたんだ」
「いっ今?」
「今。前世の記憶があったってことは覚えてる。ただその内容を思い出せないというか、なかった
ことになっているというか……」
「そん、な……」

嫌だ――銀時は涙を湛えてトシに抱き着いた。

「嫌だ。お願い。捨てないで」
「銀時……?」
「キスも我慢する。何でも言うこと聞くから。嫌いにならないでっ――」
「…………」

泣き縋る恋人の背をあやすように叩きつつ、トシは穏やかに言う。

「気持ちが冷めたわけじゃねーよ」
「でも、でもっ……」

思いが通じ合い得られた運命の記憶。それが失われたということは、引き金となった愛情が消えて
しまったからではないか。
そうではないと否定するトシの口調は、聞いたこともない程に柔らかだった。

「前世がどうであろうと俺にはお前だけだ」
「けどさっき、俺と十四郎がどうとかって言ったじゃん」
「あれは、お前と十四郎が逆の立場だとしたら、俺はお前の卒業を待てたかもしれないと
言いたかったんだ」

前世の記憶がなければ銀時のアプローチを受け流せていたに違いない。そうしたら弟の恋愛に
だって意見できたかもしれないと。

「じゃあ……まだ俺のこと、好き?」
「当たり前だ」
「ならどうして記憶が消えたんだよ」

最悪の事態は回避できたが謎は残る。しかしトシとてその理由は分からなかった。

「お前は何ともないのか?」
「うん。ちゃんと覚えてるよ」
「そうか」
「もしかして、トシさんの愛が前世を超えたから、記憶は必要なくなったんじゃない?」
「……お前の愛はそれ程でもないってことか?」
「だって……怖いんだもん」

未熟な己は身一つで勝負する自信がないのだ。まだ「運命」の手助けが必要だった。

「不安にさせてすまない」
「トシさんは悪くないよ。ただ怖いんだ。十四郎が端から諦めてるのも理解できる」

付き合うまでは好きだと思うだけで良かった。けれど恋人同士を続けるには相手からも思われ続け
なくてはならない。なのに近付けば近付く程トシとの差を感じる結果となっていた。十四郎は
部活で一緒だった分、銀時よりも早く相手だけが大人であることに気付いてしまったのだろう。

「いっそ、十四郎と銀八も運命の相手だったらいいのにな」
「それだ!」
「へっ?」

お前の家に行くぞと手を引かれても訳が分からず、トシの背中に向かって尋ねた。

「ねぇ、どういうこと?」
「生まれ変わりが一人とは限らねぇだろ」
「そうなの?」

それを今から確かめる――銀時を急かしつつ靴を履き、呼び鈴も押さず坂田家のドアを開ける。

「十四郎ォ!」
「ととっトシさん!?どうしました?」

慌てて出てきた銀八を押し退けてトシは上がり込んだ。その後ろで銀時は静かに扉を閉めている。
何があった?――さあ?兄の問いに弟も首を傾げた。

「十四郎!?」
「に、兄さん……」

間もなくトシは脱衣所にへたり込んでいる十四郎を発見する。銀八に借りたらしいTシャツと
ハーフパンツを身に付け、髪の濡れた弟は、兄を見るなり顔を真っ赤にして硬直した。

「銀八テメー……」
「はい?」

地を這うような低声でゆらりと振り返ったトシ。次の瞬間、銀八の胸倉に掴み掛っていた。

「十四郎に何をした!」
「ごっ誤解です!俺は何もしてません!」
「とぼけんじゃねぇ!!」

殺伐とした兄達の横を抜け、銀時はニヤニヤと十四郎の前にしゃがむ。

「襲われるように仕向けたのか?やるな十四郎」
「ちっ違……。いきなり……」
「いきなり襲われた?まあ、銀八も男だってことだよ。お前も男だから分かるだろ?」
「銀八ィィィィィ!!」
「ぢがいまず……」

銀時の言葉でトシは益々銀八を締め上げた。愛する人の苦悶の声で十四郎は立ち上がる。

「何かしたのは兄さんの方だろ!」
「十四郎?」
「銀時と、キ……スなんかして!」
「え……」
「ゲッホゲホッ」

トシから解放された銀八に駆け寄る十四郎。耳まで赤く染めながら、兄に敵意を向けていた。

「とっ十四郎お前、見てたのか……?」
「見てねーよ!前世の記憶と一緒に降ってきたんだ!」
「前世!?」

これには銀時が食いつく。

「十四郎も前世の記憶が戻ったのか?」
「そんなことより銀時、兄さんとは別れた方がいい」
「何で!?」
「教え子に手ェ出すなんて最低だ」
「キスのことなら俺が誘ったからいいんだよ。なあ、それよりマジで前世の記憶あんの?
トシさんが十四郎の前世ってこと?」
「知らねーよ!今は兄さんがやらかしたことの方が……」
「とにかく銀八が十四郎に惚れたってことだよな?」
「あ……」

脳内に広がった兄と幼馴染みの衝撃的な光景に気を取られて思い至らなかった事実。過去の記憶が
蘇る時は思いが通い合った時。
ここぞとばかりにトシも銀八の追及を再開する。

「どうなんだ銀八!」
「なっ何の話です?」
「十四郎に惚れたんだろ?」
「はあ!?」
「素直に吐いちまえ」
「楽になるぞ」

両脇を固めるトシと銀時を交互に見つつ、銀八は状況把握に努めようと躍起になった。だが全く
分からない。今し方自覚したばかりの感情が何故この二人に知られているのか。そもそも二人は
何しにここへ来たのか。試合に負けて落ち込む十四郎のため、暫く帰ってくるなと釘を刺して
おいたではないか。
更に悪いことはこんな時、頼りになるはずの土方くんまで何かを期待してこちらを見詰めている。

「何か」なんてアレしかねぇよな。

あの真っ直ぐな好意に気付かない程枯れちゃいねぇ。同性だから未成年だから教え子だからと尤も
らしい言い訳をして、単に眩し過ぎる純粋さを受け止める度胸がなかっただけ。でもあの時――

「いい加減、認めたらどうだ」
「運命の相手だって判ったんだろ?」
「なっ何のことだか」
「しらばっくれんじゃねーよ。十四郎は生まれ変わりだと言ってんじゃねーか」
「銀時、前世の記憶だが銀八にはないんじゃねぇか」
「え、何で?」

責めの手が緩んだところをそっと抜け出すも、熱い視線は注がれ続ける。銀八にとってはこれが
一番厄介だった。元いた場所ではトシが持論を展開しているところ。

「俺の記憶は消えて十四郎に引き継がれた。……多分。だがお前の記憶は消えてないんだろ」
「ああ」
「恐らくその記憶は、後から生まれた者が持つものなんだ」
「なるほど……」
「土方くん、ちょっと」
「はいっ」

銀八が十四郎を呼んだことで他の二人も押し黙る。きっとこれから愛の告白が、なんて重圧を
跳ね退けるように銀八は咳ばらいをした。

「まずは、前世の記憶ってのを説明してくんない?」
「あ、えっと……一番古い記憶は江戸時代です。先生も俺も侍で、先生は何でも屋を営んでいて、
俺は警察です」
「で、その侍二人がデキてんの?」
「はい」

落ち着き始めていた頬に再び朱が差し、銀八は居た堪れずに先を促す。

「次は猫、だと思います。その次は多分、弁護士で……あ、俺は検事かもしれません」
「その辺はあやふやなんだ?」
「順番はちょっと……でも、最初の侍の時に『生まれ変わっても一緒になろう』と誓っていて、
それ以降は、こっ恋に、落ちるたび、前世の記憶が、蘇る仕組みで……」
「告白とかなくても?」
「は、い……」
「あー……」

銀八は先輩と弟の馴れ初めを思い出していた。あのドタバタ劇の裏にはそんなことがあったのか。

「で、俺に前世が見えないのは銀時が先に獲得しちまったからだと?」
「ああ」

答えたのはトシ。どうやら勘違いではなさそうだが、かといってないものを信じて己の気持ちを
曝け出す勇気もない。次の言葉を考え倦ねていると、とりあえず十四郎とこの家に入ってからの
ことを話してみろと、限りなく命令に近い提案がなされる。

「あ、はい」

やはり先輩には逆らえない。ここでは何だからとリビングに招き入れるしかなかった。


一つのソファーに銀八と十四郎、もう一方にトシと銀時――いつぞやと同じ座り位置だ。

「えっと……土方くんがシャワーを浴びて……」
「何でシャワー浴びさせてんだよエロ兄貴」
「お前と一緒にすんなエロガキ。試合の後だからシャワーを勧めたんだよ」

シャワーで土も埃も汗も涙も流してしまえばいい、と思ったことは本人の前では言えないが。

「それから?」
「ああはい。暫くしてシャワーが終わったみたいだったので、ドライヤーを渡そうと脱衣所の
ドアを開けて……」
「十四郎の裸を見て思わず襲っちまったと」
「ちっ違ぇよ!銀時、テメーは黙ってろ!」
「で、ドアを開けてどうした?」
「だからドライヤーを渡そうとしただけですって。そしたら土方くんが真っ赤になって座り込ん
じゃったから……」
「そこで惚れたんだな?」
「えっ……あ、あー……」

もじもじそわそわしている十四郎を横目に銀八は観念した。

「そーです」
「っ――」

十四郎の体がびくりと震え、俯き流れた髪がその表情を覆い隠す。銀八は既に開き直っていた。

「甲子園に行こうと一所懸命やってくれた土方くんに心打たれました」

赤く潤んだ瞳と濡れた髪、己の服を纏った十四郎に欲が擡げかかった、というのが正確なところ
だが、そこは幾重にもオブラートに包んでおく。

「おおっ、やったな十四郎!」
「あ、う……?」

自分のことのように喜ぶ銀時と長年の片思いを成就させたばかりの弟。二人の友情をトシは一先ず
温かく見守っていた。

「と、いうわけでですね……」
「ん?」
「できれば少しの間、土方くんと二人で話がしたいのですが……」
「ああ、そうだな。銀時行くぞ」
「はーい。あ、そっち?」

未だ動けずにいる十四郎に満面の笑みで手を振って、銀時はトシと腕を組み階段を上がっていく。
銀八と十四郎を二人きりにする気はないらしい。
大事にされている十四郎を羨ましく感じつつも、友として恋の結実を祝う銀時であった。

(14.07.23)


3Zペアいよいよの巻でした*^^* 続きはまた暫くお待ち下さい。

追記:続きはこちら