<七>
銀八率いる野球部は何とか二回戦も勝ち進み、本日、史上初の三回戦と相成った。今日は平日で
あるが期末テストも終わり、銀魂高校は家庭学習期間。トシは有給休暇を取り、自室で銀時と
過ごしていた。
「トシさんっ」
「銀時、お前なァ……」
抱き着いて目を閉じて口付けを迫る銀時。一度してからというもの、会う度キスを強請られて
毎回押し負けているトシであったが、いつも「今日こそは拒もう」と決意はしていた。
もちろん今日も。
だから右手で銀時の顔を押しやって、お決まりの台詞を吐く。
「卒業まで待っ――」
掌の中央に舌の感触。瞬間、言葉に詰まったのを銀時は逃さなかった。
首に巻き付けていた腕を下ろし、両手でトシの右手を支える。
「やめっ――!」
手首の際から指に向かい舐め上げて人差し指と中指を咥えた。軽く歯を立てながら手を引かれると
背筋がぞくりと震える。身体は距離を取れたのに、唯一触れている右手から快感が発生していく。
また流されてしまう――トシが危機感を覚えたまさにその時、階下で電話のベルが鳴った。
「で、電話!」
「あっ……」
力一杯振り切って階段を駆け降りていくトシを銀時は薄笑い顔で追う。初めのキスでは圧倒された
ものの何度か逢い引きを重ねるうちにトシは押しにも快楽にも弱いと知った。電話中であっても
構うものかと銀時はトシの背に飛び付いた。
体を揺らして形だけの抵抗をしつつトシは通話を続ける。
「え?何でだよ母さん……」
さりげなく電話の相手を伝えてやれば、年若い恋人は即座に一歩後退した。
「そりゃ十四郎は可愛いけど……ああ……ああ、分かったよ。見に行く。……ああ、じゃあ」
受話器を置いて振り向けば、唇を尖らせて腕を組む銀時と目が合う。
「どうした?」
「可愛い十四郎の所に行くんだろ」
「それで拗ねてたのか……」
「拗ねてねぇよ!」
「はいはい……悪ィな。母さんが最後の勇姿を見て来てほしいんだと」
「最後?」
「今日の相手は何度も甲子園行ってんだ。流石に勝つのは無理だろ」
「そんなの、やってみなきゃ分かんねぇよ」
二回戦の相手だってベスト16に名を連ねる学校だと聞いた。高校生同士の一発勝負、何が
起きるか分からないではないか。するとトシはそうだなと笑って言う。
「じゃあ、一緒に見に行くか?」
「えっ!」
トシと恋人同士になってからというもの、学校内は当然のことながら家の近所であっても外で
会うのを避けていた。それなのに、十四郎の応援とはいえ二人で出掛けるなんていいのだろうか。
「俺、行っていいの?」
「母校の応援に行くくらいいいだろ」
「そうだね!」
嬉しさの余りトシの左腕に抱き着けば、外ではするなよと抱き寄せて、前髪にキスをくれた。
こういうことを自然にやってのけるから銀時が誘惑を止めないのだということに、トシは気付いて
いない。気付かせたくない銀時が、跳び上がって喜びたい気分をぐっと堪えているから。
「今からだと球場に着くのは十一時前だな……もう負けてなきゃいいけど」
試合開始は午前十時。コールド負けなら終わっていてもおかしくはない――心配性なトシとは
対照的に、銀時は信じている。
「愛の力で勝つよ」
「は?」
「ああいや何でもない!早く行こう!」
ついうっかり十四郎の原動力をバラしてしまうところだった。かなり不自然であったが銀時は
足早に玄関へ向かっていく。その後ろをトシは黙って付いていった。
* * * * *
二人が球場へ着いた時、五回の裏、衿糸(エリート)高校の攻撃中でツーアウト、ランナー無し。
大方の予想を裏切り銀魂高校が二対一とリードしていた。愛の力の偉大さをしみじみと感じつつ、
銀時は後ろの方の席にトシと隣り合って座る。
衿糸高校のベンチでは、監督の佐々木異三郎とマネージャーの今井信女が次の打者に何かを言って
いるようだった。
「あんな高校にリードを許すなどエリートの名折れですよ」
「ここで追い付けなかったら殺す」
「…………」
脅えた様でバッターボックスに入れば、ピッチャーの十四郎にキッと睨まれ益々畏縮してしまう。
第一球がキャッチャーミットに収まる音でやっと投げられたのだと気付くほど。甲子園出場を
目指し、未知の領域で先発を託され気迫充分の十四郎の敵ではなかった。
結果は三球三振でスリーアウト。ベンチへ引き返す銀魂ナインを銀八は誇らしげに迎えていた。
ほら見たことかとトシの袖を引く銀時。だがトシは冷静に分析する。
「まだ半分だ。試合はこれから」
「どっちの応援してんだよ!」
「事実を述べたまでだ。ほらあのピッチャー、テレビで見たことあるだろ?」
「知らね」
相手校のピッチャーはプロ候補として様々なメディアの取材を受けていた。銀時は「他と同じ
ただの坊主じゃないか」と強がって見せたものの、彼の手から放たれた球は、十四郎のそれとは
比較にならない速さでミットに吸い込まれている。
「あのピッチャーからどうやって二点も取ったんだ?」
「さあ?」
実を言うと銀魂高校を見下していた佐々木監督は先発に控えの控えの控え程度のピッチャーを
選んだ。その隙を突き、三番バッターの沖田と四番の十四郎で出塁し、五番の山崎の犠牲フライに
より得点する。予想外の事態に陥った衿糸高校は、前の回からエースの登板となったのだった。
六回の表、銀魂高校の攻撃は三者凡退であっという間に攻守交代。先頭打者は件のエースで、
監督からのプレッシャーもマネージャーの脅しもものともせず、ホームランであっさり同点に
追い付いた。それにより勢い付いた衿糸高はヒットを量産。しかし銀魂高もホームベースだけは
死守し、その回の失点を一点に留めた。
七回は互いに得点なし。だが出塁数は圧倒的に衿糸高が勝っていた。
衿糸高の追加点は時間の問題と観客の誰もが思い迎えた八回表。打順は一番の伊東鴨太郎から。
格下相手にリードが奪えず、今大会注目のピッチャーも焦燥が投球に表れ始める。
伊東がヒットで出塁し、二番の原田右之助がバントで伊東を二塁に進め、次の沖田もヒットを
打って……ワンアウト一、三塁で四番バッター十四郎の登場。
「エリート様が敬遠はしねぇだろ。犠牲フライで一点追加もいいけど……どうせならホームランで
三点いっちゃって」
「はいっ!」
愛しの監督に送り出され、十四郎はバッターボックスに入る。ふぅと息を吐いて肩の力を抜き、
マウンドの上を睨み付けた。
一球目、見逃しのストライク。
二球目、レフト方向に引っ張ってファウル。
三球目、ボール。
そして四球目、ど真ん中のストレートに思い切りスイング。高く上がったボールも見ずに十四郎は
走り出した。伊東、沖田も走り出し、衿糸高の外野は打球の方向へ下がっていく。
客席では銀時が手と手を組んで天に祈っていた。
「入れェェェェ!」
だが願いは届かず、白球はフェンスに阻まれ落下していく。今、沖田が三塁ベースを蹴ったところ。
「落とせェェェェェ!」
こちらの願いは聞き入れてもらえたのか、ボールは土の上を転がり、二人目のランナーも帰って
きた。そして、
「回れ十四郎ォォォォォ!!」
打った本人も三塁を回る。センターの投げたボールはショートを経由してホームベースへ飛ぶ。
十四郎のスライディング。キャッチャーミットがパンと鳴り――
「セーフ!」
アンパイアの両腕が開いた瞬間、球場がどっと湧いた。
ランニングホームラン。三塁で留まり、次の山崎の送りバントを待っても良かった。だが銀八が
ホームランと言ったから、その期待に応えるため十四郎は走ったのだ。
これで五対二、強豪校を追い込んでの八回裏、坂田監督が動く。
――銀魂高校、シートの変更をお知らせします。セカンドの沖田くんがピッチャー、ピッチャーの
土方くんがセカンド。三番ピッチャー沖田くん、四番セカンド土方くん。
場内アナウンスの後、銀魂高校の「エース」は悠々とマウンドへ上がった。
「十四郎、代えられちゃったか……」
「もしかしたら狙い通りの展開かもしれねぇぞ」
肩を落とす銀時にトシの言葉は理解できなかった。投げる方でも銀八にいい所を見せたかった
だろうに気の毒だ。十四郎の活躍であんなに点が取れたのに……
「十四郎は多分、最初から交代すること前提で投げてたんじゃねぇかな」
「……どういうこと?」
「野球のレベルで言えば衿糸高校が数段上だ。だから一人で投げきらず、十四郎と沖田くんの
二人で対抗することにした」
「かもね」
「十四郎に聞いたんだが、沖田くんはコントロールがよく、相手の一番苦手な所に投げるのが
上手いらしい」
「うん」
それは銀時も聞いたことがある。バッティング練習の時にも打ちにくい球ばかり投げて困るのだ
とも言っていた。おかげで十四郎はどんなボールでも打てる四番バッターになったのだが。
「直球勝負の十四郎に慣れてきたところで沖田くんに代わればすぐには対応できないだろうな。
残り二回なら抑え切れるかもしれない。……銀八のヤツ、考えたな」
「それってウチが勝てるってこと?」
「可能性が出て来たってだけだ。あちらさんもプライドに掛けて負けらんねぇだろ」
「そっか」
銀八の読み通り、エリートと言えども急な変化に対応できず、その回は無得点。
しかし九回表は下位打線を押さえられ、運命の九回裏。ここでエリートの意地を発揮し、ヒットを
繋いでワンアウト満塁。一打逆転のチャンスを作りだした。そしてバッターボックスに立つのは
四番打者兼ピッチャーの男。
それは一分にも満たない僅かの時間の出来事。
沖田の手を離れた白球はバットの中央に当たり、ピッチャーが体勢を戻すより早く左側を抜けた。
その直後、ボールは十四郎のグローブの中にあり、キャッチャーの原田目掛けて真っ直ぐ飛ぶ。
三塁ランナーがスライディングで突っ込むも、ホームベースの手前でミットが待ち構えていた。
「うぉぉぉぉぉぉっ!!」
立ち上がり雄叫びを上げる銀時。それでも懲りず、トシの頭をパシパシと左右の手で叩く。
「勝った勝った勝った!!」
「痛ェよ……」
「十四郎が勝った!!」
「分かってる」
一緒に見ていたではないかと落ち着き払った口調のトシであったが、言い終わると目頭を押さえて
いた。「愛は勝つ」とはしゃぐ銀時の言葉を頭の片隅に留めながら。
それから数日後の四回戦。六回コールド負けで十四郎達三年生の夏は終わった。
「よく頑張ったな」
監督の励ましにも悔しげな表情の部員達。三年前「負けて当然」と言わんばかりで試合に臨んで
いた頃とは比較にならない程成長した。もっとちゃんとした指導者がいれば……ごめんな。
謝罪の言葉が口を付いて出る。
「先生は悪くありません!」
即座にキャプテンが否定する。自分がもっとしっかりしていれば、と。
「いやいや、土方くんも他の皆もよくやってくれた。今日の敗因は先生の力不足です」
「先生……」
「つーわけで、来年からちゃんとしたコーチが来るから」
四回戦進出を決めた時点で理事長に話を付けておいたのだと銀八。お前達のおかげで銀魂高校が
甲子園に行く日も近いと続ける。
「今日は早く帰ってゆっくり休め」
寄り道するんじゃねぇぞと締め括り、解散となった。
* * * * *
「おー、出迎えごくろーさん」
銀八と十四郎が揃って帰宅すると、土方家の前でトシと銀時が待っていた。今日も二人で球場へ
足を運んでしまっている。結果が結果だけに大人しく部屋の中で帰りを待つなどできなかった。
緩く手を挙げた銀八と帽子を目深に被り黙ったままの十四郎。隣をちらりと伺って、銀八はトシに
向かう。
「これからキャプテンと秘密の打ち合わせなんで、もう暫く銀時を預かっててもらえます?」
「ああ」
「じゃあ行こうか」
「あの……」
か細い声を発する十四郎の背に笑顔で腕を回し、銀八は自宅へ招き入れた。
(14.07.18)
次回、3Zペアもいよいよです^^ 続きのアップまで少々お待ち下さい。
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