<五>
「ただいまー!」
「お邪魔します」
降り頻る雨の中、極短い距離ではあるが全力で駆け抜けて息を乱しつつ、トシと銀時は坂田家へ
戻ってきた。リビングのピザは既に片付けられ、代わりに和歌集が広げられている。午前中、
銀八が隣町の図書館で借りてきたもの。この辺で最も蔵書の多い図書館で。
「やあやあお二人さん、お元気ですか?」
「……お前は元気そうだな」
しまりのない顔でへらへら笑う弟の変貌ぶりに呆れながら、銀八は二人にソファーを譲り、
己は十四郎の横に腰を下ろした。反射的に居住まいを正した十四郎に笑みを濃くして銀時は
その向かいに座る。当然、トシは銀時の隣、銀八の正面ということになる。満面の笑みの銀時の
横で、強張った表情のトシはすうと息を吸い込んだ。
「銀時と付き合うことになった」
「……はい?」
「!?」
俄かには信じられない銀八と驚愕のあまり絶句する十四郎。銀時の笑顔から、フラれたショックは
和らいだのだと容易に想像が付いていた。しかしまさかこんな逆転劇が待っていたとは。
銀時の気持ちを知っていた十四郎でさえ言葉を失う程なのだ。それすら知らなかった銀八には
青天の霹靂である。
「とっトシさん?冗談にしては笑えないんですが……」
「冗談じゃねぇよ」
「……いつから?」
「さっき」
「え、何で?」
「俺達は結ばれる運命だったの!」
「ちょっと黙ってろ」
矢も盾もたまらず口を挟む銀時を宥めすかし、トシは銀八へ再度、お前の弟と付き合っていると
宣言した。手放しで祝福できることではないが反対する立場でもないしする気もないけれど……
反応に困った銀八は「こちら側」であるはずの十四郎に助けを求める。
「土方くんは、知ってたの?」
「付き合うっていうのは今。でも、銀時は前から兄さんのこと……」
「そうか。まあ、二人が真剣なら別にいいんですけどね……」
「真剣に決まってんだろ!ねっ、トシさん?」
「ああ」
トシを見据える眼鏡越しの視線は、これまで受けたことのないほど鋭いものだった。
「真剣なら何で銀時の卒業まで待てなかったんですか?」
「それは……」
誰と交際しようが本人の自由。しかし兄として教師として、そこだけは納得がいかない。
「お二人がこれまでどうしてきたかは知りませんけど、どうにも先程のあれで気分が盛り上がって
デキちゃったように見えるんですよねぇ」
「…………」
全くの正論にぐうの音も出ない。いかに真摯な思いがあろうとも、いや寧ろそうだからこそ、
手順を誤ってはならないのだ。
重苦しい空気に包まれる中、単身それを打ち破らんと銀時が奮起する。
「俺達は何百年も愛し合ってきたんだ!」
「……何言ってんだお前?」
「前世だよ前世!江戸時代、俺は市民を守るヒーローで、トシさんは警察官。生まれ変わっても
一緒になろうと約束して、それから猫になったり弁護士したりして今に至る!」
「占い師にでも言われたか?」
「記憶にあるんだよ!二人の気持ちが通じると、愛の奇跡で前世の記憶が降ってくるの!」
「漫画の読みすぎ」
「ちっがぁぁぁぁぁう!」
「銀時、もういい」
自分達の中にだけ存在するものを信じさせるのは難しい。その気持ちだけで充分だとトシは
銀時の肩を叩く。
「トシさんは、全然悪くねぇのに……」
「年上の方が責任は重いんだよ」
「でも……」
厳しい意見も甘んじて受け入れる覚悟を決めているトシであったが、銀時はそれを許さなかった。
「トシさんは責められるようなこと何もしてねぇよ。俺がキスしたいって言ってもダメだったし、
俺の裸も見てくれねぇし、見せてもくれねぇし……」
「くくっ……」
「あ?」
耐え切れないといった様子で銀八が吹き出す。隣では十四郎が居心地悪そうに頬を染めていた。
「銀時お前、初日から焦り過ぎ。これだからチェリーは……ぶふっ」
「馬鹿にすんな!」
「キスも拒否されたとか、ぷっ……ほぼ付き合ってないようなもんじゃねーか」
「手は繋いだわボケェ!」
「そんなんお前が赤ん坊の頃とっくに……ハハハハハ!いい子いい子もしてもらったか?」
「くっそ〜」
「銀時、座れ」
苦笑いのトシに腕を引かれ、渋々ながら銀時はソファーに収まる。目尻の涙を指で拭いつつ、
銀八は再びトシに視線を向けた。
「まっ、この調子なら大丈夫でしょ。くりんくりんな弟ですがどうぞよろしく」
「テメーは人のことくりんくりんなんて言える立場だと……」
「銀時」
未だ悪態を吐く銀時を窘めて、トシは深々と頭を下げる。
「ありがとう。それと、すまない」
「まだまだガキなんでお手柔らかに頼みますね」
「分かってる」
「それから、ウチのエースに悪影響を与えないように」
ぽんと十四郎の背を叩いた銀八はもう教師の顔をしていた。
「エースは総悟です」
「いやいや、ウチはダブルエース制だからね」
沖田総悟は二年生ながら正ピッチャーを務めている。けれど気分の斑が投球にも表れてしまう
性質で、しかも弱小野球部所属の割に打たれ弱く、二塁手だが去年までピッチャーだった十四郎は
控えのピッチャーも兼ねていた。
それを銀八は、頼りになる先輩が後に控えていることで総悟は実力を発揮できるタイプなのだと、
十四郎に説明している。その時に「ダブルエース制」という言葉を使ったのだ。十四郎自身は
投手としての後輩の力を認めているし、控えに回るのは当然だと感じている。なのに「先輩」を
立てようとしてくれる銀八の気遣いに惚れ直すほど。
だが実際、何かと十四郎と張り合いたがる総悟は名実ともにエースとなるべく練習に励むように
なっていった。
「練習で疲れて帰ったのに、家で兄貴と同級生がいちゃついててゆっくり休めないなんてこと、
くれぐれもないように」
「当たり前だ」
俺にとっても大事な弟だと言い切るトシの横顔を見詰めながら、銀時は今後の交際について一人
思案する。
自分達の関係は――少なくとも自分が卒業するまでは――この四人だけの秘密。ということは
デートもできない。二人きりになれるのは互いの家で家族のいない時のみ。野球部はしばしば
日曜も練習をしていて十四郎達三年生は夏の甲子園予選で負けたら引退で……
「十四郎、甲子園行く気で頑張れよ」
「ああ!」
十四郎が部活の間にいちゃつくつもりだと大人二人は銀時の意図を見透かしていたが、素直に
激励と受け取っている十四郎に免じて気付かぬふりをしてやる。
雨はいつしか上がっていた。
* * * * *
半月後。意気揚々と土方家の呼び鈴を押した銀時を出迎えたのはトシ達の母であった。
恰幅の良い母は長い髪を一つにまとめ編んでいる。
「こんにちは」
「あら銀時くん。十四郎ならもう出てるわよ」
「そうですか……」
今日は夏の高校野球地区予選の一回戦。十四郎の不在など承知の上ではあるが、試合前にエールを
送りたかったと一応がっかりした風を装ってから本来の目的を切り出す。
「あ、トシ先生はいますか?」
「トシならいるわよ。どうぞ」
にこやかに迎え入れてくれるのをやや心苦しく思いつつ、密かに育む愛に酔いしれてもいる
銀時であった。
「トシせんせー」
「おう、来たな」
母の前ではあくまで先生と生徒。問題集とノート、それに筆記用具を広げたら殆ど隙間がなくなる
程度の折り畳みテーブルを開いて受験勉強スタート。間もなくトシの母が飲み物を持って来てくれる
から、それまでは我慢の時間。しかも今日は、
「十四郎の応援に行ってくるから留守番よろしくね。銀時くん、夕ご飯は何がいいかしら?」
「あ、すみません。何でもいいですよ」
夕方までこの家に二人だけ。となれば銀時は俄然「やる気」を出すというもの。玄関の閉まる音と
同時にノートを閉じた。
「おい」
「トシさんには、もっとイイコト教えてもらいたいなァ」
「……例えば?」
「ファーストキスはレモンの味って本当ですか?」
「嘘です。はい、じゃあノート開け」
「いやいやここは実地で教えてくれないと!」
案の定そうきたかと呆れ返りながらも、年頃だから仕方ないとトシは優しく諭す。
「生徒に手は出せないって言っただろ?」
「けどキスくらいいいじゃん」
「キスでも手を出すことには変わりねぇよ」
「……だったら俺がする」
「は?」
テーブルを跨いでトシの横に着き、がしりとその両肩を掴んだ銀時。
「俺が勝手にキスすれば、トシさんが手を出したことにはならないでしょ?」
「そういう問題じゃねーよ」
「そういう問題!」
「お、おい」
トシの膝に圧し掛かり、両手で確りと頭を挟んで口元目掛けて突進。ゴッと唇越しに鈍い音がして
念願のファーストキスが達成された。
「確かにレモン味はしねぇな。つーか痛い」
「銀時」
「……ごめんなさい」
二人きりだから調子に乗りましたと項垂れる銀時の顎の下、トシの指がそっと支えて顔を上げ
させる。きょとんとしている銀時の頭に手を添えて、トシの顔が近付いてきた。
「味覚は舌で感じるもんだろ?」
「トシ、さん……?」
出会ってもうじき十八年。こんなトシは見たことがなかった。
艶を含む声に熱っぽい瞳、吐く息は周囲の空気まで甘く染めている。
何が起きたか理解できぬまま。伏せられた黒い睫毛が至近距離にいて、遂に言葉を発せられなく
なってしまった。
「んんっ!?」
口内へぬろりと侵入してきたものが舌だと判明した頃には背中と頭をがっちり押さえられていて、
なすすべなく銀時はトシのシャツに縋り付く。
上顎を奥から手前に舐められると銀時の身体がびくびくと震え、間もなくトシは口を解放した。
唾液がつっと口の端から垂れても放心状態の銀時。それをぺろりと舐めとりトシは愛しい存在を
抱き寄せた。
「レモンの味はしたか?」
「分かんない……。でもトシさん、何で?」
「お前一人を悪者にできるかよ」
「だけどトシさんは……」
同じことをしたら未成年の自分より大きなリスクを負うことになるのに――トシの右手が銀時の
頬に触れ、その親指が唇を縫い留めた。
「それが『先』に『生』まれた者の宿命だ」
「……俺、絶対誰にも言わない!銀八にも、十四郎にも」
「悪ィな」
「トシさんのせいじゃない。俺がキスなんかしたからいけないんだ」
「お前は悪くない。お前はただ、恋人にキスをしただけだ」
「俺も早く、ただの恋人になれるよう頑張る」
「ありがとな」
今は教え子兼恋人だから過去の自分達のように愛し合うことはできない。
二人の愛のため、トシを守るため、銀時は口を噤もうと心に誓うのだった。
(14.07.02)
次回ちょっと18禁になる予定です。
追記:続きはこちら(注意書きに飛びます)→★