<十五>
「銀時、ちょっといいか?」
「ん?」
翌日の昼休み。十四郎は銀時を屋上へ呼び出した。寒風吹き荒ぶ今日のような日にここへ来る者
などいない。人には聞かれたくないこと――兄のことで話があるのだと銀時はすぐに悟った。
前夜、銀八がトシを飲みに誘ったのは知っている。何度その理由を問い質しても「学校のこと」と
はぐらかされてしまったが、おそらく十四郎か自分のことを話したのだと踏んでいる。
例のことがバレたのであろうか。いやそんなはずは……考えても分からない。確かめるしかない。
「何?」
塔屋を風避けにして弁当を広げつつ尋ねてみた。その横に腰を下ろした十四郎の口が重々しく動く。
「今日もウチに来るのか?」
「ああ」
非難めいた言いようもあっけらかんと受け流す。銀時からすれば、大好きな人と両想いであるにも
かかわらず付き合うことすらしない十四郎の方がおかしい。
「十四郎は今日も塾だろ?頑張るねぇ」
「お前も頑張れよ」
「頑張ってるよ」
トシさんがもっともっと気持ち良くなるように、とは口が裂けても言えないが。
友人の浮ついた様子に、何も分かっていないと十四郎は溜め息を吐く。
「成績、下がってるじゃねーか。そんなんで受験大丈夫なのかよ」
「受験?まあ何とかなるって。ダメだったら就職でもいいし」
「やっぱりお前、分かってねぇな」
「あ?」
「そんないい加減なことで兄さんと付き合っていけると思ってんのか?」
「何言ってん……」
自分の成績が悪くなったこととトシは無関係。そう蹴散らそうとした銀時であったが、はたと
止まる。勉強に身が入らなくなった原因は、寝ても覚めても体を熱くする恋人との甘美な体験に
ほかならない。制御できないのは一重に自身の未熟さゆえであるものの、トシに知られれば責任を
感じさせてしまうのは火を見るより明らか。銀時のためという理由を掲げ、銀時にとって最悪な
責任の取り方を選択しかねない。
一瞬にして顔面蒼白となった銀時は苦言を呈してくれた幼馴染みに縋った。
「どどどどうしよー……」
「ちゃんと勉強するしかないだろ。……会う回数を減らしてでも」
「……そうだよな」
今からで間に合うかどうかは分からない。だがやらなくては二人の未来がない。
「お前って本当にいいヤツだな。流石トシさんの弟」
「最後は余計だ」
「へへっ」
親切な友人に別れを告げて銀時は階段を駆け降りていく。その足で向かうのは数学科職員室。
二人の関係を隠すため、校内では接触しないと決めていた。今、その禁忌を破り扉を開ける。
「ト……土方先生いますか?」
「どうしたの坂田くん。質問なら先生がいつでも受け付けるわよ」
可愛い生徒のためなら昼食抜きでも構わないと銀時の数学担任、猿飛あやめ先生が登場。
土方先生は気まずそうにこちらを見ている。
「十四郎のことで相談があるんです」
「土方くん?大丈夫。先生だって相談に乗れるわ。ダメだったら罵ってもいいのよっ!」
「猿飛先生」
お気持ちはありがたいのですがと遠慮がちに、目的の人が銀時の元へ。
「弟が何かしでかしたようですのでここは私が。準備室、空いてましたよね?」
行くぞ――手短に告げて壁に掛かる鍵を手に、トシは銀時を連れて行く。「十四郎」が口実に
過ぎないことはとっくに悟っていた。銀八に諭され決意したことを伝える頃合いだとトシは右手の
鍵を握り締めた。
「十四郎のことっていうのは嘘なんだ。ごめんなさい」
二人きりになった瞬間、銀時はぺこりと頭を下げた。窓のない準備室を照らすのは蛍光灯の
明かりのみ。昼でも夜でも同じ景色のそこはまるで閉ざされた世界のよう。愛する人と二人だけ、
その得も言われぬ幸せに容易く浸りかけた銀時。早くしないと決心が鈍ってしまう――
「受験が終わるまで、会いに行くのやめます」
「えっ……」
トシは己の耳を疑った。こちらから切り出さねばならないことを聞かされたから。そんな戸惑いに
気付きもせず、決まりの悪そうな顔をする銀時。
「実は成績がかなりマズイことになってまして……あ、トシさんのせいじゃないから。全面的に
俺が悪いんだ」
「銀時……」
「大分遅れを取ったけど、これから死ぬ気で勉強するから、だから……見捨てないで下さい!」
どんな時でも銀時の行動原理はトシ。受験よりもフラれる不安を抱え、しかし自ら正答に辿り
着いた恋人にトシの目頭が熱くなる。
「お前、大人になったな」
「え?ちょっ……何で泣いてんの!?」
「俺が不甲斐ないばかりにいつもいつも気を遣わせて……」
「そんなことない!トシさんはダメって言ってたのに俺が……でも今日から変わる。学生の本分を
全うして迎えに行くから、待っててね」
「ああ」
「それじゃあ……よいお年を」
まだ十二月に入ったばかりであるけれど、次に二人で会えるのは来年になってから。
サクラサケ――思いを乗せてトシは微笑んだ。
「よいお年を」
失礼しましたと、よそ行きの顔で頭を下げ準備室を出る銀時。その成長ぶりにまたも涙する
トシであった。
その日の夜、銀時は遠方で暮らす両親に電話で頼み込み、家庭教師を付けてもらうことになる。
かくして非常に遅まきながら、銀時も遂に受験戦争へ本格参戦と相成った。
* * * * *
三月。卒業式を間近に控えた今日は国立大学前期日程の合格発表の日であった。ここ銀魂高校では
どこの教科の職員室もピリピリとした緊張感が漂っている。三年の担当ではないからと普段通りを
装いつつ、トシと銀八も気が気ではなかった。
既に私大の合否は出ているはずだが、今日に至るまで恋人(銀八にとっては未来の恋人)からの
合格報告は一切なし。全てダメだったのか、あるいは本命である(と思われる)国立大の結果を
待って知らせてくれるのか……同僚に探りを入れれば分かるかもしれないが、それでは恋人(以下
同文)を信じていないことになる。自分に出来るのは祈って待つことのみ。
「銀八、今年は凄いぞ」
「何が?」
やや興奮気味に銀八の机を叩くのは、三年生の古典担当・桂小太郎先生。
「東大現役合格者が既に三名だ」
「へぇ……」
東大とは言うまでもなく我が国最難関の国立大学である。銀魂高校からは例年、数名の合格者を
出すのがやっと。それも卒業生を含めての数字であった。
「卒業生と、後期日程も含めれば二桁に届くかもしれんな」
「お前、いい時に三年担当したなァ。まあ、俺が担当してたら現役だけで二桁いったと思うけど」
「指導の秘訣、教えて下さいよ」
「やっぱり集英高仕込みですか?」
「あちらは毎年数十人も東大に送り出す名門ですからね」
いつの間にか他の教師も集まっている。そして何故か彼らの興味は現三年担当でない坂田先生へ
集中していた。
「あの……ちょっとした冗談ですよ。そんな大層な力はありませんって」
「またまたご謙遜を。今日受かった三人全て、坂田先生の教え子じゃないですか」
「はい?」
今年の三年生の授業など一度も持っていないというのに……理由を問う銀八に、まさか知らない
のかと桂も問い返す。
「何を?」
「合格者三人についてだ」
「担任でもないのに知るわけないだろ?」
「三人中二人は野球部員だぞ」
「なるほどね」
文武共に好成績を残せたからかと納得。だがそれは生徒の努力の結果だと銀八は述べる。
「俺はただの顧問なんでね。けどウチの部員で東大っつーと……伊東くん?」
「ああ。それと土方だ。お前に知らせに来ないということは、やはり俺の教えが良くて合格でき
たのだな。いつ生徒が来てもいいように休日でもここにスタンバってた甲斐がある」
「誰も来てないだろ。でもそうかァ、伊東くん受かったかァ……」
伊東は一年生の頃から東大を目指すと公言して自らを追い込み、野球部の合宿にも問題集を持って
来るような生徒だった。
ガタタタッ――
突然イスから転げ落ちた銀八。桂は無駄に話が長かったり、的外れなことを言ったりするので、
付き合いの長い銀八は半分聞き流す癖が付いていた。その「半分」の内に最も重要な情報があった
ことに今更気付き動揺したのだった。
「大丈夫か銀八?」
「あ、ああ……ネ、ネジが緩んでたかな……」
落ち着けと自分に言い聞かせ、イスの高さ調節ハンドルを回す銀八の手は震えていた。
「ひ、土方くんも東大受けたんだ……」
「受けたことも知らなかったのか。お隣りさんなのであろう?」
「まあ、そうなんだけどね……」
早鍾を打つ心臓を鎮めようと卓上のマグカップに手を伸ばすも、震えが止まらず引っ込める。
「土方くんが、東大……」
「もしや、残りの一人も知らないのか?」
「……誰?」
早目に次の話題に進まなければ取り繕えなくなるに違いない。
「弟の結果くらい興味を持て」
「はああああああ!?おおおお弟って、銀時か!?」
「本当に知らなかったようだな……」
思惑とはかなり異なるものの、十四郎の合格による狼狽えは、より大きな狼狽の元の投下によって
上書きされた。十四郎の時も驚きはしたが、彼なら合格できても不思議はない。
だが銀時は違う。
ここ数ヶ月、家庭教師とみっちり勉強していたけれど、その前のビハインドは如何ともしがたい。
それを乗り越えたというのか?愛の力で?
「銀時が……」
「弟に超されて悔しいか?」
「いや。とにかく驚いた。アイツ、二学期の成績悪かったから……」
「それもこれも俺の指導の賜物だな」
「銀時は理系だろ。適当なこと言ってんじゃねーよヅラ」
「ヅラじゃない桂だ!それに共通一次には古典もある」
「はいはい……」
「すんませーん、兄貴います?」
いつもは留めていない詰め襟のホックまできちんと掛けて、噂の弟が顔を覗かせた。
遅ぇよ――おかげで今も動悸が治まらない。
だが銀時も不本意ながらここにいるはず。本当は真っ先に数学科へ行きたいだろうに、そちらを
十四郎に任せて来たに違いない。
「東大合格おめでとー」
「知ってたのかよ!」
「さっきヅ、桂先生に聞いた。野球部の二人のことも」
「何だ……」
「父さんと母さん、それから吉田先生には知らせたか?」
「松陽先生は一緒に発表見たよ」
吉田松陽先生は銀時の家庭教師である。年末年始もなく週五日、銀時の勉強を見てくれていた。
今日は心配になって大学まで足を運んでくれていたのだ。
だがまだ両親には報告できていないと銀時は答える。大学や高校近くの公衆電話は軒並み大行列
だったから。それを横で聞いていた桂先生は職員室の電話を使わせてくれる。兄や他の教師達の
前で親と話すのは少し気恥ずかしいけれど、最高の結果を早く伝えたい。
銀時は銀八のイスに座り、受話器を取った。
「……あ、母さん?俺だけど、受かったよ。東大。……うん、その東大。……え?ああうん。
うん、うん、うん……じゃあな。はい、どーもありがとうございました」
「母さん、驚いてただろ?」
「うん。カニ持って今から来るって」
「そうか」
そこまでしなくてもいいのにと可愛くないことを言う銀時は、嬉しさを隠せないといった様子で
下校していった。
(14.09.11)
土方兄弟の様子は次話で。ホント今更ですが、文系の十四郎と理 系の銀時がどうして同じクラスなんだろう^^;
追記:続きはこちら→★
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