<十二>


「お帰り母さん」
「お帰りなさい」
「ただいま。あら、お客さん?」

夜の土方家。帰宅した母は息子達に出迎えられ、見知らぬ靴に目が留まる。誰かしらとリビングに
足を踏み入れた母は、

「はじめまして。トシーニョといいます」

眩い煌めきを放つような金髪碧眼の男に目をチカチカさせた。

「彼はフランス人で以前、ウチの大学に留学してたんだ」
「あらそうなの。はじめまして、トシの母です。日本語お上手ね」
「ありがとうございます」

まさか母にも生まれ変わり云々を話すわけにもいかず、元からの知り合いということにした。

「それで、こっちに遊びに来たんだが手荷物をなくしてしまったらしい。警察や大使館には届を
出してあるから、見付かるまでウチに置いて構わないか?」
「勿論よ。大変だったわねぇ」
「助かります」

母の提案で本日の夕飯はトシーニョの歓迎会となる。普段より少し豪華な食事にマヨネーズを
たっぷりかけて。



「勉強中ごめんなさいね」

食後、トシーニョは十四郎の部屋で英語の勉強を見てやっていた。親の母国語としてある程度の
英会話はできるもののトシーニョ自身は日本生まれの日本育ち。受験英語は専門外で、そもそも
高卒の自分に大学受験なんて……だがとりあえず見てほしいとせがまれて已む無く問題集に目を
通した。文法問題はサッパリだったが、英文和訳や長文読解はそこそこできる。そうして勉強を
進めていたところ、母がやって来たのだ。

「トシーニョくん、お風呂どうかしら」
「もう少し勉強を見てます。お先にどうぞマダム」
「マダムだなんてあらやだホホホ……じゃあ、お先に」

少女のように頬を染め、母は階下へ戻っていった。

*  *  *  *  *

一方、坂田家では男三人での夕食を終え、銀八が入浴しているところ。リビングのテレビで
ニュース番組を見ながらこの時代の情報を得ている金時の前に、銀時がイチゴ牛乳を運んで来た。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」
「何?」

風呂場の方をちらりと伺い、銀時は口元に手を垂直に添えて小声で尋ねる。

「俺とトシさんのことでちょっと」
「あー、はいはい」
「その……えっと……あの……トシさんとー……」
「ん?」

元々小さかった声がもごもごと口籠り、更に聞き取りづらくなっていき、金時は銀時に耳を
近付けなくてはならなかった。

「トシさんと、俺が……その……」
「うんうん」
「はっ初エ……チって、いつ?」
「ああ」

気になる?――いやらしい笑顔に口を尖らせつつも、教えてくれと両手を合わせる。

「未来は分からないから面白いんじゃねーの」
「でもっ、ヤれるのは確実なんだよな?」
「うーん……色んな前世の記憶があるから、確実かって言われるとねー」
「じゃあ、確実じゃなくてもいいからどっちが上になるのか教えて」
「……お前はどっちがヤりてぇの?」
「トシさんに合わせる!」
「なら、そういう雰囲気になったら聞いてみれば?」
「その前に予習をね」

幼い頃からトシ一筋だった銀時。当然のことながら経験などない。トシがどちらを希望しても
いいように最低限の知識は身に付けたが、どちらかに絞ることができればより深められる。
けれど金時に教える気はない。

「トシ先生に手取り足取り教わればいいんじゃね?」
「俺は対等に付き合いてぇの」
「その気持ちも分かるけどなァ……あまり予習し過ぎると、遊んでるって思われるかもよ?」
「う……そしたら、どうすればヤれるのか教えてくれ」

十四郎に知られてしまってからというもの、キスすら出来なくなって困っているのだと銀時。

「あらら……見られちゃったんだ?」
「違ぇよ。トシさんの記憶が十四郎に移った時に知られたの」
「どういうこと?」

銀時は自分達と十四郎達の記憶を得た順序、加えてトシの仮説と銀八だけは前世の記憶を保持した
ことがないことを伝えた。

「つまり、兄貴と友達がいちゃついてる記憶が十四郎くんの中にあると」
「そう」
「きっついなァ」

過去の時代の自分達とはいえ見ず知らずの他人のことだから、何をどうしていても今の生活に
さして影響はない。しかしそれが近しい人間同士となれば、脳内の記憶に苛まれてしまうだろう。
そして、知られた側も今まで通りではいられまい。それで身持ちが堅くなってしまったのか。

「誕生日とかクリスマスなんかに託けて頼んでみたら?」
「それいいな!」
「何がいいんだ?」
「ゲッ……」

水分の重みでほぼストレートヘアーになった銀八が、タオルを首に掛けて浴室から出て来た。
グラスにイチゴ牛乳を並々と注ぎ、一気に飲み干すと金時達の元へ。

「で、何がいいんだ?」
「何でもいいだろ。銀八には関係ねェ」
「つーことはトシさんのことだな?」

眼鏡の奥がきらりと光り、銀時はぎくりとしてしまう。どっかとソファーに体を沈め、髪の水気を
拭いながら銀八は溜め息を吐いた。

「気に入らないことがあればちゃんと言ってくれる人だし、焦る必要はねぇと思うぞ」
「恋人もいない人から偉そうに言われたくありませんー」
「てめっ……こっちはこっちの事情があんだよ」
「どうせ十四郎が気を遣って『付き合うのは卒業してからにしましょう』とか何とか言ったん
だろ?なあ銀八『先生』?」
「…………」

やはり幼馴染みの同級生だけあって十四郎のことはよく分かっている。まさしくその通りで
銀八には言い返す言葉もない。
あのさ――金時の暢気な声が不穏な空気を遮断した。

「こっちは『トシさん』なのに何で先生って呼ばれてんの?お付き合い前だから?」
「好きな子に先生って呼ばれると興奮するんだよ。変態だから」
「おいィィィィィ!いい加減なこと言うな!!」
「昔は名前で呼んでたじゃねーか。それがいつの間にか『先生』と『土方くん』だもんなァ」
「背徳感が二人の愛を育ててるってことね」
「ち、が、う!!」

風呂上がりのせいではなく顔を真っ赤にして怒鳴る銀八。年下二人に堪えた様子はなく、質の悪い
弟が増えたようだと頭を抱えた。

「部員一人だけ特別扱いするわけにはいかねーだろ……」

自分が顧問を務める野球部に入ってきてから、「隣の十四郎くん」ではなく「教え子の土方くん」に
なったのだ。その件で十四郎には何も言っていないが、同様に考え「先生」と呼ぶようになったの
だろうと推測している。

「まあ、そんなところだろうな」
「言われなくても分かってるし」
「いいから風呂入ってこい!」
「分かりましたァ……先生」

兄を小馬鹿にしつつ銀時は風呂場に入っていった。疲れたと背凭れに頭を預けながら横目で金時を
見れば、かちりと視線が交差する。

「……何だよ」
「楽しそうでいいですね」
「馬鹿にしてんのか?」
「違いますよー。兄弟喧嘩も年の差を気にしたこともないんで新鮮なんです」
「何の障害もなく幸せ一直線ってか?羨ましいことで」
「そう見えます?いやァまいったなぁ〜」

普通にしているだけなのに――口では謙遜しているが、二人でいる時の態度を見れば明らか。
互いを無条件に信じ、愛し合っているようにしか見えない。

「仕事とはいえ女の子と仲良くしてて、妬いたり妬かれたりってねぇの?」
「それはねぇな。仕事は仕事だし、それにアイツは浮気するようなヤツじゃねぇし」
「まあそうだろうね……」
「十四郎くんだって同じだろ?」
「……まあそうだろうね」

自分の恋人でもないのにこちらにまで全幅の信頼を寄せている。これも前世の記憶の為せる業
なのであろうか。

「土方くんと俺のことも、色々知ってるんだよね?」
「まあそれなりに。……知りたい?」
「いや」
「銀時くんは知りたがってたけど……大人の余裕ってやつ?」
「そんなんじゃねーよ。むしろ必死過ぎて他人の助言を聞く余裕もない」
「ハハッ、いいんじゃねーの。アンタ達には合ってる気がする」
「どうも」

軽薄そうなところは気に食わないけれど、身内のような安心感もある。これが生まれ変わり故
なのか。自分にその記憶がないことを少し残念に思う銀八であった。

「ところで、トシーニョとはいつ会えんの?」
「明日でいいだろ」
「ダメだよ。アイツの顔見なきゃ眠れねぇ」
「……銀時が出たら頼め」

隣家の窓が正面にあるのは銀時の部屋だけ。僅か数時間離れたくらいで寂しがる金時を軟弱だとも
思うが、ここは彼らが本来いるべき場所ではないのだ。恋人としても未来人としても唯一の存在と
共に過ごしたいと願うのは当然であろう。

銀時の風呂上がりを待ち、三人で二階へ上がった。

「何で銀八も付いてくるんだよ」
「お前らだけにしたら危険だからだ」
「信用ないなァ」

手のかかる「弟達」に嘆息しつつ、銀八は銀時の部屋の扉を開けた。

「おっ、いるいる」

銀時がカーテンを開ければ、向かいの窓もカーテンの隙間から明かりが漏れている。脇に置いた
虫取り網を手に机へ膝を付き、手慣れた様子で銀時は向こうの窓を三度叩いた。
それを合図にあちらの窓も開き、十四郎が顔を覗かせる。

「トシーニョさんいる?」
「あー……今、風呂」
「そっか。じゃあまた後で……」
「銀時くん銀時くん」

目的の人がいないのならと窓枠に手を掛けた銀時を、金時が呼び止めた。金時は部屋の入口で
控えている銀八にちらりと視線を送り、続いて十四郎へ、最後に銀時へ向けて右目をぱちり。

「ねっ?」
「ああ!さすが金時さん!」

プククと含み笑いで机から下り、

「さあさあ兄上こちらへどうぞ」
「は?」

これまでにない恭しさで銀八の背を押し部屋の中へ入れた。

「お、おい……」
「俺達外に出てますからどうぞごゆっくり」
「トシーニョさんが来たらその席譲ってやるんだぞー」
「おいテメーら!あ……」

まるで打ち合わせでもしたかのように息ピッタリで、金時と銀時は瞬く間に部屋から出てドアを
閉めてしまう。まいったな……左の頬を掻きながら窓の外を見れば、くすりと笑う十四郎と目が合った 。

「何だか本当の兄弟みたいですね」
「バカな弟が増えても嬉しくねぇよ」

くすくすと笑う十四郎は余裕たっぷりに見え、「弟達」に世話を焼かれる己が恥ずかしい。

「そっそういえば、こうやって話すの初めてだね」
「そうですね」
「もっと小さい頃はさァ、俺がここ来ると慌てて窓閉めてたよね。怒られると思ってた?」

窓から窓へ互いの部屋を行き来して、親に見付かっては危ないと叱られていた。それでも目を
盗んではこっそりここから出入りしていたのを銀八は知っている。けれどそれで銀時や十四郎を
注意したことはなく、寧ろ自分の部屋には通りに面した窓しかないため、この秘密の抜け穴を
羨ましいとすら思っていた。

「俺がもうちょっと若ければ、一緒に窓越えしてたと思うよ」
「多分、無理だったと思います」
「そんなに運動神経鈍そう?」
「いえ。ただ、恥ずかしかったんで……」
「恥ずかしい?」
「先生と、話すのが」
「あ、そうなんだ……」

こちらをじっと見詰めてくるくせに目が合ったら逸らしちゃうってヤツ?初々しいじゃないか。
ということはその頃から意識していたのか……意図せず知った自分への思い。突如として羞恥に
襲われた銀八は強引に話題を転換した。

「そっそういえば多串くん、何処の大学受けるの?」
「……秘密です」
「何で?」
「落ちたら格好悪いんで」
「結構いいとこ狙ってるんだ?そういうことなら調べないでおくよ」
「どうも」

担任でないとはいえ銀八が十四郎の志望校を知る機会はいくらでもある。しかし本人の意志を
尊重し、合格報告に来てくれるまで待とうと決めた銀八であった。


一方廊下では金時が、古紙回収に出すため廊下の隅に積んであった女性向けファッション誌を
眺めていた。元の時代で年配の女性客を相手にするのに使えるかもしれないと。
一冊取ってはパラパラと見てまた次を取る。四冊目を手にしたところで表紙の文字に目を奪われた。

日本初上陸!mayon mayon特集!

「それ、銀座に店出したブランドだろ?マヨンマヨン、未来でも人気?」
「あ、ああ」

人気なんてものじゃない。カジュアルからフォーマルまで、老若男女問わず愛される超有名
ブランドで……銀時はそろそろとページを捲る。

「トシさんマヨネーズが好きだから、ここのブランド気にしてたんだよなァ」
「マヨネーズとは無関係だと思うけど」
「それでもいいの」

将来、マヨネーズボトル柄の商品を展開し始めるが、それはまだ先の話。何せ張本人が生まれて
いないのだから。
漸く特集ページに辿り着き、金時は目を見開いた。ページの中央には一押しアイテムで固めた
金髪ロングヘアーのモデル。

「こっこの方は……」
「マヨンマヨンの専属モデルだろ?やっぱり未来でも有名なんだ。……あ、未来ではこの人が
社長夫人とか?」
「……知り合い?」
「ンなわけねーじゃん」
「だよねー」

ならば言ってもいいだろうか……微かな逡巡の後、金時は件の金髪美女を指差した。

「この人、トシーニョのお母様」
「はぁぁぁぁぁ!?トっ……はあああああ!?」
「お、この髪縛ってんのなんか、トシーニョに似てねぇ?」
「……確かに」

トシーニョの女装姿を見慣れた金時にとっては生き写しといっていいレベル。だが思いもよらぬ
有名人の出現に銀時はあたふたと部屋のドアを開けた。

「だっ大事件発生!!」
「あ?何だよ?」
「十四郎、トシーニョさんは!?」

銀八を押し退けて窓の前を陣取る銀時。

「おおお落ち着いて聞けよ」
「いきなり入って来てどうした?お前が落ち着け」
「うるさい!これを見……ひぃっ、トシーニョ様!」

十四郎の背後で扉がノックの後、開けられた。肩にタオルを掛け、ライトブルーの地にマヨネーズ
ボトルがプリントされたパジャマを身に付けたトシーニョが登場。銀時は弾かれたように後方へ
立ち退いた。代わりに金時が例の雑誌を手に机の前へ。

「じゃーん、トシ子ちゃん発見!」

金髪モデルをトシーニョの女装姿の名前で呼び、金時は得意げに本を広げた。誰がトシ子だと
お決まりのツッコミを入れたトシーニョは、見せつけられたページに目を見張る。

「それ……」
「お母様でしょ?そっくりだねー」
「あ、ああ……」

な、大事件だろ?――部屋の後ろでは銀時が銀八に同意を求め、向こうではトシーニョ越しに
雑誌を一瞥した十四郎が自分の母との違いに絶句していた。トシーニョの顔立ちは白人のそれで
あるが、自分や兄とも似ているように見えた。自分達は母親似だから――十四郎は父の顔を知ら
ないけれど――トシーニョの母と自分達の母もと考えたが甘かった。いやいやウチの母も若い時は
細くて美人だったらしい(本人談)。それに人種が違うのだから単純に比較はできない。
同じ身長の兄に借りたパジャマのズボンが寸足らずになっている。違いは母同士に限らないと
自嘲する十四郎であった。

「お母様は『今年』日本に来たんだって」
「ああそうか。そうだな」
「お父様とのお付き合いはまだ?」
「ああ。この頃はアメリカを拠点にしてたはず」
「そっか」
「ところでその本、どうしたんだ?」

まさか坂田家の人に買わせたのではないか。あまり迷惑を掛けるなと睨むトシーニョに金時は
笑顔で否定した。

「元々この家にあったんだよ。銀時くんのじゃない?」
「俺のわけねーだろ。姉貴のだよ」

雑誌を机に下ろし、金時は振り返る。

「お姉さん……?」
「そう。俺と銀八の間にいんの」

大学の長い夏休みを利用して旅行中なのだと説明してやった。

「銀八さんと銀時くんの間で女の子だから……銀子さんとか?」
「正解。安直な名前付けるだろウチの親?」
「ふーん……銀子さんね……」

含みのある物言いをして、けれど唐突に金時は話題を戻す。

「銀座のお店、見に行ってみねぇ?」
「ここで大人しくしてる約束だろ」

銀座へ行くとなればまた電車賃が必要になってしまう。自分の手で稼ぐことができない今、
トシーニョは極力外出を避けたかった。だが金時は折角なので過去の世界をこの目で見てみたいと
思っている。それが恋人のルーツであるなら尚更だった。

「見て来るくらい、いいですよね?」
「そのくらいなら」
「ほら、銀八さんもこう言ってることだし」
「そうは言うがな……」
「じゃあ六人でトリプルデートにしたらどう?俺達だけ遊びに行くの、気が引けるんでしょ?」

次の日曜にどうかと十四郎を誘えば、すみませんと返ってきてしまう。

「日曜は塾に行ってて、それにその……俺と先生は……」
「あー、まだだったね。じゃあ銀時くんは?」
「行きます!」
「お前も勉強しろよ受験生」
「たまには息抜きも必要なんだよ」

息抜きにデートできない十四郎は可哀相だと兄に皮肉を言えば、こめかみをひくつかせながら
銀八が反撃した。

「今度の日曜は剣道部の試合だから、顧問のトシさんはデートしてる暇ないだろうなァ」
「嘘っ!」
「というわけで、おたくらこそ息抜きも必要だろ?日曜は二人でゆっくりしておいで」
「どうも」
「ありがとうございます」

デートの約束も取り付けて、おやすみハニーと投げキッスを飛ばしまくる金時に呆れながらも
最後はきちんと投げ返し、窓を閉めたトシーニョ。
やはり羨ましいことこの上ないと、この時代の男達は仲睦まじさに当てられてしまうのだった。


*  *  *  *  *


トシーニョと金時が昭和の時代にタイムスリップして三日。今日は二人で銀座デートの日。
朝から部活の試合と塾に各々出掛けた土方兄弟を見送り、トシーニョは坂田家へやって来た。

「いらっしゃーい……って出迎えるの久しぶりだね」
「そうだな」

交際を始めてすぐに同棲した二人。友達付き合いをしていた頃を思い出す。

「さあさあどうぞ」

金時に連れられて坂田家のリビングルームへ迎え入れられたトシーニョ。そこでは銀八と銀時が
遅めの朝食中であった。

「朝早く失礼します」
「いえいえ。お母さんの載ってる雑誌集めておきましたよ」

箸を振りながら銀時も招き入れる。ダイニングテーブルには何冊もの雑誌が積み重なっていた。

「なんだかすみません」
「いえいえ、こっちこそこんな有名人と知り合えて光栄です」

モデルとして様々な国で活躍し、ゆくゆくはデザイナー兼社長夫人になる母とは違い、自分は
有名人でもなんでもない。そんなトシーニョの態度を謙遜と受け取って、銀時は朝食を平らげて
いく。穏やかな気候の日曜の朝。頬杖をついてトシーニョは、若かりし日の母の姿をパラパラと
眺めるのだった。



「いってきまーす」
「本当にすみません」

笑顔で靴を履く金時と恐縮しているトシーニョ。銀八と銀時は見送りに来ている。
朝食の後、銀八は金時とトシーニョに一万円札をそれぞれ渡した。折角のデート、何か美味しい
物でも食べて来たらいいと。弟の手前言わなかったが、ついでにゆっくり「ご休憩」できるように
考慮しての金額である。
これは事前にトシと決めていたこと。自分達の都合で引き離してしまった恋人同士に、今日一日
くらいは二人きりで過ごさせてやろうと。

「いいから楽しんで来なよ」
「お土産よろしく」
「金さんに任せなさーい」
「ありがとうございます。いってきます」

ごく自然に手を繋いで出て行く二人。羨望の眼差しを向けつつ送り出す坂田兄弟であった。


「やっと二人きりになれたね」
「そうだな」

指と指を絡ませて手を握り、駅へ向かう金時とトシーニョ。銀座へ着く前に休憩所を探しそうな
雰囲気である。そんな愛し合う二人の前方より銀髪の女性が一人、キャリーバッグを転がしながら
歩いてきた。

「こんにちはー」
「……こんにちは」

すれ違い様、にこやかに挨拶をした金時に釣られて女性も挨拶を返す。あんな知り合いいた
かしら……首を傾げながら進む女性の後ろ姿に、金時はすっと目を細めた。

「あの人、銀子さんか?」

特徴的な髪の色でトシーニョも気付く。「多分ね」と返し、金時はまた駅に向かって歩を進めた。

*  *  *  *  *

その頃の坂田家。リビングの掃除機掛けをしていた銀時は、テーブルの上に一万円札が二枚置いて
あるのを見付けた。こっそりポケットへ入れてしまうには大金過ぎる……洗濯場にいる兄を
やむを得ず呼ぶ。

「銀八ィ、金が落ちてる」
「ああそれは俺の金だ……え?」

見もしないで自分のものだと決め付けた銀八は、予想外の金額に目を丸くした。というかこれは……

「アイツら、忘れていったのか?」
「ちゃんと持ってってたよ。……まあ、もしデート代ならそのうち戻ってくるよな」
「お、噂をすれば……」

玄関から物音がして、兄弟はうっかり者の恋人達を出迎えに。

「あれ、おかえり」
「たっただいま……」

倒れ込むようにして入って来たのは銀子であった。

「おおおおばおばおば……」
「……おばさん」
「誰がおばさんだ!」

こちらに向けられた弟の手をはたき、お化けを見たのだと兄に縋る。

「お化け?」
「見たのよ!金髪の二人組!」

銀八と銀時は顔を見合わせてプッと吹き出す。兄弟や隣人によく似た人物を見かけたからといって
まさかそれを幽霊と認識するだなんて。

「本当なのよ!信じて!」
「はいはい」
「目の前で消えたんだから!」
「消え、た……?」

銀子の話によると――駅前商店街を歩いている際、前から金髪の男二人が来るのに気付いた。
男同士で手を繋ぎ、変わっているとは思ったが関わらずに通り過ぎようとしたその時、男の一人
から挨拶され、仕方なく返した。その後、背中に視線を感じ振り返ってみると、件の男達が霧に
包まれたようにだんだんと見えなくなったのだという。

「そうか、消えたか……」
「そうなの!怖かった〜!」
「大丈夫大丈夫。それは悪い霊じゃないから」
「何でそんなこと分かるのよ……」
「銀八も見たことあるんだよな?」
「あ、ああ。見た者に幸福をもたらす妖精のようなものらしい」
「気休めは言わないで……」

よろよろとリビングへ向かう銀子に付き添いながら、銀八と銀時は恋人達の帰還を心の中で
祝うのだった。――いつかまた、幸せな未来の世界で。

(14.08.18)


トシーニョの実家ブランド名、漸く決めました。大したものじゃありませんが^^;
さて、これにてタイムトラベル編、一旦終了です。次話からはまた二組の話に戻ります。

追記:続きはこちら。18禁のため注意書きに飛びます。