<五>


十四郎に勉強を見てもらう約束の日、銀時はなかなか寝付けず徹夜に近い状態で新聞配達をした。
入学に必要な額は貯金でき、後は学力を付けるのみ。だから週6日入っていたホストクラブの
アルバイトは週1日に減らした。ゼロにしないのは入学後も続けるつもりだから。高収入は勿論の
こと、様々な人生に触れられるこの仕事を銀時は気に入っていた。
その一方で、新聞配達は毎朝継続中。今のところ十四郎と最も確実に会える機会。なくすことは
できなかった。

先ずは容姿に一目惚れ。目を擦りながらの配達終盤、向かいから走ってくる男の顔に、心臓を
鷲掴みにされた。眠気は一気に覚醒し、気付けば声を掛けていた。
己の性癖を自覚した瞬間でもあったが特にショックはなかった。

これまで何人かの女性から告白されて付き合ったことがある。彼女持ちは勝ち組――そんな単純な
考えの下、来る者拒まずを通してきたものの彼女がいることのメリットを感じたことはなかった。
友人のように馬鹿騒ぎしたり気楽に部屋を訪れたりはできない関係。その上、手を繋いだりキスを
したり抱き合ったり……やらなきゃならないけれどやり過ぎてはいけないことが多過ぎて気疲れ
する。どんなものかと一通り「経験」はしてみたものの、一人でする方が気持ち良かった。
そんなこんなで何人かの女性から告白されて付き合って、長続きせずにフラれてきた。

自分は恋愛に向かない質なのだろうと思っていたが、何のことはない、相手を間違えていたのだ。
本気になれる相手であれば、仕事でなくとも積極的に口説き関係を築こうと努力できるのだ。


彼のことを知れば知る程惹かれていく。ヤクザに物怖じしない度胸も、一方的な約束でも守って
くれる律儀さも、そして、その育ちも。
一人暮らしの大学生、しかもそこそこ家賃の高いこの辺り(銀時は知り合いのツテで相場より安く
借りている)、「普通の家」の子だと疑いもしなかった。それが――

もうすぐ十四郎との約束の時刻。掃除は止めて勉強を始めておかないと。
八畳程のワンルーム。念のため普段よりベッドとテーブルを近付けておいて、銀時は問題集と
ノートを広げた。



「いらっしゃいませー」
「お邪魔します」

午後五時五分前、十四郎は手土産を持って銀時の部屋を訪れた。コンビニの、一パック二個入りの
ショートケーキとペットボトルの緑茶。早速食べようとする銀時にせめて一問解いてからだと、
「先生」の厳しいお言葉。はいはい分かりましたとシャープペンを握り、イスに座る。十四郎は
左隣に――そこにしかイスがなかったので――座った。

「この問題なんだけど……」
「あー……」

問題文を読み、銀時の解答に目を通す十四郎。よろしくお願いしますと銀時は十四郎の膝に左手を
置いた。数式を追う十四郎の視線が僅かに停止したのは気付かない振りをする。時期尚早。焦りは
禁物。受験勉強を口実に互いのことをよりよく知って、合格して、それから。

「ここから違ってる」
「えっ、そんな前から?だって、辺ABとDCが同じ長さだからさァ……」
「そんなこと何処にも書いてねーぞ」
「マジで?…………マジだ」

銀時は左手でページをめくり、改めて問題の図形を写しとって考える。

「もしかして、対角線とか引く?」
「かもな」
「そしたら三平方の定理だけで求められちゃったりして……」
「多分な」

絶対に正解を教えてくれないスパルタ先生の顔色を伺いつつ、銀時は計算を進める。

「よっし、できた!5cm!何だ、こんなに簡単だったのか〜」
「じゃあもう一問やるか?」
「いやいや、その前にケーキタイム!」

問題集もノートもぱたんと閉じて、銀時はそそくさとキッチンへ逃げていった。もらったケーキを
一つずつ皿に取り分け、付属のプラスチック製フォークを添える。ペットボトルの緑茶はグラスに
注いで十四郎の分のケーキと共に運び、自分のお茶とケーキも続いて楽しい楽しいおやつタイムの
始まり。銀時はケーキの天辺に乗ったイチゴをフォークで掬い取り、十四郎の皿に乗せた。

「来てくれたお礼」
「は?」

遠慮される前に押し付けて、いただきますと自分のケーキにフォークを突き刺す。ぽっかり空いた
イチゴの跡地。普段なら最初に食べる大事なイチゴ。でも愛しい人に食べてもらえると思えば幸せ
だった。
とそこへ、十四郎のフォークからイチゴがころりと乗せられる。もらった物を返すなんてと文句の
一つでも言おうとした銀時であったが、先程己の転がしたイチゴは十四郎のケーキの横に鎮座して
いた。その代わり、十四郎のケーキにぽっかり跡地が出現。

「お礼のお礼」
「……ありがと」

左手で十四郎の膝をぽんと叩き、銀時はイチゴを優しく口の中へ。本当はありがとうと抱き着いて
キスをしたい。もっと言えば、背後のベッドへ雪崩れ込みたい気分。甘酸っぱいイチゴを噛み締め
ながら、十四郎の口内も今は同じ味がするのだろうかと想像すれば、果肉は舌に果汁は唾液に
思えてきて、ふるりと身体が反応した。

「どうした?」
「いいいや何でも!美味いなコレ!」

慌てて左手を離して皿を抱え、ケーキを掻き込む銀時。スポンジの間のイチゴが舌に触れるたび、
先のイケナイ妄想が浮かんでしまう。それを即座に咀嚼して飲み込んで、必死で涼しい顔を作る
銀時であった。

「それにしてもお前……」
「なっなに?」
「いい部屋住んでんな」
「そう?」

イチゴで欲情していることを悟られやしないかとビクビクしていたものの、十四郎からは全く別の
話題が出てきてホッとする。

「新築か?」
「いや。築六年だったかな……」
「充分新しいじゃねーか。俺ン家なんか昭和だぞ。家賃高そうだな」
「ふっふっふ……なんと六万五千円!」
「はぁ!?冗談だろ?」
「本当はその倍なんだけどな、大家のバァさんが俺の客なんだ」

マンションの隣で「お登勢」というスナックを経営している女性。十四郎はホストクラブで見た
和服の人を思い浮かべていた。

「元々はクラブの寮に住んでたんだよ。寮、つってもフツーのマンションの一室で共同生活な。
けど人気が出てきたら、新八が自分で部屋借りろって煩くてよー」

人気者はそれに相応しい暮らしをする必要があるらしい。自分もああなりたいと下位のホスト達を
奮起させるのも仕事のうち。

「でも折角収入上がったのに家賃でパアにするわけにゃいかねーだろ?そしたらバァさんが自分の
マンション半額にしてくれるって言うから、甘えさせてもらったってわけ。まあ、大学生になれな
かったら倍にするって脅されてんだけどな」
「そうか」

物騒な言葉とは裏腹に銀時の表情は明るい。彼女なりの励ましに違いなかった。

「十四郎は?真選荘って家族連れが住む所ってイメージだったけど」

新聞配達をしているだけあって、近隣の住宅事情には詳しい銀時。真選荘は五階建てで総戸数
十戸の小さなアパートだった。十四郎も一人暮らしは自分だけだと言う。

「部屋、広いんだろ?」
「2DK」
「へぇ……そっちこそ家賃高そう」
「古くて駅まで遠いしエレベーターもないからそうでもないぞ」
「でもいいなァ、広い部屋。ウチ狭いからジャンプ溜めるとすぐ足の踏み場なくなるぜ」
「兄さんがな……」
「うん?」

ややバツが悪そうに十四郎が話す。家族を知らない銀時に兄の話をするということと、自分一人で
決められなかったもどかしさで。

「田舎の、デカイ家で育ったから、感覚がおかしいんだよ。最低でも二間ねぇと不便だとか何とか
……大学生にとって家賃八万が高いかどうかなんて考えたこともねぇんだ。保証人になってくれた
のは感謝してるがな」
「そうなんだ」

そう言う十四郎の表情は穏やかで、銀時の気持ちも身体も落ち着きを取り戻してきた。

「家賃が払えないなんて言ったら仕送りすると言われるだけだから、バイト頑張るしかねぇだろ」
「そうだね」
「おかげで一部屋ただの通路になってる」
「そっか……じゃあ二人で住むと調度いい感じ?」
「だろうな」

恋人同士となれたあかつきには十四郎の部屋に引っ越そうかと、密かに計画立てる銀時であった。

(14.05.12)


次回は18禁の予定です。

追記:続きはこちら(注意書きに飛びます)