<三>


十一月、枯れ草色の銀杏の葉が舞い落ちたいつもの公園で、十四郎は小休止を取っていた。銀時の
誕生日にホストクラブへ行って以降、ジョギング中にすれ違えば挨拶を交わす関係となって一ヶ月。
ついでに、愛犬家の強面とも挨拶をするようになり、近隣住民から白い目で見られるようになって一ヶ月。
けれど元からご近所付き合いなどしていなかった身として何ら変わらぬ生活を送り続けて一ヶ月。
十四郎は物足りなさを感じていた。

自分とやや似た境遇を持つ銀時との出会いに少し期待していたのだ。何を、と聞かれると答えに
窮してしまうのだが、ともかく友人付き合いが始まるものだとは思っていた。
交換したメールアドレスは、その日の昼に十四郎から「新聞配達間に合ったか?」と送り
「大丈夫だよ」と返ってきて以来、使用されていない。運命だ何だと言ったのは、所詮ホストの
リップサービスだったのか。

「おはよう、十四郎」
「……おう」

十四郎を見付け、新聞を積んだ自転車を押しながら公園へ入ってきた銀時。艶やかな男の影響を
受けて銀杏は黄金の輝きを放つ。にこやかに挨拶をして、無愛想に返されるのはいつも通り。その
後は「今日も頑張ってね」「お前もな」で終了――するかに思われたのだが、

「平日の午後で暇な日ない?」

ひと月ぶりに挨拶以外の会話となった。
だがそれに対する十四郎の返事は否。大学かアルバイトで全て埋まっている。

「そうか〜」

銀時の吐き出した息で手前の新聞がひらひらと揺れた。このまま話を終えるのは惜しいような
気がして、十四郎は頭の中でカレンダーを捲る。遅くとも年末になれば大学は休みだがその前にも
一日くらい……

「あっ」

十四郎は思い出した。

「来週の木曜なら……」
「空いてんの!?」
「ああ」

午後に取っていた講義がこの日、休講になると言われたのだった。

「一時くらいに帰れる?」
「一時……半には帰る」
「じゃあ二時に西町五丁目バス停で」
「何処に行くんだ?」
「塾」
「塾?」
「まあ塾っつーより寺子屋だけど」

十四郎にはさっぱり分からなかった。塾でも寺子屋でもいいがそもそも何故行くのだと問えば、

「大学に入ったって勉強は必要だろ。そんなんじゃ立派な教師になれねーぞ」

尤もなことなのだが未だ大学に入ってもいない銀時に言われることでは……事情も知っている
だけにそれは口に出さず「詳しく話せ」と目で訴える十四郎。

「……なんか、十四郎に睨まれると『私がやりました』って言いたくなるな」
「何だそれ」
「警官とか向いてるんじゃね?」
「おい」
「やべっ!」

はぐらかすなと詰め寄れば、配達を理由に踵を返されてしまった。仕事中と言われて引き止める
わけにもいかず、遠ざかる自転車に舌打ちをしつつ十四郎もジョギングを再開する。その足取りが
ここへ来るまでよりも軽いことに、本人は気付いていない。


*  *  *  *  *


約束の木曜日。塾だか寺子屋だかの全容は一切不明のまま、十四郎は指定されたバス停に自転車で
向かっていた。斜めに背負ったバッグには一応、大学の課題を入れてある。
十四郎の住むマンションからは三十分程で着く予定。敢えて交通費を掛ける距離ではない。残暑も
漸く落ち着いて、慌てて冬支度を始めた風が心地好かった。

「よう」
「えっ?」

バス停の古びたベンチに腰掛けて待っていた銀時は、車道に集中していて歩道から声が掛かるまで
十四郎に気付けなかった。その少し驚いた様子に、訳も分からず来る羽目になった十四郎の蟠りは
解消される。ピンク色のパーカーが地味に見える男などコイツくらいだと心の中で笑った。
恐らくは下に「仕事着」を着ているのだろう。受験勉強とアルバイトを二つ、懸命に生きる銀時へ
敬意を表したくもなる。勿論、そんなことは求めていないと分かるから、表には出さないが。

「お前はバスで来たのか?」
「歩き。でも自転車で来れば良かった」

いつもは自転車だが十四郎がバスで来ると思い歩いて来た。帰りは二人でバスに乗れるように。

「で、塾は?」
「ああうん」

ベンチを軋ませながら立ち上がり歩く銀時の横を、十四郎は自転車を押してついて行く。ここから
十分くらいの所にあると銀時。バス通りから一本入って住宅街を進む。予備校などがありそうな
場所には到底思えなかった。

「ただの塾じゃねぇんだろ?」
「まあね」

道すがら十四郎は問う。今日まで「配達が遅れる」と避けられてきた塾の全貌を明らかにしろと。

「秘密でも何でもないんだけどね……無料で勉強見てくれる所だよ。前に話した吉田先生が、
先生辞めて三年前に始めたんだ」
「へぇ……」
「早い時間はちびっ子ばっかで居心地悪くて」

確かに、銀時のように高校を卒業した者でなければ、大学受験生はまだ授業中であろう。
卒業生でも、昼間に働いて夜勉強をするという人もいそうだ。銀時はその逆。だから自分を
誘ったのかと合点がいった。

「施設出のヤツも多いんだ」
「そうか」
「先生は……俺の担任して、俺みたいなヤツに勉強教えたくなったんだって。それで、家の道場を
塾に改造したんだ」

そう語る銀時の横顔は何処か誇らしげで、十四郎にはその気持ちが殊のほか理解できた。誰かの
人生に深く関わっているという実感。これがあって初めて、生きていて良いのだと、己の価値を
見出だせる。十四郎も母の死後、自分は迷惑を掛けるだけの存在だと周りの大人達に申し訳なさを
感じていた。だから「良い子」であろうと頑張った。
けれど引き取られる際、兄から言われた「お父さんにしてくれてありがとう」という台詞で変わる。
そこにいるだけで感謝される存在になれたのだと、感じることができたから。
誕生を喜んでくれた親の記憶もない銀時ならなおのこと、恩師の言葉は糧となったに違いない。

「ここ」

案内されたその場所は、門構えこそ道場そのものだが「こども学習教室」の看板が掛かっていた。

「こんちはー」
「……こんにちは」
「やあいらっしゃい」
「えっ!」

二人を出迎えた長髪の男性を見て十四郎は驚きの声を上げた。大学の部室の古い写真、OBから
耳にタコができる程聞かされた伝説の部員。その名は……

「吉田、松陽……?」
「はい。アナタは土方十四郎くんですね」
「あ、はい」
「先生のこと、知ってんの?」
「えっと……大学の、剣道部で……」

銀時に説明しながら十四郎は自分の物分かりの悪さを悔やんでいた。「松陽」などという珍しい
名で何故すぐに悟らなかったのか。「道場を塾にした」というヒントまであって。
部を四連覇に導き、個人としても全国大会で二度の優勝――輝かしい実績を残しながらも卒業と
同時に引退した男。実際に竹刀を振るったところを見たわけではないが、先輩達の話を聞いて一度
手合わせ願いたいとすら思っていた。その吉田松陽が己の目の前にいる。

「先生、剣道やってたのか?」
「父の影響で大学まで。ここは元々剣道場ですよ」
「でも大学では、読書サークルに入ってたって言ってなかった?」
「読書サークルにも入ってましたよ。土方くんは私の後輩に当たるわけですか?」
「あ、はい」
「それはなかなかに運命的な巡り会わせですね」

運命などと大袈裟なところが銀時に似ているなと思いつつ、中へどうぞと促され、十四郎は銀時に
倣い靴を脱いで上がった。まだ他の生徒はおらず自分達三人のみ。板張りであったはずの床は
若草色と深緑のタイルカーペットが敷き詰められ、そこに、小学校で使うような机とイスが並んで
いる。少子化で廃校になった学校から譲ってもらったのだと吉田先生は十四郎に話して聞かせた。
個別指導が基本で、騒がしくしなければ勉強以外のことをしに来てもよい。今の時間「先生」は
一人だが、夕方以降は学生の学習ボランティアが交代で数名来るシステムらしい。

「理系の人は少ないから助かります」
「え?」
「数学が専門なのでしょう?」
「はあ……」
「中学生くらいまでなら何とかなるのですが、大学受験となると……」

話が違うと十四郎が睨みつければ、

「さあて、勉強勉強……」

分かりやすくごまかす銀時。先生もその様子で十四郎がボランティアのつもりで来たのではないと
察知した。困った子ですねと笑う先生は全く困っているようには見えない。

「何と言われて来たのですか?」
「その、大学に入っても勉強は必要だと……」

考えてみれば、こんなことで騙される自分もどうかしている。それなのに先生は瞳を煌めかせ、
十四郎の手を取った。嬉しいような悔しいような……銀時は力いっぱいシャープペンを握り締め、
数学の問題集を開く。

「勉強熱心なのですね!素晴らしい!教えることも勉強になりますから、ボランティアに来て
くれませんか?交通費と夕飯くらいしか出せませんが是非!」
「あの、普段はこの時間、講義が入っていて……他の日は、バイトで……」
「そうでしたか〜」

生活のためアルバイトは減らせない。しかしここを手伝いたいとも思う。自分と似た境遇の子の
助けになりたいのは勿論のこと、ここへ来れば銀時との関係が進展するかもしれないから。
どうして銀時と今より親しくなりたいのか、その理由までは思い至っていないのだけれど。

「来月末、大学が休みに入ってからなら……」
「それでも構いませんよ。ありがとうございます!」

銀時にも「いい先生を連れて来てくれてありがとう」と言い、吉田先生は他の生徒を迎える準備を
始めた。手持ち無沙汰になった十四郎はとりあえず、銀時の前の席に反対向きに座り、その勉強
ぶりを観察することにした。
十四郎をちらりと伺い、銀時は問題集の余白に「ごめんね&ありがとう」と書く。

「……問2の(3)、間違ってるぞ」
「マジで?」

「落書き」の内容には敢えて触れず、誤りだけを指摘。

「どうやんの?」
「自分で考えろ」
「教えて、十四郎せんせー」
「自分で考えろ」
「自分で考えたから間違えたんだけど……」
「間違えたと分かった上でもう一度よく考えてみろ」
「はいはい……」

予想通り、十四郎先生は甘くない。だからこそ、褒められた時の喜びも大きいはずだと銀時は
問題文を読み返す。冬休みなんて待っていられない。十四郎の空き時間に合わせて勉強を見て
もらおう。家に来てもらってもいいが十四郎の家にも行ってみたい――密かに作戦を練る銀時で
あったが「ちゃんと考えてるか」と見透かされ、一先ず今は受験勉強に勤しむのだった。

(14.04.06)


徐々に二人の距離が縮んでいきます。「吉田先生」という呼び方は違和感あるのですが、一般的に先生のことは名字で呼びますからね。
続きはまた暫くお待ち下さいませ。

追記:続きはこちら