※ゆくゆくはリバになる予定の馴れ初め話です。
土方十四郎にとってその男は、妙に派手な格好の新聞配達員というだけの存在だった。
鮮やかな赤や紫の開襟シャツから覗く金のネックレス。細身のスラックスは黒が多い。朝陽を
浴びてテカテカ輝くエナメルの靴は年季の入った自転車のペダルには不似合いで、銀髪パーマを
靡かせて走る男を初めて見た時には、何のパフォーマンスかと思わず凝視してしまったほど。
「お兄さん初めて見る顔だね。最近引っ越してきた?大学生?あっ、新聞まだだったら大江戸
新聞をどうぞよろしく〜」
初対面は一方的に話されて終了。
その後も新聞はとっていないものの、毎朝、十四郎がジョギングをする際にすれ違い、いつしか
挨拶を交わす関係になっていた。
一人暮らしの二乗
この春、十四郎は大学入学を機に一人暮らしを始めた。「実家」から学校までは片道一時間半。
通えない距離ではない。だが「家族」に気を遣い家を出ることに決めたのだ。
自分を生み育てた母は幼い頃に他界。養護施設で何年か過ごした後、二十以上年上の腹違いの
兄夫婦に引き取られたのが八歳の時。会った覚えもない父親の財産は十四郎にも遺されていると
聞かされた。
それから十年、何不自由なく暮らしてはきたけれど、早く自立したいとも思い続けてきた。
「普通の子」よりも多くの大人に育てられた十四郎は、彼等に感謝すると同時に一人で生きて
みたくなったのだ。
かくして十四郎が奨学金とアルバイトで生計を立て始めて半年が過ぎる。およそ二ヶ月の長い
夏休みが明け、大学一年も折り返し地点となったこの日、十四郎は普段と変わらずジョギングに
勤しんでいた。
もう十月だというのに最高気温は三十度の予報。この時間は比較的涼しいものの手ぶらで運動は
大変危険な気候。公園の木陰に入り十四郎は、斜めに掛けたウエストポーチを外して水筒を取り
出した。スポーツドリンクを飲みながら視線は公園の入口へ。
もうじき件の新聞屋が通り過ぎる。その後は恐らく足の短い犬を連れた七三分けの強面の男。
この二人を見たら休憩終了と決めて木に凭れ掛かり呼吸を整えた。
しかし今日に限っていつもの二人は現れなかった。そんな日もあるかとコースに戻った十四郎は
すぐにその理由を知ることとなる。
「絶っ対に有り得ねェ!」
「その口の聞き方はなんじゃいガキ!」
「ガキって言った方がガキだ!」
「ンなわけあるかいボケェェェェ!」
公園から程近い道の真ん中で言い争う派手な新聞配達員と反社会的組織構成員――静かな朝に
迷惑なヤツらだと思ったが関わり合うのも億劫で、十四郎はルートを変えることに決めた。
「あーちょっとそこのお兄さん!」
「…………」
銀髪の男に呼び止められたが聞こえないふりをして十四郎は路地を曲がる。こんな時代だから
こそ地域住民同士の繋がりが必要だと何処かで聞いた。けれどあんな物騒な繋がりならない方が
安全に違いない。と、思っているのに……
「今角を曲がった、上下黒の、前髪V字で、瞳孔開き気味で、半年前にこの辺に引っ越してきた
お兄さーん!」
ここまで言われては無視するわけにもいかない。
「……何っスか?」
ふてぶてしい態度を気にも留めず、新聞屋は人懐っこい笑顔で十四郎へ歩み寄る。その後ろに
犬の散歩中の男も続いた。
「清々しい朝だね、おはよう」
「どうも」
「毎日走ってるよねー。運動部?」
「で、何っスか?」
男の雑談に付き合うつもりはなく、十四郎は先を促した。それでもめげず色々と質問してくる
ことに苛立ちを覚え始めた頃、もう一人の男がキレた。
「いい加減にせんかいワレェェェェェ!」
「るせぇな……はいはい分かりましたよー」
じゃあ本題ねと男はまたにっこり笑って言う。
「目玉焼きには何かける?」
「……は?」
それは、聞き間違いかと思ってしまうほど余りにくだらない問い掛けだった。
「俺は断然ソース派なんだけど、このオッサンは醤油だって言うんだよ。……でな、一対一じゃ
決着つかねぇってんで、お兄さんの意見を伺おうとね」
脱力した十四郎に犬の男は醤油をぐいぐい勧めてくる。見た目の割に親しみやすい性格らしい。
尤も、だからといって親しくしたいとは思わないが。
そしてソース派の男も負けてはいない。
「ヤクザだからって気にすることないぞ。このオッサン一般人には優しいから、安心して
ソースって言ってね」
つまり先程まで言い争いをしていた自分は「一般人」ではないと認めるのか……益々関わり合いに
なりたくないと実感する十四郎であったが、この手の話題に黙ってはいられなかった。
「マヨネーズ」
「はい?」
「俺は断固マヨネーズ派だ」
敬語を使うのも馬鹿馬鹿しくなり、十四郎は態度だけでなく口調までも横柄になっていく。
「兄ちゃんそれはおかしいで。目玉焼きにマヨネーズって、卵に卵かけとるやないか」
「じゃあアンタは豆腐に醤油はかけないんだな?」
「うっ……」
確かにどちらも大豆が原料だとヤクザは言い返すことができない。十四郎は「俺はその上から
マヨネーズをかけるがな」と得意顔。
「マヨネーズはどんな料理にも合う至高の調味料なんだよ」
「お兄さんマヨラーなんだ……」
「まあな」
用件は済んだとばかりに踵を返し、ジョギングへ戻る十四郎であった。
* * * * *
翌朝も十四郎は同じルートを走っていく。昨日と同じ公園で休憩を取れば、銀髪パーマの新聞
配達員が自転車を押して向かってきた。
「マヨラーのお兄さん、おはよう」
「……どうも」
「昨日あれから目玉焼き作ってマヨネーズかけてみたんだけど、結構イケるね」
「だろ?」
木に寄り掛かりつつ応えた十四郎であったが、マヨネーズを褒められたとなれば話は別。
二本の足できちんと立って応対せねばなるまい。
「マヨネーズは何にでも合うように作られてるんだ!」
「あーそうかもねー。ところでお兄さん、お名前は?」
「土方十四郎。アンタは?」
「坂田銀時でーす、よろしく」
派手な新聞配達員改め坂田銀時は名刺を一枚差し出した。十四郎はそれを受け取り読み上げる。
「ホストクラブYOROZUYA……GIN?」
「あっ、間違った。新聞屋の名刺は…………ないんだった。ごめんごめん」
「いや……」
ホストという職業は銀時の出で立ちを見れば大いに納得。大金を稼いでいるイメージもあるが
それはきっとトップクラスのホストのみ。そうではない銀時は仕事を掛け持ちしてやっとという
状況なのだろう。
「十四郎は大学生だったよね?」
「ああ」
いきなり名前で呼び捨てか馴れ馴れしい――だが職業柄仕方ないのかと結論付け、十四郎は何も
言わなかった。これが銀時の作戦だとは思いもよらずに。
屈託のない笑みとともに銀時の質問は続く。
「何年生?」
「一年」
「てことは……十九歳?」
「ああ」
「マジでか……」
もうこれ運命じゃね?などと一人盛り上がる銀時。訳の分からないヤツだと十四郎が冷たい
視線を向けても笑顔は変わらず、
「俺も同じ歳〜」
誕生日来てないからまだ十八だけどと付け加えた。
「……ホストって、酒飲むんじゃねーのか?」
「俺は飲まねーよ。ってことで明日、店に来てね」
「は?」
十四郎にとってホストクラブとは、女性がホストと酒を飲むところ。未成年で男の自分には
全く縁のない場所に思えた。
けれど相変わらず銀時は笑みを絶やさない。
「明日、俺の誕生日なんだ」
「だから?」
「祝いに来てよ」
「何で?」
「友達だろ」
「は?」
友達になった覚えはないと目で訴えてみたものの、「そんなに見詰められると照れるなァ」と
意思疎通は敵わなかった。ならば他の手段を。
「金がねぇんだよ」
じゃあなと強引に会話を打ち切って出口に向かい走り出した十四郎。けれど相手は自転車。
すぐに追い付かれてあろうことか、
「走るならこっち」
「おいっ!」
自転車で道を塞がれ、配達ルートを走る羽目になってしまった。
「いい加減にしろテメー!」
「あっ、そこのマンション行ってくるから自転車見てて」
「待っ……!」
新聞の束を抱えて建物へ入る銀時の後ろ姿に舌打って、それでも十四郎はその場を離れることは
できなかった。銀時に「見てて」と頼まれ、了承してはいないが断ってもいない。この律儀さに
銀時が付け込んでいるのだけれど。
「お待たせ〜。次はあっちね」
「一人でやれ!」
「じゃあ今夜お店」
「じゃあって何だ!金がねぇって言ってんだろ!」
「ジュース一杯でいいから!」
「行く義理なんかねーよ」
「マヨネーズあるよ」
「え?」
銀時は十四郎を惑わす呪文「マヨネーズ」を唱えた。十四郎の抵抗は止み、大人しく自転車に
ついてくる。
「外国製の珍しいマヨネーズが店にあったような……」
「ほっ本当か!?」
コイツちょろいな――心の中で拳を握り、銀時は畳みかけた。
「ウーロン茶一杯でもいいから!ねっ?」
「……何でそんなに必死なんだよ」
「誕生日に誰も祝いに来てくれなかったらカッコ悪ィだろ!」
頼んで祝いに来てもらうのはカッコ悪くないのかと十四郎は思う。尤も、ホストの体面などは
よく分からないことではあるのだが。
それに何より海外のマヨネーズというのが気になった。
「仕方ねぇな……」
「ありがとー!じゃあまた今夜!」
十四郎の右手を恭しく両手で包み、ウインクをして銀時は配達に戻っていく。
変なヤツ……ぼそりと呟いて十四郎もロードワークに戻るのだった。
* * * * *
その夜、家庭教師のバイトを終えた十四郎はホストクラブの前にいた。時間は十時過ぎ。
目映い光に彩られた店構えは入るのを躊躇してしまうほど。普段通り、ジーパンとTシャツで
来てしまったが大丈夫だろうか。
「ボウヤ、ここで働きたいの?」
「いや……」
後ろから掛かった声に振り返り、十四郎は息を飲んだ。自分より縦にも横にも大きな男……
いや、女物の和服を着た者を筆頭に、同様の服装の者達が四人。その迫力たるや、こちらに
非がなくとも謝って逃げ出してしまいそうになる。けれどその「女性」は厳つい掌で十四郎の
背中を押した。
「ここのオーナーとは知り合いなの。私が口を聞いてあげるわ」
「いやあの、俺は……」
「遠慮しないで。アナタ可愛いから人気者になれるわよー」
親切な彼女によって十四郎は生まれて初めてホストクラブへ足を踏み入れる。
薄暗い中に煌びやかな光の装飾が施されているのは外と同じ。そこここからテンションの高い
男の声と黄色い歓声が轟いていた。
完全に場違い――銀時に挨拶をしたらすぐ帰ろうと決心した十四郎の背後から、野太い声が響いた。
「神楽ァァァ!」
「いらっしゃいませ西郷さん、アゴミさん」
メガネをかけたホストらしき男がにこやかに出迎え。彼女達は常連客のようで、十四郎を怯え
させた容貌にも店員は笑顔を崩すことがない。
メガネホストから「アゴミ」と呼ばれた女性が食ってかかった。
「アズミだって言ってんだろ!」
それは、元の性を彷彿とさせる地を這うがごとき低音。しかしすぐに猫なで声に転換された。
「だいたいアンタにアゴのこと言われたくないわね」
「僕のは割れてるだけで長くはないんで……」
「ところでねぇ、神楽は?」
「ああ、すみません。今日はもう出てまして……」
「何だいないの?ごめんなさい、オーナーいないんだって」
「あの……」
蚊帳の外であった十四郎の肩を抱き、西郷はゆったりと店内を進んでいく。メガネのホストは
この一団を先導していた。西郷の知り合いらしい若い男が何者なのか、尋ねたいところでは
あるけれど、お客様の会話を遮ってはいけないと黙って席まで案内した。
「今夜は一緒に飲みましょ。奢ってあげるから」
「だから違います!俺は――」
「十四郎〜!」
天の助け。
小走りで近付いてくる銀時を、十四郎は安堵の表情で待った。
「来てくれたんだね、ありがとう!」
「一応、約束したからな……」
「すっごく嬉しい!あ、コイツ、友達の十四郎」
誕生日だから来てくれたのだと西郷達とメガネの男に説明し、全員まとめて席に着いた。
「申し遅れました。私、ここの代表を務めます新八です」
「あ、どうも」
「銀ちゃんの友達だったのねー」
「イケメン同士、絵になるわ〜」
十四郎が返事をする暇も与えず、アズミらは二人を隣り合わせてはしゃぎ始める。
すると間もなく、別のテーブルから銀時を呼ぶ声がした。
「やべっ、行かなきゃ。また戻ってくるから、ぱっつぁん後よろしく」
「オッケー我が命に変えても」
「あっ、十四郎は俺と同い年だから酒も煙草もNGな」
「まだ十代なの?かーわーいーい」
「じゃあウーロン茶?オレンジジュースがいいかしら?いちご牛乳もあるわよ」
「ウーロン茶で……」
銀時が抜けると西郷達が十四郎を取り囲むように座り、ホストそっちのけで接客し始める。
彼女らも普段はオカマバーのホステス。客の扱いには慣れていた。
「お寿司食べる?」
「いやっ……」
「生物は苦手かしら?」
「お金ないんで……」
「奢ってあげるって言ったじゃなーい!」
「痛っ!」
ツッコミでは片付けられない強さで背中を叩かれ、もう少しでソファから転げ落ちそうになる。
入店してからせいぜい五分。その間に幾度となくここへ来たことを後悔する十四郎であった。
「はい、あーん」
「あの……もがっ!」
高級握り寿司。霜降り肉のような大トロを、断ろうと開いた口に突っ込まれ、十四郎の目尻に
涙が浮かぶ。
「あら、サビ抜きの方が良かった?」
的外れな心配をする西郷。おしぼりを差し出しつつ新八が助け舟を出した。
「西郷さん達もお客様なんですから、接客は僕に任せて下さい」
「気にしなくていいわよー」
「そうそう、銀ちゃんの友達は私達にとっても弟みたいなものよ」
ねー、と声を合わせる西郷達に引き攣り笑いを浮かべながらも、酒やつまみを勧めて何とか
十四郎から引き離そうと試みる。だが余り効果はなく、酔って更に気の大きくなった西郷は
十四郎の肩に腕を回していた。
「ねぇ、アンタも施設育ちなの?」
「え……」
言い触らしたりしないわよと片目を瞑る西郷であったが、十四郎が驚いたのは「も」という単語。
つまり銀時も――?
「今は何してるの?」
「大学生」
「学費は?やっぱりバイトで?」
「奨学金で……バイトは生活費に」
「偉いわねー」
「いや……」
「あの子も偉いわよね。大学行くためにお金貯めてるんでしょ?学費くらい出すって言う客も
いたんだけどね……あそこのバァさんとか」
「はあ」
指差す方を見遣れば、銀時は和服姿の六十代くらいの女性を接客していた。スナックお登勢の
ママだという。孫のように目を掛けているのだと聞き、十四郎ははたと考える。銀時は誰も
祝いに来てくれないかもしれないといったことを匂わせる発言をしていたが、次から次へと
銀時の名がコールされていた。
「アイツって、人気あるのか?」
「ウチのナンバー3ですよ」
「はあ!?」
新八の言葉に加えてアズミが、逆境にもめげない優しさに勇気付けられるのだと言った。
そんなに人気があるのなら、自分を誘う必要などなかったではないか。
帰ろうと十四郎はグラスのウーロン茶を一気に飲み干した。しかし、
「お待たせ十四郎」
「…………」
「あっ、ウーロン茶おかわり?」
絶妙のタイミングで銀時が戻って来てしまう。それだけなら「ウーロン茶一杯の約束だ」と
立ち上がることもできた。けれど銀時の手にある薄黄色い広口瓶に目を奪われて十四郎は
もう一つの約束を思い出し、動くことができなかった。
「アメリカ製だった。食べる?」
「あ、ああ」
小皿の上にスプーンで掬ったマヨネーズをぽってりと落とし、銀時はスティック野菜を注文する。
だが十四郎は迷うことなくマヨネーズを割り箸で掬い、そのまま口へ運んだ。
「やや酸味は強いが、これはこれでマヨネーズの新たな可能性を見出だせたな……」
「気に入ってくれた?」
「ああ」
「良かっ……ちょ、何してんの!?」
十四郎はイクラの軍艦巻きの上にマヨネーズをぽてっ。容器はチューブの方が便利だなどと
独り言ちつつ、最早マヨネーズの軍艦巻きとなった物体を一口で平らげた。
銀時も新八も、西郷達でさえ吃驚する中、結構いけると一人マヨ塗れ寿司を頬張る十四郎であった。
(14.03.02)
色々設定を盛り込んでいますが、いつも通りらぶらぶえろえろな展開になる予定です。……というかまだ考えてないんですけどね^^;
続きは暫くお待ち下さいませ。
追記:続きはこちら→★