中編
無事、大学の教育学部に進学した坂田。明日は実習前の挨拶で十年振りに母校を訪れるという日。
坂田は眠れぬ夜を過ごしていた。おそらく土方先生はもういないから、実習中に次の赴任先を
教えてもらい、実習を終えて且つ教師になれた暁には土方先生に会いに行こうと決めていた。
愛の告白をしに行くわけではない。先生への思いは子どもの恋愛ごっこだったのだから。
しかし、そのせいでかなり迷惑掛けたという自覚もあるので謝って、その上で先生を目標に
教師として頑張りたいと伝えに行くつもりなのだ。
そもそも土方先生はもういい歳だろう。先生の正確な歳は知らないけれど、例の作文に動じない
くらいだから、当時新米だったということはないと坂田は踏んでいる。しかし親よりは若いような
気がしていたから、二十代後半か三十代前半くらい。ということは現在、四十歳前後であろう。
マヨラーだったから腹出てたりして。ハゲてたらちょっと嫌だな……
そこまで考えて坂田はまず教育実習を頑張らなくてはと気合いを入れ直す。
そういえば小学生の頃も土方先生のことを考えて眠れない夜があったなと、懐かしい思いで
坂田は目を閉じた。
* * * * *
「明日から実習させていただく坂田銀時です。よろしくお願いします!」
十年ぶりの母校。十年前にはなかった眼鏡をかけ、スーツを着て入る放課後の職員室はまるで
初めて来る空間のようだ。
ちなみにこの眼鏡は伊達眼鏡。土方先生みたいないい先生になれるように掛けてみた。
「え〜、坂田くんは万事大学の四年生で、この髪は生まれ付きだそうじゃ」
ハタ校長が自分について教師達に説明する横で、坂田は校長の顔を熟視せずにはいられなかった。
三年前に赴任してきたという、自分が通っていた頃にはいなかった校長先生なのだが……
「事前に染めた方がいいかと問い合わせもあったが、余がそのまま実習することを認めたのじゃ。
『皆違って皆いい』が余のモットーじゃからのぅ」
そのモットーはいいと思うのだけれど、何故だか胡散臭く聞こえる。だがそれより気になるのは
顔が紫色なこと。しかも触覚みたいなものも生えている。実習生の髪の色より自分の顔色を気に
したらいいのではないか……十年間で変わってしまった母校に胸を痛めていたところ、ハタ校長が
坂田に誰か知ってる先生はいるかと聞いてきた。
「えっと……」
緊張と、校長の顔色が気になっていた坂田は、この時初めて職員室全体を見回して、そして一人の
教師と目が合った。
「土方先生!」
「よう……」
土方先生だ!本当に土方先生だ!全っっっっ然、変わってねェ!!坂田の心は躍る。
しかし変わってなさ過ぎのようにも思う。実は先生の弟などではないかとも考えたが、挨拶を
返してくれたことからして本物の土方先生に間違いない。坂田の胸は高鳴っていく。
「土方先生は六年の時に担任だったんです。僕は土方先生に憧れて教師になろうと思いました。
またお会いできて嬉しいです!」
別の意味でもドキドキしてる気がするけれど、とりあえずは当初の予定通り土方先生に感謝の
気持ちを表す。これだって嘘偽りない坂田自身の気持ち。
それを聞いたハタ校長は、実習指導を土方先生に代えようかと言い出す始末。
「いいんですか!?」
「あの、バ……ハタ校長、そんな急に指導教員を変更するのは無理です」
土方先生の冷静でいて厳しいツッコミが入り、まあ当然かと坂田は肩を落とした。
「そうか?残念じゃのう……。それなら土方先生、坂田くんに校内を案内してたもれ」
「はい……」
だがこの後先生と二人になれるらしい。自然と緩む口元を引き締めようとしてもできない。
この際、憧れの先生に会えた喜びということにしようと開き直り、坂田はよろしくお願いしますと
もう一度頭を下げた。
小学生なんてガキだガキだと思っていたが、案外見る目があるではないか。
* * * * *
「先生、変わらないですね」
「小学生が大学生になるのに比べたらな……」
放課後の校内を「憧れの土方先生」と回る坂田。数字の上では分かっていたが、改めて隣に立つと
文字通り肩を並べられるようになったのだと実感した。だが身長だけではない。年齢的にも今は
もう大人同士である。この胸の高鳴りは、あの頃のような「ごっこ」とは違う。
眼鏡が銀縁になった以外、本当に変わっていないですよと恩師に向かう。
「おいくつなんですか?」
「三十五」
「見えないですね〜」
ということは自分の担任だった十年前は二十五歳。今の自分と大して変わらないではないか。
ほぼ新任でいきなり高学年を任され、そしてその若さであの作文にあの落ち着き払った対応を……
教師としての尊敬の念も益々高まった。
「二十代でもいけますよ」
「そりゃどうも」
デブハゲ中年になっていると思い込み、百年もとい、十年の恋を勝手に冷ましていた昨夜の自分を
殴ってやりたい。そんなことを考えている坂田の横で土方は、お世辞を言えるまでになったのかと
元教え子の成長を感慨深く思っていた。
「あ、マヨ八先生」
案内の途中、廊下で出会ったのは土方の受け持ちらしい児童。
「忘れ物か?」
「はい。宿題のプリント……」
「次からは気を付けろよ」
「はーい」
何事もなく児童と話す土方に対し、坂田は一気に血の気が引く思いであった。
マヨ八――当時は会心の出来だと自画自賛したあだ名であったものの、悪意を持っているように
捉えられかねないということを現在の坂田は理解している。その名を今の小学生が……
児童の姿が見えなくなってから、坂田はやや遠慮がちに尋ねてみた。
「……今でも、マヨ八って呼ばれてるんですか?」
「ああ。十年前からずっとだ」
「なんか、すいません」
「フッ……気にしてねーよ」
初めは勿論、バカにされているようで気に入らなかった。だが、このあだ名のおかげで児童から
親しみを持たれたとも思っている。
友人から目つきが悪いだのチンピラっぽいだのと言われている土方としては有り難いことだった。
「先生、僕のこと覚えてました?」
「そりゃあ『マヨ八』の産みの親だからな」
伺うように聞く坂田に「マヨ八」の創設者としての感謝を伝えれば、少し間が空いてから
他に覚えてることはないかと尋ねられた。
坂田には、自分の付けたあだ名よりもずっとずっと覚えていてほしいことがあった。
忘れたくても忘れられないインパクトのあるものだとばかり思っていたが、十年間も受け継がれて
しまった「マヨ八」に比べたらそうでもないのかもしれない。
その横で土方は、坂田の顔を見て真っ先に思い浮かんだ作文について、言ってもいいものかと
思案していた。自分を覚えているかと聞いた元教え子の表情は真剣そのもの。もしかしたら
覚えていてほしくはない、むしろ思い出したくもない黒歴史なのではないかと。
二人は無言のまま、坂田が実習する教室へ入った。
掲示板に貼られた児童の作文を眺めながら坂田が呟くように言う。
「将来の夢って作文書いたの……覚えてます?」
「……ああ」
やはり覚えていてくれた……そっと安堵した坂田の後ろで土方は複雑な表情をしていた。
もしや坂田はその作文のことを秘密にしてほしくて、自分の機嫌を取っていたのではないか。
「あの作文はまあ、若気の至りだったんですけど……」
「誰にも言わないから気にするな」
「いや、そういうことじゃなくて……あんな作文発表したのに、先生が上手いこと纏めてくれた
というか流してくれたというか……そのおかげで、無事に卒業できたと思ってます」
「そんな大層なことはしてねーよ」
「そんなことないです。普通だったらあれが原因でイジメられてもおかしくなかったと思うし、
途中で止めて厳重注意されてもいい内容だったし……成長すればするほど、あの時の先生の
すごさが分かりました」
自分の素直な気持ちを口にする坂田に、土方は照れながらも感動していた。
あの時はあの時なりに精一杯やっていた。だが今になって思えばまだまだ未熟だったと反省する
点も多々ある。それなのに、坂田はそんな自分に憧れて教師を目指してくれたと言う。
「だから、夢を叶えるために頑張ります!」
「ああ。お前ならきっといい教師に……」
「海外とネズミーランド……先生はどちらがいいですか?」
「は?」
土方の言葉を遮り、その手を取って微笑みながら聞いた坂田。それは先程職員室で再会を果たした
時の、小学生時代を想起させる無邪気な表情とは異なる、挑むような色香を含んだ笑顔。
土方が思わず間抜けな声を上げた一方で、しかし坂田自身も戸惑っていた。
想像していたほどには離れていなかった先生との歳の差。初恋の記憶ほぼそのままの土方を前に、
当時の思いが……否、新たな恋心が芽生えてしまった。
土方とどうにかなりたい、どうにかしたいという本物の思い。それを今ここでぶつけることが
はたして正解なのか……
「な!?さっ坂田、お前……」
「本気ですよ」
漸く状況を理解したのか、暴れる土方の手を離さぬよう力を込めてじっと見詰める。
正解かどうかなんて分からない。けれどもう言ってしまったのだ。こうなれば押しまくるのみ!
「今思えば最初はガキの恋愛ごっこでした。でもガキなりに努力したんです。先生が好きなのは
やっぱり成績優秀な生徒だろうと、まあ単純にそう考えて勉強して……それで大人になって、
先生が本当に好きだと思ったんです」
「…………」
「教師として憧れてるというのも本当です。だからまずは母校に来て先生の連絡先でも分かればと
思ったんですけど、本人に会えるなんてラッキーでした」
「…………」
笑顔のままで一歩、また一歩と距離を詰めていけば、同じ分だけ土方が後退る。
「先生、好きです」
「ちょっ……」
とん、と土方の背が壁に当たる。それと同時に坂田は手を離し、土方の体を挟むように壁に手を。
「あっあのな、坂田……」
「もうガキじゃないんで、色んな努力の仕方を知ってます」
土方の表情から見てとれるのは困惑一色――拒絶でないことに希望を見出した坂田。
もう迷いはなかった。
「絶対に夢を叶えてみせますから覚悟して下さいね」
「――っ!」
土方の唇に人差し指を軽く合わせ、すぐに離す。
「それじゃあ、明日からお世話になりまーす」
また無邪気な笑顔に戻り、丁寧にお辞儀をして教室から出ていく坂田を、土方はただ黙って
見ていることしかできなかった。
* * * * *
それから坂田の猛烈アピールが始まると思いきや、現実はそんなに甘くなかった。
坂田は教育実習生としてここにいるのだ。やるべきことが山積みで、指導教員でもない土方と
ゆっくり話す時間など皆無。ましてや口説くなんて……只管に与えられた仕事をこなしていくので
精一杯の坂田はしかし、実習に打ち込みながらも土方がこちらを気にしているのは感じていた。
先生、今、俺のこと見てたでしょ。そんなに熱い眼差しを向けられたら期待しちゃうよ――
なんてことを伝える暇はないのだけれど。
* * * * *
およそ一ヶ月後。
「短い間でしたがお世話になりました」
今日は実習最終日。受け持ったクラスの生徒から折り紙の花束と色紙をもらった坂田は、
最後の「帰りの会」で思わず涙ぐんでしまった。土方先生への憧れだけでここまで来たけれど
教師を目指して良かったと心から思う。
だがこれで終わるわけにはいかない。むしろまだ始まってもいないのだ。
挨拶を終えた坂田は土方の元へ。
「土方先生」
「…………」
呼び掛けたが返事がない。
「土方先生!」
「!?おおああ……な、何だ?」
考えことをしていたらしく、土方は弾かれたように返事をする。
覗き込んで見た土方の頬が赤く染まっていたものの、気付かぬフリをして坂田はニッコリ微笑む。
「お世話になりました」
「あ、ああ……頑張れよ」
「はい。それじゃあ」
「ああ」
何か言いたげな土方の様子にも気付かぬフリをして坂田は密かに口角を上げ、職員室の入口で
もう一度「お世話になりました」とお辞儀をし、帰っていった。
小学校を出た坂田がその足で向かったのは土方の自宅マンション。部屋番号を確認し、ドアの前に
座り込む。来る途中、コンビニに寄ってあんパンとイチゴ牛乳を購入し、待つ準備も万端だ。
* * * *
それから数時間後、日付も変わってから土方は帰宅した。当然、坂田の姿に面食らう。
「え……」
「おっそ!いつまで働いてんだよ!も〜、マジで帰って来ないかと思ったァ……」
土方を見るなり坂田は、よく回る口で不満を並べ立てた。
「ホントさァ……よりによって何で今日?今までそんなに残業してなかったのに……。
大好きな坂田くんと会えなくなるってヤケ酒でもしてきたんならまだ分かるよ?でもめっちゃ
シラフだし!弁当買って来てるし!つーことは今までメシも食わずに仕事してたってことだろ?
ヤベーよ……俺、教師やめたくなってきた……」
はぁぁ〜と大袈裟に息を吐いて扉に凭れかかる坂田。
お前はまだ教師じゃないだろとか、どんな仕事にだって残業はあるとか、約束もしていないのに
遅いなどと言われる筋合いはないとか、敬語はどうしたとか、土方からしたらツッコミ所が
多過ぎるくらい。だからとりあえず、
「何が『大好きな坂田くん』だ」
最も訂正が必要であろう所にツッコミを入れてやったと言うのに、坂田は意外そうな顔をして
あれ、違うの?と宣う始末。
「違うに決まってんだろ」
吐き捨てるように言われても、坂田は態度を改める様子はない。
これ以上ここで話していては近所迷惑になる……視線で入れと促して、土方は鍵を開けた。
予定よりかなり遅れたが部屋に遊びに行く作戦は成功!坂田は心の中でガッツポーズをする。
「ここのこと、誰に聞いた?」
「一ヶ月近く同じ職場にいたんだから住所くらい簡単に……」
「おい……」
「冗談だって。同窓会の案内送りたいって言って他の先生に教えてもらった」
「チッ……」
土方の住所を聞いたのは実習初日。職場である学校で堂々と口説いては土方に迷惑がかかるから
家を訪ねようと決めていた。それからどうやって押し掛けようかと色々計画を練った結果、
やはりきちんと実習を終えてからがいいだろうという結論に達したのだ。
フローリングのリビングには、ローテーブルというよりも座卓と呼ぶに相応しい木製のテーブルに
座布団が一枚だけ。土方に促されてそこへ腰を下ろせば目の前がテレビ。
一人の生活に余計な物は何一つないといった部屋の様子に、坂田の口元は緩みっぱなし。
滅多に客など来ないであろうこの部屋に今、自分がいる。先生のことが好きだと、結婚という夢を
叶えるのだと宣言した自分が……。つまりガンガンいこうぜ作戦を決行してもよいということか?
そうかそうか……やはり学校で感じたあの熱い視線はそういうことだったのか……
キッチンに向かおうとする土方の手首を捕らえ、こちらも負けじと熱視線を送る。
「お茶なんていいから、隣に座ってよ」
「……俺がメシ食う仕度するんだよ。離せっ」
「あっ……」
あっさりと坂田の手を振り払い土方はキッチンへ。
自分から誘っておいてつれない……そうか、照れているのか……可愛いところがあるじゃないか。
大丈夫大丈夫、こっから先は坂田くんが優しくリードいたしましょう!
コーヒー入りのマグカップ二つを持ち、ついでにマヨネーズボトルを背広のポケットに入れて
土方は戻ってきた。自分の食事などと言っておきながら二人分淹れてきてくれた。そこに土方の
愛を感じた坂田は、一刻も早く結ばれなくては先生に失礼だとすら感じていた。
「ほらよ」
「ども」
更に締まりのない顔つきで受け取ったカップには真っ黒いコーヒー。
土方はフローリングに直に腰を下ろし、買ってきた牛丼弁当の蓋を開け、マヨネーズを満遍なく
回しかけている。
「……相変わらずマヨラーなんだね」
「ああ」
「あのさ、先生……」
「ん?」
「ミルクと砂糖……」
遠慮がちに発せられた言葉にイタズラの成功を悟る土方。通常の三倍濃い目に淹れてやったのだ。
そんなものはないと言ってやれば、坂田はあからさまに顔を引き攣らせた。
「大人になったらブラックコーヒー一気飲みするんだろ?」
「へ?」
「そう言ってたじゃねーか。……忘れたか?」
「……あったね、そんなこと」
コーヒーを一口含んだ瞬間、眉間に皺を寄せて、十年前のちょっとした発言まで覚えていた
ことに心中穏やかでない坂田。
「つーか先生、もしかしてその頃から?」
「何が?」
「いやでも流石にそれは引くな……。小学生相手にとか有り得ないだろ」
「だから何が?」
「ハッ!まさか先生……ショタコン?」
「あぁ!?坂田てめぇ……」
「あ、違った?」
「違うに決まってんだろ!」
弁当のパックを割り箸ごとテーブルに叩きつけられて、流石にそれは違うかと安堵。
「ごめんごめん……。随分と些細なやりとりまで覚えてくれてたから、もしかして昔から俺のこと
好きだったのかなぁとか、でもそうだったらヤバイよなぁとか……」
「だから違うって言ってんだろ!」
「うん、ごめんね。やっぱり、カッコよく成長した俺にキュンときちゃった系だよな?」
「きてねーし」
「またまたァ……先生が熱〜い視線を送ってくるもんだから、俺、実習に集中できなくて
大変だったんだから」
ここまできて照れなくてもいいのに。もう全部分かってるんだから……坂田は優しく微笑んで
土方の隣へ移動する。
「ンなもん送ってねーよ!自意識過剰も大概にしろ!」
「自覚ない?だとしたら先生、危機管理甘すぎ」
「あ?俺の何処が……っ!?」
土方にぴたりと身を寄せて左腕で腰を抱き、坂田は右手を土方の右手に確りと重ね合わせた。
そこで初めて土方は不本意ながら貞操の危機らしきものを感じてしまう。
「自分のこと好きだって言った男を家に上げたらさァ……トーゼンこういうことになるだろ?」
「離っ……あ?」
しかしそれ以上何もせず、坂田はすっと体を離した。自覚してもらうのが目的だから。
「まあ俺は本気で先生のこと好きだから、力ずくなんてしねェけど」
「てめっ……」
「でもさ、そろそろ気付いた?」
「あ?お前がムカつく野郎になっちまったってことか?」
「酷っ!照れ隠しにしてもそれは……」
「照れてねェ。本心だ」
「そんなぁ……。俺のこと好きでしょ?」
「教え子としては、な」
「それだけじゃないくせに〜」
「家に入れたくらいで勘違いするな」
「違うって」
もしやまだ気付いてないのだろうか。意外と鈍感なんだな……そういう所も可愛いと思うけれど。
「もっと前から俺、いけるって確信してたし」
「あ?」
「だって先生、拒否らなかったから」
「……いつのことだ?」
どうやら本当に分かっていないようだ。それなら一から教えてあげますか――先生に教えるという
立場になれたことが何だか誇らしい。
「夢を叶えてみせるって宣言した時。全くその気がないならその時点で断るはずだろ?」
「…………ビックリして何も言えなかったんだよ」
「ふーん……じゃあ俺のこと、何とも思ってないんだ?」
「……すまない」
ここまで言ってもまだ分からないのか……土方先生ってば、案外手のかかる「生徒」じゃないか。
本人も知らない土方の思いを既に確信している坂田は、分かるまで付き合うからねと良い教師を
演じ続ける。だが、内容が内容だけに教え方は教師のそれと大きく異なる。
無言で立ち上がって土方のすぐ後ろに座り、ぎゅっと抱き付いてみた。
「おっおい……」
「本当に俺のこと、何とも思ってない?」
「あ、ああ……すまない」
「本当に?」
「ああ……」
「本当かなぁ……」
「おい坂田……」
本当にこの人はどこまで鈍感なのだろう……部屋を見て、恋人どころか友人もあまりいない
ようだと感じたが、鈍過ぎたために向けられた好意をスルーしていたのではないかと思うほど。
「なあ先生……」
「何だ?」
「俺のこと好きじゃないなら、何で今、大人しく抱き付かせてんの?」
「お前が勝手に抱き付いてきたんだろ……」
「何で抵抗しないの?」
「…………」
「これで、勘違いするなって方が無理じゃない?」
「…………」
「……先生?」
反論しなくなった土方は、そのまま無言で坂田の手に自分の手を重ねる。
「せん、せ……」
「…………」
「あ、あの……」
なのに土方からは何の言葉もない。この手は一体どういう意味なのだろうと今度は坂田が狼狽。
いやいや大丈夫。きっとそういう意味に違いない……でも黙っているし、もし違っていたら……
「分かんねェよ」
「先生?」
「まだ、分かんねェよ。お前のことを、そういう風に考えたことがなかったからな」
「何とも思っていない」から「分からない」になった。それだけでも坂田には充分であった。
「でも、考える余地はありそう?」
「多分……」
「じゃあ……暫くしたら、返事もらえる?」
「ああ」
暫く考えて土方は返事をくれるという――これはもう、答えが決まっていると言っていい。
待たせた挙句に「ごめんなさい」なんて鬼の所業、先生がするわけない。先生は教師であって
鬼の副長ではないのだから。
必要なのは考える時間ではなく覚悟を決める時間。十歳以上も若い元教え子――しかも同性――と
結婚を前提に交際する覚悟。
「因みに、いつくらいに分かりそう?」
良い返事なら早くもらいたいと思うのは当然のこと。「暫く」などという曖昧な約束で引き下がり
たくはなかった。
「半年後?」
「えっ……もうちょっと早くならない?」
この週末には先生とめくるめく愛の生活がスタートすると思っていたのに……
「五ヶ月後」
「大して変わんねェよ!……五日後にしねぇ?」
「五ヶ月後」
「じゃあ来月!俺の誕生日が来てからでどう?」
「五ヶ月後」
頑として五ヶ月後から譲らない土方。その理由として思い当たるのは一つ。
「もしかして、俺がまだ学生だからダメとか?」
「五ヶ月後でもまだ学生だ」
「そうだけど……」
「まあ、その頃には卒論も終わって卒業式を待つだけになるだろ」
「……それまでは『先生』するつもり?」
「そうだな」
「ハァ〜、しゃーねェな……元々先生が目標だったし、それまで頑張るか……」
頑張れよと言って土方が重ねていただけの手にほんの僅か力を込めると、背後の坂田は肩口に
顎を乗せ、体重を預けて密着してくる。それを咎める台詞はもう出てこなかった。
(13.04.05)