中編
十月十日、金時は恋人からもらったヘアクリップをつけて出勤した。店では従業員総出で
慌ただしく開店準備が行われている。
「おはよーっス」
「そこ汚れてます!ああ、その花はこっちに……いや、向こうの方がいいかな……ああっ、
そんな所に置いたら邪魔になるでしょ!」
「…………」
金時の挨拶にオーナーは指示出しに忙しくて気付かない。主役が来たというのに……金時は新八の
肩にぽんと手を置いた。
「何ですか!」
「……いや、おはよう……」
「はいはい……あっ、それは入口に置いて下さい」
ナンバーワンの誕生日で張り切るのは分かるが些か気合いの入れすぎではないか。もしや何か
あったのだろうか……金時は店の様子を眺めながら奥のロッカールームへ向かった。
「おはよー」
「よう」
ロッカールームにはナンバーツーの晋助のみ。一人優雅に煙草を燻らせている。
「……それ、トシからもらったのか?」
「まあね。可愛いだろ」
「はいはい……」
晋助は銀時と土方を引き合わせた張本人。こうなることが分かっていて会わせたわけではないが
結果的にキューピッドとなってしまったため、惚気話を最も多く聞く破目になっていた。
「オーナー目茶苦茶張り切ってたぞ。オメーは行かなくていいのか?ナンバーワンを祝う準備」
「言ってろ……テメーの天下は今日までかもしれねェぜ」
「は?」
「聞かされてねェのか?今日、来る女のこと」
「金さんファンの女の子がいっぱい?」
「違ェよ。某有名ブランドの社長令嬢が初来店すんだとよ」
「何処のブランドだよ」
「フッ……」
聞いて驚けとでも言いたげに煙を吐き出して晋助が口にしたブランド名に、金時は驚愕する。
それはファッションに詳しくない者でも名前だけは知っているであろう超有名ブランド。
洋服以外にも小物やアクセサリー、コスメに至るまでトータルコーディネートが可能なブランドで
幅広い層の女性に人気がある。
「はあぁ!?マジでか!プレゼントに迷ったらそこで買っとけとまで言われるあの!?」
「ああ。わざわざ予約の電話を入れてきたらしいぜ。その日はホストの誕生祝いで常連客ばかり
だと伝えたら、隅の席で構わないからと……そこまでしてウチに来たいと言うお嬢様を断る
理由はねーだろ?ついでに、かなりの前金積んだらしいぜ」
「……ってことは一度来たのか?顔見た?いくつくらいの子?」
「バーカ。来たならその日に飲んでくだろ。代理人だよ。執事ってやつ?」
「マジでか……。で、オメーはその子の指名を狙ってるってわけか」
「まあな」
これで晋助の自信の理由が分かった。だが初めて来る客なら金時にだって平等に権利があるはず。
「けどその子が俺を選んだら、お前との距離が更に開くだけだな」
「アホか。テメーが誕生日で浮かれてる間に口説かせてもらうぜ。お嬢様はVIPルームに
隔離だからな」
「隔離ってお前……」
言葉は悪いが、確かにその方が初めて来る彼女は安心して過ごせるかもしれない。
そして誕生祭の主役である金時は、できるだけ大勢から見える場所にいなくてはならない。
つまり、一般客から見えないVIPルームに入り浸ることはできないのだ。
「ずっりぃ!何だよそれ……」
「運も実力のうちだ」
晋助は既に「お嬢様」の指名を取り付け、金時の売上げを超えたつもりでいる。
そうこうしてるウチに開店時刻となり、二人はオーナーから呼ばれて店内へ向かった。
「何で教えてくれなかったんだよ、ぱっつぁん……」
晋助から聞かされた「お嬢様」について、金時はオーナーに不満を漏らす。
「金さんは誕生祭に集中して下さい」
「チェ〜……あ、いらっしゃいませ〜」
未だ納得はできないが今ついている客は大事にしなければならない。金時はいつもの笑顔で
来た客を出迎えた。
* * * * *
「オーナー……」
ナンバーワンホストの誕生祭も酣、二十三時を過ぎた頃に「彼女」は現れた。他のホストと共に
祝いの席を盛り上げていたオーナーがウエイターに呼ばれる。すぐに新八は手の空いている
ホストを数人連れて入口へと向かった。
「すっげ……」
「静かに!」
店の前に止まっている真っ白なリムジンに感嘆するホストを戒めて、新八は一歩車に近付く。
すると運転席からスーツ姿の男性が現れ、すっと後部座席の扉を開けた。
「!!」
車から降りた「女性」に新八を含めてホスト一同目を丸くした。背が高く、長い手足はまるで
モデルのよう。そして何より驚いたのはどう見ても日本人には見えないその容姿である。
アップに結った髪は赤く、瞳は碧色。ネオンの下でも判る白い肌。
言われてみれば例のブランドはフランス発祥だ。つまりそこの令嬢は当然ながらフランス人……
「彼女」が運転手に何か伝え、運転手は「Oui」と答えて新八達に向かう。
「それでは、お嬢様をよろしくお願いいたします」
そう言って運転手は車に戻り、夜の街に消えてしまった。
新八は焦っていた。「彼女」が何と言ったかは分からないが、運転手が「ウィー」と答えていた
ことからフランス語なのだろう。フランス語、フランス語……
「こっ……こまんたれぶー?」
持てる知識を総動員して言えば、「彼女」はにこりと笑って、
「Bien,merci」
と返ってきた。通じたことに安堵したのも束の間、それからどうしてよいか分からない。
「オーナー、彼女はフランス人か?」
「そっそうみたいです……」
確認してきたのは共に迎えに出ていたホストの小太郎。
「フランス語なら少しかじったことがある。任せてくれ」
「本当ですか!」
顔はいいのに電波な発言でなかなか売上げが伸びない彼。残念なイケメンと揶揄される彼も
役に立つことがあったと些か失礼な感じに感謝して「彼女」の正面を譲った。
「Ju tu ju de niju?」
本当に小太郎さんがフランス語(と思われる言葉)を話している!感激した新八の向かいで、
しかし「彼女」は黙って首を傾げてしまった。新八は小太郎へ耳打ちする。
「通じてないみたいですよ。発音が悪いんじゃないですか?」
「うむ……女性には難しかったのかもしれんな。では……アザブジュバーン、ニクジュバーン
……これでどうだ!」
「アザブ…………ちょっと小太郎さん!それってフランス語っぽく聞こえる日本語ですよね?
まさか最初のジュ何とかってのも……」
「日本語に訳すと『十たす十は二十』という意味だ」
「十と十で二十、ね……ハハッ……」
「他にもあるぞ。例えば、モンペト「もういいです!」
やはり残念なイケメンは残念なまま。途方に暮れる新八へ「彼女」が申し訳なさそうに言った。
「あの……日本語、分かりますから」
小さな声ではあったが、今の新八に声の大きさなど問題ではない。日本語が聞こえた、
それが重要なのだ。
「本当ですか!あああ大変失礼いたしました!どうぞこちらへ!」
すいませんすいませんと謝り倒しながら、新八は店内へ案内した。
* * * * *
「先程は本当に失礼いたしました。私はこの店のオーナー兼ホストの新八といいます」
VIPルームの席に着き、新八は改めて入店時の非礼を詫びて自己紹介した。
「お客様、ホストクラブは初めてでいらっしゃいますか?」
「いえ……」
「それでは当店のシステムについてのみ簡単にご説明いたします」
新八は指名制度の説明をし、ホストの顔写真一覧を見せた。
「あの……」
仕切があるとはいえ、普段以上に賑やかな店内で「彼女」の繊細な声は聞き取りにくい。
新八は断りを入れて隣に座り直した。
「指名しなくてもよろしいですか?」
「では何人かのホストを付けますので、気に入りましたら次回その者をご指名に……」
「すみません……今日だけなんです」
「え?」
「もう、来られないんです」
「……もしかして、お国に帰られるんですか?」
「そんなところです」
「そうだったんですか……。そんな貴重な一日に当店を選んでいただき光栄です!
どうぞお好きなものをご注文下さい」
「では……ドンペリのブラックを」
「はいっ!」
期待通りの高級シャンパンに新八も気合いが入る。恒常的な売上げ増には繋がらないようだが、
だったら今夜を目一杯楽しんでもらおう。
バックヤードでホスト達にも事情を説明し、交代で接客に当たることにした。
一夜限りとはいえ、気前のいい美人の接客は望むところとホスト達は喜んでいる。
ただ一人、ナンバーワン奪取を狙っていた晋助を除いて。
(12.10.08)
この「彼女」はもちろんあの人です^^ そして意味不明な小説のタイトルはヅラ……じゃなくて小太郎が言い掛けたフランス語っぽく聞こえる日本語
「モンペと鍬」から。そしてすみません。後編は誕生日当日(10日)までにはアップしますので少々お待ち下さいませ。
追記:続きはこちら→★