後編


「遅い!もう八時三十分五十四秒、戦いは既に始まってんだろーが!!」

新八と神楽が万事屋へ戻ると銀時(中身は土方)の怒声が響いた。定春は正座させられている。
謝り倒して許してもらえば今月分だと給料袋を渡された。しかも溜め込んだ家賃まで払うと言う。
土方に感化されたのだとしても、ここまで劇的に変われるものか……問い質したくとも、電話を
したり帳簿をつけたり、難しい顔で休みなく働き続ける姿はおいそれと声を掛けられる雰囲気では
なかく、仕方なく二人は仕事の邪魔にならない程度に部屋の片付けをした。

けれど土方にすればこのくらいが通常運転。更に言うと、銀時もこのくらいやるはずだと考えての
行動である。
何事にも大らかな銀時のこと。給料の不払い、家賃や公共料金の滞納にも気付いていないのかも
しれないと考えた。気付けば自分の財産を擲ってでも支払うはずだとも。
そして今は自分が坂田銀時なのだ。彼らしく振る舞わねばと、躊躇いなく自身の貯金をはたいて
清算したのだった。

そんな「銀時」を不審に思いながらも、神楽達にはすべきことがある。恋人の元へ行く前に
すべきことが。
ねえ銀ちゃん、意を決して言葉を掛ければ、手を止めずに「何だ?」と先を促された。

「今日はトッシーの所に行くんでしょ?」
「ああ」
「楽しみアルか?」
「遊びに行くんじゃないぞ」
「そうだけど……」

一人では無理だと神楽は新八に目配せ。けれど新八とて今の銀時に色恋沙汰の話を振る勇気はない。
何と切り出すか、考え倦ねているうちに仕事を切り上げ、洗面台へ向かってしまった。
恋人と会うに当たり、身なりを整えようというのだろうか……二人はそっと様子を伺った。


「ハァッ……」

鏡に映る己を見、土方は顔を真っ赤にしてへたれ込む。何度見ても見慣れぬ姿。集中していれば
平気なはずだと仕事に精を出してはみたものの、視界にちらつく銀髪に、露出した右腕に心乱され
作業は捗らない。そして集中力の切れ間に想起される銀時の身体。
何も見てない感じてないと言い聞かせても、事実は事実。己と重ねた手が唇が、それどころか触れた
こともなければ見たこともないような――

「くっ……」

落ち着け十四郎。余計なことを考えるな十四郎。寧ろ全て忘れろ十四郎!!

「よしっ!」

気合い一発前髪をかき上げて、土方は真選組屯所へスクーターを走らせる。
その後ろ姿を見送りながら、確かに銀時の口から「十四郎」と聞こえたと、作戦成功を期待する
新八と神楽も別の仕事先へ向かって行った。


*  *  *  *  *


時は少し遡り、神楽と新八が万事屋へ帰り着いた頃。土方が全幅の信頼を寄せる銀時は、未だ
布団の中にいた。

というのも、昨夜はなかなか寝付けなかったのだ。土方とは一つの布団で眠る仲にあるとはいえ、
普段は土方が万事屋を訪れて泊まっていく。だからあちらには土方用の寝間着も寝具も用意されて
いるけれどここは違う。銀時が土方の部屋で寝たことなど数える程。しかも土方の布団で土方の
寝間着で、となると初めてのこと。
山崎が出してくれたマヨネーズボトル柄パジャマも初めて見た。自分の隣で寝ていた土方はいつも
黒っぽい浴衣姿であり、浴衣を乱さぬ寝相の良さに感心もしていたくらいだ。
けれどこのパジャマだって、いかにも土方が好みそうだ。鏡でちらりと見たパジャマ姿はかなり
愛らしいものだった。クールで知的でカッコイイ土方の意外な一面だとまた心臓が高鳴った。

そんな状態ですやすやと眠れるわけがない。

厠と風呂場でほぼ0になった銀時のHPは横になったことで徐々に回復。するといやがおうでも
感じる愛しい人の痕跡。頭のてっぺんから爪先まで、更には己のいる空間全てが「土方」なのだ。
ドキドキしない方がおかしい。

だから今朝、鉄之助が起こしに来るまで目覚めなかった。
ついさっき寝入ったばかりな気がする。寝起きは最悪。思わず、まだ八時三十分じゃないかと
がなり立ててしまった。
土方が寝坊など有り得ないのにこれはマズイ。更には局中法度に「寝坊した者切腹」とあったら
どうしよう……昨日からの体調不良を理由にどうにか事なきを得、それからは自室に篭り、看病に
来るという「万事屋銀ちゃん」の到着を待つことに決めた。

だがここでまた試練が一つ。

自分は今、パジャマのまま。本当に看病されるならこの格好が正しいけれど、これは土方をここへ
呼ぶ口実なのだ。そのことは昨夜電話で伝え済みであるから、土方が来る前に制服へ着替えをし
なくてはならない。今着ている物を脱いで……

「…………」

銀時が震える手でボタンを外していけば、露わになる「土方」の身体。自ら脱いでいるにも
かかわらず脱がせているような感覚に陥る。と同時に土方の手により脱がされているようにも
感じて、前をはだける頃にはぐっしょりと汗をかいてしまった。

「副長ー」
「今取り込み中だ!出てけ!」
「しっ失礼しましたっス!」

小姓を追い返し、その勢いでパジャマの上を脱ぎ捨て白いシャツを羽織る。着るのであれば
問題ない。素早くボタンを留めてふうと額の汗を拭った。
次は「下」の履き替え。

「よしっ!」

気合いを入れて立ち上がり、腿の辺りの布を摘んでそろそろと下げていく。
視線は上。天井を凝視しつつ、素肌に触れぬよう細心の注意を払って。



待望の人物が屯所に到着したのは、銀時が一大イベント(着替え)を終えた時分であった。
山崎と沖田に案内され、見た目は銀時の土方が副長室へ通される。

「銀時の旦那をお連れしやした〜」
「おう」
「副長、仕事して大丈夫なんですか?」
「まあな」

実を言うと廊下の足音を聞き慌てて文机に書類と筆を広げ、仕事中をアピールした。
土方はともかく、部下達に悟られるわけにはいかない。いつもの土方なら、体調不良などには
負けず働くはずだと思案して。

「銀時の旦那が来てくれたんだから、少しは休まなきゃ」
「ああうん」
「さあ銀時の旦那、どうぞ中へ」
「ああ」
「副長のことよろしくお願いします、銀時の旦那」
「あのさァ……その呼び方、流行ってんの?」

こうも早々とチャンスが訪れるとは……沖田は「土方」に詰め寄る。

「どの呼び方です?」
「さっきから二人して何度も何度も……銀時の旦那ってヤツだよ」
「「えっ!」」

呼ぶことはおろか、手紙の宛名として書くことも困難だった名前をさらりと言ってのけられ、
沖田と山崎は面食らう。まさか周囲に気付かれることなく関係を深めていたとでもいうのか。
交際四年を経ても未だキス止まりの二人が。まさかまさか、自分達が知らないだけでその先まで?
いやいやまさか……

「そんなに驚くことか?普段はただの『旦那』だよな?」
「あ、ああ……」

銀時姿の土方には分かっていた。沖田と山崎が何故こんなに驚いているのかを。自分なら決して
口にできないことを、「自分」の口から聞く羽目になったのだ。ドクドクと心臓が煩い。

「ぎ、銀時の旦那じゃダメですか?」
「あのなァ……」

ぐいぐい前に出てくる山崎に「銀時はあっちじゃねーか」と言ってやれば、息を飲んで他の三人が
固まった。
ここで漸く己の失言に気付いた銀時。しかしもう遅い。

「銀時?副長、今、銀時って言いましたよね!?」
「あ、えっと……」
「もしかして旦那のこと、銀時って呼んでるんですかィ?」
「いや、その……」

どうしたものかと視線だけで助けを求めれば、土方は既に腹を括っていた。

「何と呼ぼうがコイツの勝手だろ」
「旦那は土方さんのこと、何て呼んでるんで?」
「何だって……」

いいだろと言う前に銀時が割って入る。

「名前で呼んでるよなっ、銀時!」
「えっ……」

自分の失態で土方が恥ずかしい呼び方をしていることになってしまった。ならば自分も同じ目に
遭わなくては不公平だと銀時は土方の姿で己の名を呼ぶ。その思いを察知して土方は応えた。

「そうだな、十四郎」

仰天したのは沖田と山崎である。土方も銀時も、淀みなく相手の名を呼べるではないか。
いつからか逢瀬の話をしてくれなくなったのは、まさか本当に言えないようなことをしているから
なのか……俄かに信じがたいことではあるけれど、二人の纏う空気がこれまでと違うのは明らか。
二人の力に賭けてみようと、副長室を去る沖田と山崎であった。


*  *  *  *  *


「この辺の書類には全て押印して構わない。終わったら、これとこれを除いて近藤さんに。
こっちは作成者に戻すやつだ。それと、鉄が戻ったら倉庫の整理をさせてくれ。一昨日の続きと
言えば分かる」
「了解」

最強のサポートを受けながら、銀時の副長業務も本格始動。今朝まで具合が悪いと訴えていた
副長が……周囲からは愛の力で回復したかのように見えていた。

「副長、戻りましたっス」
「ごくろーさん。じゃあ次は倉庫の整理よろしくー」
「あの……」

おつかいから帰った鉄之助へ言われた通りの仕事を振るも、彼はまだ副長室を出ようとしない。

「どうした?一昨日の続きだぞ?」
「それは分かってます。でも、ちょっと聞きたいことが……」
「なに?」

銀時副長が手を止めれば、鉄之助はやや前傾姿勢を取りながら言った。
土方も銀時の左隣で書類整理を続けつつ、二人の会話に耳を傾けている。

「お二人は、どこまでのご関係ですか?」
「はあ?」

仕事中に下らない話をと叱られるのが分かったのだろう。「違うっス」と慌てて弁明をする。

「自分は、最後までに決まってると言ったんス。でも、沖田隊長が聞いて来いって……」
「ンなもん無視して仕事しろ。……と、副長なら言うんじゃないかなー」
「そのとーり!」

うっかり出てしまった素の自分。銀時のフォローもあり、上手くごまかせたかと鉄之助を窺えば、
何故だか瞳を常以上に煌めかせていた。

「すごいっス!まるで副長本人みたいだったっス!」
「ああそう……」
「長年連れ添うと似てくるって言いますよね!愛の神秘っス!」
「あ、あい……」

顔だけがカッと熱くなる。鉄之助は「今でもラブラブですか?」「副長の何処が好きですか?」と
二人の関係に興味津々。
当然一つも答えられないが、聞いてるだけで羞恥の限界を超え、ついに土方はキレた。

「とにかく仕事しやがれ!!」
「はっはい!」

いつもの調子で怒鳴り付け、鼻息荒く襖を閉める。けれど、

「年頃の部下を持つと大変だね」
「あ、ああ……」

銀時に宥められた途端、溜飲が下がる。即効性の精神安定剤のごとく、共にいるだけで落ち着く。
見た目は己の姿であったとしても、その効果に変わりはない。

「…………」

かといって近付き過ぎれば強心剤に早変わり。それは銀時も同じはずなのに、こちらをじっと
見詰めている。元の位置に座っても視線は外れず、避けたくはないが交わるのも恥ずかしい土方は
黙って正面を見続けるしかなかった。
その横顔に銀時は呼び掛ける。

「銀時」
「おう……」

思わず返事をしてから違和感を覚える。随分と優しい声で己の名を口にするものだと。
一方で銀時は土方をまともに見られなくなっていた。軽い気持ちで呼んでみたつもりだった。
元の姿を取り戻せば意味のなくなることをしてみたかっただけ。

けれど自身のものであるにもかかわらず、現在は愛しい人が背負うその名。だからであろうか。
口にしてから心音が急いてきた。こんなふうに親しげに呼べたら、呼んでもらえたら……膝の上で
拳を握り、息を吸って止める。
次に吐く息に、言葉を乗せると決意して。

「――っ……!!」
「おい、どうした?」

土方の着物の右袖を掴み、銀時は畳を向いて目を閉じた。そろそろ息も限界――

「十四郎っ……」
「なっ!!」

畳と平行になったまま頭を上げられない。何と大それたことをしでかしたのだと後悔に見舞われる。
きっと今自分は情けない顔をしているに違いない。土方の顔なのに申し訳ない。

「え……」

銀時の後頭部に手の平が乗ったのは、謝ろうと顔を上げる直前だった。タイミングとしても
重さからしてもまだ顔を上げるなと言われているよう。

「……ぎっ……ぎ……ぎ……」

錆び付いた扉を開けているわけでも古びたブリキの玩具が動いているわけでもない。
来たる衝撃に備え、銀時はまた目を瞑った。

「……銀時」
「――っ!」

聞いた瞬間、銀時は土方と背中合わせになって耳を塞いだ。
一秒にも満たない言葉。それを漏らさぬよう、己の中に留めるように。
その後ろで土方は、銀時の言葉を思い起こし、熱い息を吐いていた。

何処かで誰かが言っていた。俺達は元々一人の人間だったのだと。だから似ているのだと。
もしもそれが事実なら、俺達を二人に分けた何処かの誰かに感謝したい。名前を呼び、呼ばれる
幸せを与えてくれたのだから。

二人の手が重なるのは、それから一時間ののち。

(14.01.11)


純情な入れ替わり話、次話でも入れ替わっているかは未定ですが、一先ず、名前呼びができるようになったよ、ということで終わります。
前編のアップから一ヶ月以上かかってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。



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