階下のスナックが店仕舞いを始めた深夜。とうにその日の営業を終えて明かりの消えた万事屋で、
神楽は寝床の押し入れをそっと抜け出した。古い板張りの床は少し踏み込むだけで軋んでしまう。
できる限り静かに、息まで潜めて神楽は摺り足で進んだ。時計の秒針の動く音がやけに大きく
聞こえる。床下からは酔っ払い達の笑い声。こんなに騒がしい場所で毎晩眠っているのかと、
自分のことながら驚きである。

開いたままの扉から居間へ入り、今日も一日ごろ寝をしていたソファーを過ぎて、神楽は和室に
続く襖の前で身を屈めた。より一層息を潜め、目を閉じて襖に耳を近付ける。
襖の向こうは銀時の寝室。忙しない呼吸と衣擦れの音、それから――


大事なことは二度言うこと


「銀ちゃん」
「ん〜……?」

朝になり、いまだ布団の中にいる銀時へラジオ体操に行ってくると告げて神楽は外へ出た。
けれど公園には向かわず、外階段の入口が見える路地に身を隠す。暖かな春の日が通りを照らして
いて、行き交う人達の表情まで穏やかに見えた。銀時は今頃「暁を覚えず」とばかりに二度寝に
入っているだろう。自分だって何もなければそうするところだ。
薄暗く肌寒い路地裏にいてさえも、朝日を受けて煌めく表通りを眺めていれば瞼は徐々に重くなる。
雀の囀りを子守歌に、ポリバケツを抱き枕にして神楽は目を瞑った。



「――ちゃん、神楽ちゃん!」
「うるさいネ新八……」

新八に肩を叩かれ呼びかけられ、いつものように迷惑がってみたところ、せめて家で寝なよとの
呆れた声に目を覚ます。自分はこの男を待っていたのだ。銀時に内緒で話をするために。

「遅いアル」
「いつもより早いくらいだけど……ていうか何でここで寝てるの?」

銀さんとケンカでもした?と心配する新八には、お前はオカンかと笑い飛ばして、けれどすぐに
真剣な顔付きになった。ケンカはしていないがこんな場所で待ち伏せしたのは銀時のため。
我が家をちらりと見上げて神楽は、新八を路地の奥まで引き込んだ。人間の出現に、ゴミ置き場で
朝食中のネズミ達は瞬く間に散る。

「銀ちゃんに好きな人ができたネ」
「ええっ!それ、確かなの?」

首を縦に振り、ここ数日の体験を語りだす神楽。

「夜中にハァハァシコシコ聞こえて……」
「ちょっと待って神楽ちゃん!」

銀さんだってあれでまだまだ若い。眠れぬ夜を悶々と過ごすこともあるだろう。素知らぬふりを
してやることも、家庭の平和のためには必要なのだ。銀時と同じ男として、神楽より僅かに先を
行く人生の先輩として、この世の理でも説くかのような新八を、神楽はケッと一蹴。
顎をしゃくって斜めに見据えて言い放つ。

「童貞(おまえ)の意見は聞いてないネ」
「童貞と書いてお前と読むなァァァァァ!」
「うるさいアル!!」
「神楽ちゃんの方が…………何?」

無言で睨みつけた神楽の目が「いいから聞け」と訴えていて、新八は黙った。
銀時が何をしているのかは理解しており、咎めるつもりも蔑むつもりもないようだ。

「銀ちゃん、ホモだったアル」
「……え?」
「ハァハァシコシコぐちゅぐちゅの後に、ヒジカタって言ってるネ」
「……は?」

あまりに突拍子もないことを耳にして、新八の思考は一瞬停止した。安全だとでも認識したのか、
ネズミ達の食事は再開している。

「聞いてるアルか?銀ちゃんが……」
「あ、うん、聞いてるよ。でも本当なの?」
「本当ネ。何度も聞いて確かめたんだから」
「何度もって……」

確かめたくなる気持ちは分かるがその手段はいただけない。しかし今それよりも重要なのは神楽が
得た情報の真偽である。「ヒジカタ」などという名に心当たりはただ一人。その男を思って夜な
夜な銀時が、とは到底信じられる話ではない。

「ねえ、本当に間違いない?」
「しつこいネ!」
「ごめん。……信じるよ」

かなり強引ではあるが一先ず情報は共有できたことにする。けれど、単に事実を伝えるためだけに
神楽は待ち伏せたわけではない。

「これから、どうしたらいいアルか?」
「神楽ちゃん……」

今後の身の振り方を相談したかったのだ。
自分の言葉を信用させようと息巻いていた、威勢の良い彼女はもういない。家族同然の銀時が
同性に思いを寄せている――だからといって、神楽の中で銀時の地位は揺るぎないし、更に言うと、
銀時の思いが既に実っているならば非常にめでたいことだとも思っている。
その一方で、次に期待してしまう自分もいて、銀時を心から応援できないことに苦しんでいた。

「今まで通りでいいんじゃない?銀さんから話があるまではそっとしといてあげたら?」
「うん……」
「……僕も暫くこっちに泊まるよ」

自分にできることは現状維持なのだと理解はして、それでも納得できない様子の神楽。見兼ねて
新八はその苦しみを共有したいと申し出た。

「新八もいたら、銀ちゃんシコシコできなくて欲求不満になっちゃうヨ」
「フッ……じゃあ泊まるのはたまににするね」

漸く見えた笑顔。二人揃って路地を出る頃には、満腹になったのかネズミは一匹もいなくなっていた。



「ああ……十五分後にそこで。あ?走ればいいだろ。じゃあまたー」
「……おはようございます」
「おう。一緒だったのか」

新八と神楽が万事屋へ上がると、銀時は電話をしていた。まだ寝ているものだと思っていたのに
着替えを済ませ、布団は神楽のものとともに干されている。朝食の仕度もできているようだ。

「依頼ですか?」
「いや、デート」
「はぁ?」

出掛けてくると足取り軽く玄関へ向かう銀時。新八と神楽は目配せして後を追った。話してくれる
まで待つつもりであったが、もしやいきなり「その日」を迎えるのだろうか……
素知らぬフリをして神楽が尋ねる。

「銀ちゃん、デートする相手なんていたの?」
「あれ?言ってなかったっけ?」

座ってブーツを履いていた銀時が動きを止めた。

「聞いてないアル」
「僕もです」
「いや言っただろ。ほら先週…………あ、違ぇな。あれは夢だったんだ。悪ィ」

勘違いしてたとあまり悪びれもしない態度。扉の向こうで鴉の鳴き声が一度だけ聞こえた。
銀時は立ち上がり、後ろを振り返る。

「土方くんと付き合ってんだ。で、今からデート」
「銀ちゃん……」
「あの……」
「夕飯までには帰るから、続きはそん時な」

待ち合わせに遅れちまうと言い、銀時は引き止める間もなく出て行ってしまった。取り残された
二人の耳に、鴉の声が響いている。閉じられた戸を見詰めたまま神楽が口を開いた。

「新八ィ」
「何?」
「お昼は鰻重にするアル」
「えっ?そんなお金何処に……」
「銀ちゃんのヘソクリの隠し場所、知ってるネ」
「……肝吸いも付けようか?」

これまでの苦しみを食欲にぶつけてやると決意した神楽と、それを支持する新八。定春には
高級ドッグフードを買おう――密かに貯めた銀時のパチンコ資金はこの日、彼らの胃袋に全て
納まるのだった。

(14.03.23)


この後は土銀エロになります。アップまで少々お待ち下さい。

追記:続きはこちら