中編
外気と変わらぬ寒い部屋、土方は後悔と共に目覚めた。下着も履いてなければ道具も使ったまま。
身体、寝巻はもとより上下の布団にも散って乾いた精液。
人様の家で何てことを……持って来るんじゃなかったと忌ま忌ましげに性具を拾い上げる。
張り型のコンドームは外してティッシュに包んでゴミ箱へ放り、シーツもカバーも全て外し、
荷物を纏めて襖を開けた。
「わうっ!」
「うおっ……」
すぐそこに定春が控えており、思わず一歩後退る。
「驚かすなよ……メシだな?分かってるって」
「あんっ!」
額を撫でようとした土方であったが、汚れた手で触れるのは躊躇われ、ちょっと待ってろよとだけ
告げて浴室へ向かうのだった。
洗濯機を稼働させつつシャワーを浴びて、先ずは定春の食事の仕度。買い置きのドッグフードを
こんもり盛って和室へ運んでやる。布団はベランダに干した。
定春は皿の前に座ると尻尾を振って土方を見詰めている。真っ直ぐで無垢な眼差しを受け、土方は
妙にすがすがしい気分になった。
「俺のメシができるまで待っててくれるか?」
「わうっ」
「ありがとな。すぐ作るからな」
今度こそぽすっと額に手を置き、踵を返して台所へ。
冷凍飯を丼に移して電子レンジで解凍し、その間に茶を淹れる。「チン」と鳴ったらアツアツの
丼飯の上にマヨネーズを丸ごと一本回し掛けて朝食の完成。
「できたぞー」
「わん!」
丼と湯呑を手にした土方が炬燵へ着いた瞬間、定春は皿に食らいついた。空腹に耐え、己を待って
いてくれた相棒に礼を述べ、土方スペシャルを掻き込む。
何とも穏やかな休日の朝。ここに嫁いでしまおうかと思い付いた自分に、誰が嫁だとツッコミを
入れてやった。
「お前がウチに来てくれてもいいんだけどな……神楽が許しちゃくれねェか」
「あぅ?」
ピーピーと洗濯終了の合図が聞こえたのは、朝食も半ばに差し掛かった頃だった。
急いで残りを平らげれば、定春もそれに続く。
「お前はゆっくり食っていいぞ」
「くぅん」
「分かった分かった。じゃあ手伝ってくれ」
「わう!」
食器を下げる土方の後に続き、定春も空にした皿を咥えて台所に入る。三人と一匹には狭いから
普段は余り立ち入らない場所だけど、今は一人と一匹だから堂々と入っていける。
こんな風に特別なことができる留守番役を、定春は結構気に入っていた。
シンクの中へ皿を落とすと、次は何をすればいいのだと視線を送って指示を仰ぐ。尾は期待に
満ちて左右にぶんぶん振れている。
「これ持てるか?」
「わぅ」
洗濯挟みをスーパーのレジ袋に入れてやれば、任せとけとでも言うように取っ手を咥えた。
土方は洗濯籠にシーツや浴衣を詰め込んで、来た時とは逆、定春に先導されて進む。丸い手で
器用に窓を開けてひと吠え、ベランダへの到着を知らせた。
風がないのも幸いに、低めの太陽は充分にその場所を暖めてくれている。加えて、火の用心が
叫ばれるほど空気の乾燥した江戸の冬。明るいうちに乾きそうだと胸を撫で下ろす土方であった。
洗濯を終えたら換気をしつつ掃除機を部屋全体にかけて本日の「仕事」は完了。定春に呼ばれて
和室へ戻れば、炬燵の上に新聞と灰皿が乗っていた。
「気が利くじゃねーか」
「わうん」
畳に転がる炬燵のコードに前足で触れる。掃除の最中に切ってしまった電源を再び入れてやると、
定春は喜び鳴いて炬燵にあたった。
雪など降ってはいないのに、犬でも炬燵で丸くなるのか……飼い主に似たのだと目を細めて、
土方もその隣に腰を下ろす。時刻は午前十時少し前。緩やかに流れる時間に合わせて、土方の
動きも緩慢になってきた。
袂から煙草を取り出す。
新聞の折り目を一つ一つ開く。
煙草を咥える。
手元にライターがない。
咥えた煙草を揺らす。
ライターの在りかを考える。
「…………」
結局、この煙草に火が点ることはなかった。
腰から下を炬燵に入れたまま、身体を横に倒した土方は、とうに休眠状態のもふもふを指に
絡めつつ瞳を閉じるのだった。
* * * * *
いくら休みだからってだらけ過ぎた――うたた寝から覚醒して時計を確認すれば、優に二時間は
経過していた。いい具合に差し込んでいた日もベランダを僅かに照らすのみとなっている。咥えた
だけだった煙草は畳に転がり、寄り添い伏せる毛皮の下敷きとなっていた。
炬燵の中の足だけが暖かい。
寒さに両腕を摩りつつ身体を起こし、煙草を拾い上げて箱へ戻す。
「悪ィな。腹減ったか?」
伏せた姿勢でゆっくりと瞬きをして、自分も寝ていたから気にしないでとでも言いたげな様子。
普段は形を潜めている母性本能が、定春のいじらしさに擽られていく。
「朝とは違うもんがいいよな?すぐ買ってくるから待ってろよ」
「うー……」
「……一緒に行くか?」
「あんっ!」
「お、おい……」
すっくと立ち上がり押し入れへ進み、前足の先で半分だけ開けた。そこへ頭を突っ込み咥えて
きたのはフックの付いた赤いリード。
神楽達は使わないけれど、土方と出掛ける時には自分の首輪と繋ぐのだと知っている。
職業柄、公共マナーを守らねばならぬ土方は、リード無しで定春を外に出すことはしない。
「ごめんな」
「あぅ?」
窮屈な思いをさせてと謝る土方に首を傾げる。定春はこの特別仕様を悪くはないと感じていた。
自由気ままに生きてることに不満はないが、たまにはこうして格式張るのもいい。それに土方の
リードは行動を制限するためのものではないことも学習している。土方は道行く人に危険がない
ように、ひいては定春が嫌われないように導いてくれているのだから。
よく晴れた冬のかぶき町。からっからの土の上を、太陽光など気休めにしかならない寒さの中を、
土方と定春は悠然と歩いていく。
それでも目的地のスーパーマーケットまでは、十分もあれば到着できる。しかし彼らは敢えて
逆の進路を辿っていた。定春の散歩と土方の軽い運動も兼ねて。
春になれば桜色に染まる並木道を抜け、夏場は子ども達の遊ぶ池となる水溜まりを過ぎ、
秋の夜長には虫の音が響く草むらを行き、漸く店へと辿り着いた。
「すぐ戻るからな」
「わん!」
店の前の電信柱へ忠犬を繋ぎ、土方は急いで買い物を済ませる。
それからまた、ゆっくりと来た道を帰っていった。
「やっと戻って来たね」
「……どうも」
家に着くと、階下に住むお登勢が表に出ていたので軽く頭を下げる。その口ぶりからするに土方の
帰りを待っていたようだ。
知り合いではあるし、銀時との関係も知られてはいるけれど、一対一で話したことなど数える程。
それも、土方が巡回中に偶然出会して挨拶を交わす程度のもの。二人の間に用事が生まれることも
なければ世間話をする間柄でもない。そのお登勢がなぜ……恋人の「身内」だけに土方は身構えた。
「家の電話が何度も鳴っててね……急用みたいだから出てやろうかとも思ったんだけど、
今はアンタが主だからね。勝手に入るのも悪いと……」
言い終わらぬうちに上から電話のベルが降ってくる。土方は素早く礼を言うと、定春と共に階段を
駆け上がっていった。
「はい、万事屋銀ちゃん……」
『やっと出たかー』
「申し訳ありません。ご依頼ですか?」
『俺だよ俺、元気ー?』
「……この家にゃ金がねぇ。振り込ませようとしても無駄だぞ」
電話の相手が判明し、気の抜けた土方は受話器を持ったまま座り込む。
隣に伏せた定春の、ふわふわな毛並みを逆の手に絡ませつつ、思いはもう一つの「ふわふわ」へ。
『振り込め詐欺じゃねーよ!俺だって!土方くんの大好きな銀さんですよー。何度かけても
出ないから心配してたんだぞ。何処行ってた?』
「散歩」
『定春の?悪いね、何か……』
「構わねェよ。つーかケイタイにかけろよ」
『俺ん家に土方くんがいるのがいいんでしょーが。あと、ケイタイよりこっちの方が通話料安い』
「そうだな。そっちは順調か?」
『順調順調。今夜には帰るからよろしく〜』
「は?」
予定では明日の夕刻に帰宅のはず。いくら何でも順調過ぎるのではないか……
「仕事は終わったのか?」
『トーゼン!銀さんがちょっと本気出せば簡単に……』
「本当は?」
『……神楽がやりましたー。でも俺だって頑張ったぞ!』
「はいはい」
銀時の話によると、道を塞いでいた雪……もとい、雪に覆われた巨石は神楽の一突きで砕け散った
らしい。そうなれば後は至って普通の除雪作業。勿論、重労働には違いないが、宿には除雪機も
備えてあったため、半日もあれば人の通り道くらいは確保できたそうだ。
『そんでな、早く済んだからって依頼料に色付けてくれたんだ』
「そうか」
『つーわけで、二十時五十二分着の特急で帰るから』
「分かった。メシは?」
『駅弁買ってくよ。一緒に食おう?』
「ああ」
『あったかい味噌汁があると嬉しいなー……』
「じゃが芋と玉葱でいいか?」
『ありがとー』
通話は続いていたが、土方の心はもう台所に立っていた。
今から準備をすれば夜には間に合う。じゃが芋は形が崩れるまで、玉葱が歯応えがなくなるまで
煮込んだ「二日目」の味噌汁が銀時の好み。ざらりと溶けたじゃが芋に、つるりと甘い玉葱が
絶妙なのだとか。
『お土産は何がいい?』
「駅弁で充分だ。折角の収入、散財するなよ」
『はいはーい。じゃあ夜に』
「ああ」
受話器を置いて台所へ向かう土方の足取りはとても軽やかだった。
もうじき良いことが起こりそうだと定春も後を付いていく。定春の食事を皿に盛り、土方は自身の
昼食より先に夕食の下拵えに入るのだった。
(14.01.25)
続きを書こうとしたら、定春とほのぼのしたいと土方さんが言い出しまして^^;
後編は今度こそ銀さんとの絡みになりますので、アップまで暫くお待ち下さいませ。
追記:後編を書きました。もう一度注意書きに飛びます。→★